222 一区切り
イナリ達が話していると、遠くから角灯を手に提げたベイリアが駆け寄ってくる。
「エリスさん、それにイナリさんも、何事も無さそうで安心しました!それに、無事に獣人達の正気を取り戻すことが出来たみたいですね!……見たところ混乱しているようですが、洗脳を受けていたのだから当然ですね……」
「え、ええ……」
エリスはベイリアからそっと目を逸らした。多分、混乱の原因の半分以上はエリスにあるだろうからだ。
「流石、大きな都市で働く回復術師さんは違いますね!後学のために、どのようにしたのか教えてくれませんか?」
「え、ええと。秘密です」
エリスは、目を輝かせて近づいてくるベイリアの間にイナリを挟み、さらに目を逸らした。
「それはそうですよね、すみません……。あっ、そういえば、外の方でまだ洗脳下の獣人を捕えてあるので、急いで向かって頂けますか?私はこの辺の獣人をまとめることにします」
「はい、わかりました。……お一人で大丈夫ですか?」
「大丈夫です、なんてったって、結界術師ですからね!……一応、誰か一人派遣して頂けますか?」
「ふふ、わかりました」
途端に情けない声を上げながら立ち去っていくベイリアに、エリスは微笑しながら返した。
「では私達も行きましょうか。ハイドラさんはどうしますか?」
「私も一緒に行きたいです。その、アレが頭から離れなくて落ち着かないので……」
「……そ、そうですか。とりあえず、イナリさんの尻尾を抱いておくといいですよ」
「そうします。イナリちゃん、尻尾借りるね」
「……一応言っておくのじゃが、我、神じゃぞ?これが、神の扱いか……?」
イナリの返事をよそに、ハイドラはもふりとイナリの尻尾に抱きついた。そういえば、獣人の尻尾に触るのは良くないだの言う話は何だったのだろうか。
「……うわ、初めて触ったけど、これは確かにクセになる……。でも何かイナリちゃん、べたべたするね。それに甘い匂いがする」
「そりゃ、ブラストブルーベリーの爆破を直に受けたからの。エリスよ、後で我の服を洗ってくれたもれ」
「ええ、いいですよ。近くに川があればいいのですが。……ああそうだ、一応ハイドラさんには何があったのか話しておきましょう――」
エリスは、イナリにくっつくハイドラに事の顛末を伝えながら、村の外へと向かって歩いた。
その後は、土壁で囲んだり、落とし穴に落として獣人達を捕獲していたディルやグラヴェルと合流し、再びエリスが単身で混沌をばら撒いてまわった。
その間、うっかり他の皆がエリスを見て発狂しないよう、皆でハイドラの体調等について尋ねて時間を稼ぎ、うまいこと引き留めることに成功した。しかしそれが一段落すると、幾らかの疲れが蓄積し、隣でハイドラが船を漕いでいたのも相まって、知らぬ間に眠りに落ちてしまっていた。
そして、イナリが目覚めれば、窓から朝日が差し込み、それに照らされる老朽化の進んだ梁が目に入る。ここは教会の、虹色旅団が陣取っていた場所のようだ。
ここは床に敷かれた布や毛布のおかげで暖かいが、それに加えて両隣にも暖かな感触があり、右隣にはハイドラ、左隣にはエリスが眠っていた。どういう経緯でこうなったのかはわからないが、イナリを真ん中に、川の字で眠らされていたようである。
いつの間にか服も着替えさせられているし、体に付着していたブラストブルーベリーも殆ど無くなっている辺り、エリスが色々してくれたのだろう。
そんなことを思っていると、突如ハイドラの方から魘されている声が聞こえてくる。
「うぅうん……うう……」
「……完全に影響が出ておるではないか……」
イナリは呆れつつ、ハイドラに背を向け、尻尾を寄せてやることにした。エリスが提唱する「癒し効果」なるものがどの程度のものかは知らないが、無いよりはマシのはずだ。
さて、今はあまり二度寝をする気分でもないし、かといってエリスの寝顔をずっと眺めていても仕方がないのだが、ハイドラの事を考えるとあまり動かない方が良いし……どうしたものだろうか。
何かないかと、皆を起こさないように軽く身を起こして周辺を見てみれば、まずはじめに、エリックやディルが教会の長椅子に横になって寝ている様子が見受けられた。
しかし、それなりに彼らとは過ごしているはずだが、彼らが寝ている様子をまともに見るのは初めてかもしれない。……いや、寝ているディルを起こそうとして地面に組み伏せられ、首筋に剣を突き付けられたことがあったか。……果たしてあれを「まとも」の中に含めてよいものだろうか。
そんな嫌な記憶は置いておくとして、彼らも含めて誰も警戒していないということは、ここの安全が担保されているということであろう。
さらに周囲を見回してみて気づいたこととして、ここに避難していた村民とやらは皆居なくなっていた。きっと、異変が収束したと分かるや否や、すぐに村に戻ったのだろう。何とわかりやすいことだろうか。
そんなことを考えていると、教会の扉が静かに開き、そこからベイリアとグラヴェルが現れた。彼らが玄関から一番近い椅子に静かに腰掛けると、ベイリアが口を開く。
「……ふう、獣人達への説明も終わったし、これで大体一区切りですか。今までずっと暇してたのに、いきなりの徹夜は堪えますねえ」
「お疲れ様です、ベイリアさん。例の村も実質的には消滅ですし、貴方からすればいい事じゃあないですか?」
「そうですねえ。……ま、声を大にしては言えませんし、村を出ていった連中が戻ってこないとも限らないんですけどね……」
「はは、そればかりは祈るほかないでしょうね」
グラヴェルは驚くほど好青年のような声色で喋る。「グラヴェル」としての彼を知るイナリからすると何だか変な感覚だ。
「その。正直、グレイベルさんが居なかったら、とっくに心が折れてたかもしれません。……その、ありがとうございます」
「……感謝されるような義理はありませんよ。俺だって、居候させてもらってるようなものですから」
「……そうですか?」
グラヴェルが答えると、ベイリアが妙に縮こまったような声で返事を返した。
……何だろう。何と言ったらいいのかわからないが……これは所謂、「いい感じ」というやつなのだろうか。もしここで空気を読まず「おはようじゃ!!」などと叫んだら、何が起こるだろうか?
そんな最悪な想像をするイナリをよそに、グラヴェルが口を開く。
「それに……感謝されるような人間じゃないですよ、俺は」
「何を言っているんですか。感謝されたらダメなんてこと、絶対にありませんよ」
「……まあ、この話は一旦置いておきましょう。それで、ベイリアさんはこの後どうするんです?」
「……今は誤魔化されておいてあげますよ。私は一旦、ナイアの本部に行って、今後の判断を仰ごうかと思います。できれば、今回の件の真相も知りたいところです。解決こそしましたけど……今回の事件、色々と変ですよね?特に、教会側からのアクションが何もない辺りが……」
「それは間違いないですね。……一応なのですが、もし教会が何も答えなくても、変に追及はしない方が良いでしょう」
「えっ?それはどういう……」
「この件、この村が煙たがられている以外にも何か裏があるでしょう。変に深追いすると、真っ当な生活すらできなくなる可能性もあります」
「……そんなはずは……いや、でも……」
「とにかく、俺に出来る範囲で助力しましょう。どれくらい使えるかはわからないですが、伝手はあるので。……さて、そろそろ狩りの時間です。今日の気分は?」
「……鹿、ですかね」
「わかりました、すぐに取って来ますよ」
グラヴェルは立ち上がると、そのまま扉を開けて外に出ていき、後にはベイリアのみが残された。彼女はしばらく椅子に座って空を眺めると、教会奥の部屋へと消えていった。
さて、部屋に再び静寂が訪れ、視線を感じて左隣に目をやれば、最早見慣れた蒼い瞳と目が合った。瞳の持ち主は目が合うなり微笑と共に挨拶をしてくる。
「おはようございます、イナリさん」
「……うむ、おはようじゃ。お主、いつから起きておったのじゃ?」
「たった今です。何かありましたか?」
「……んや、何も……ああいや、ハイドラが魘されておっての、尻尾を貸してやっていたところじゃ」
「あー、なるほど。やはりそうなってしまいますか……。あの、私ってどんな見た目になるのですか?化け物だなんだって、ものすごい色々言われたのですが……」
「以前も言ったが、エリスらしき何かっぽくなるのじゃ。もう少し具体的に言うと、数千分割したお主に何かを混ぜて再構成したみたいな感じじゃ」
「……ええと……どういう……?」
「つまり、形容しがたいということじゃ。……知らない方が幸せな事もある」
「……気にしない方が良いということですね、了解しました」
会話が一段落すると、二人は他の皆が起きるまで、しばらくゆったりとした時間を過ごした。




