221 洗脳が剥がれる程の衝撃
<イナリ視点>
イナリの体は宙を舞い、世界がぐるりと回転しつつ、近くの家屋の壁に激突、そして落下した。
「けほけほ……ぺっ……全く、折角この我直々に救ってやろうというに、何たる仕打ちじゃ……けほっ」
イナリは文句を零しながら、口に入った土埃等を吐き出しながら立ち上がり、己の状態を確認する。
ひとまず、想定通り、怪我も無く、衣服への損傷も無い。強いて言うならば自身の着物がブラストブルーベリーのせいで青く染まってしまったが、後で洗えば落ちるだろうか。
「さて、魔道具の方は……」
土煙が晴れるのを待ってから魔道具があった辺りを確認すれば、そこには見事、爆発四散した魔道具の姿があった。
「……よし」
イナリは静かに拳を握り、頷いた。端的に言えば、スカッとした。これで自分が吹き飛ばされなければ、もっと良かったのだが。
「……そういえば、先ほど勢いよく実を踏み潰した獣人はどうなったかの?死んでしまったじゃろか」
辺りを見回してみれば、イナリの周りをうろついていた獣人は、イナリと同様に周辺に吹き飛んでいた。
それぞれ近寄って見れば、擦り傷や打撲で済んでいる獣人が殆どであった中、一人だけ左足が変形してしまっている獣人が居た。彼が実を踏んで爆発させた獣人と見て間違いないだろう。
「……一つに……我らは……」
哀れな事に、重傷を負ってもなお、彼は譫言を呟き続ける。
「……後はエリス次第じゃろうか。ま、我の仕事はこれまでじゃな」
足を負傷したあの獣人は、後でエリス辺りに治療してもらえるまで、しばし耐えてもらうほかあるまい。一仕事終えたイナリは、その場を後にした。
それと同時に、村の各地から遠吠えのような叫び声が上がり始めた。視界の隅では、何かが建物と建物の間を横切ったような気さえする。
「……これ、ちと拙そうじゃな。疾く撤収せねば……」
イナリは歩く足を速めつつ、村の外に向けて移動を始めた。
<エリス視点>
イナリさんがこの場を立ち去り、不気味なほど静かな森で待機し始めてから、およそ三十分程経った頃。
村の方から何かが爆発したような音が響き、その数十秒後、獣人達が騒ぎ始めました。
「……あの、エリスさん。本当に一人で行くのですか……?」
「ええ。イナリさんが頑張ってくれたのに、私が後込みしていては格好がつかないでしょう。……決まったからには、実行しないといけませんからね」
後から合流してきて、私の事を心配してくれるベイリアさんに対し、イナリさんの台詞をそのまま借用して返しました。
イナリさんは全く考慮していませんでしたが、魔道具を壊した後何が起こるのかについては、予め予想と対策を練っていました。
予想の内一番望ましいのは、魔道具の破壊と同時に洗脳が解けて解決。次点で、洗脳下にある獣人が行動を止める、といった具合でしたが……この様子だと、どちらかと言うと下から数えた方が早そうな状況かもしれません。
「で、でも!獣人は明らかに戦闘態勢に入ってます!私達と一緒に対処したほうが安全じゃないですか?」
「そう……でも無いんですよねえ……」
元より、獣人の洗脳状態が解除されなければ、私が獣人達を発狂させることも決定事項の内です。しかし、それでベイリアさん等の何ともない人にまで影響が及んでいては本末転倒もいいところ。ともすれば、私一人で乗り込むのが最善なのです。
「……エリスさんの決意が堅いことはわかりました。では、私からは少しばかりの支援を。神よ、かの者を守り給え、『プロテクション』……」
ベイリアさんは私に結界を展開してくれました。流石に本業と言うだけあり、私が展開するそれよりよほど頑強そうです。
「ありがとうございます。大変心強いです」
「……私達は村から獣人が出るのを阻止します。エリスさんのご健闘をお祈りしております」
「はい。……あの、あえて念押ししますが、間違っても私の事を見に来ないようにしてくださいね」
「分かりました!……貴方の尊い自己犠牲の精神に、アルト神の力添えがあらんことを」
「あ、はい……」
ただ私が不可視術を使っているところを見て発狂されたくないだけなのですが、ベイリアさんは、何だかものすごい好意的な解釈をしたまま、他の皆さんがいる場所へ戻っていきました。
でも、わざわざ訂正するのも無粋ですし、このまま村に向かうことにします。
「……さて、まずは不可視術を、発動……あれ、そういえば……」
これ、自分が不可視術を発動しているかどうかって、私目線で判断できませんよね。……つまり、無防備な状態で獣人の前に現れてしまう可能性も……いけません、急に不安になってきました。
「いやいや、そんなことを言っている場合じゃありませんね、集中、集中……」
深呼吸し、術が発動できていると信じて。私は村へ向けて歩を進めました。
……結論から言えば、私の不可視術は確かに発動していました。
「うわああぁぁぁ!!??」
「化けッ、化け物が!」
「のわああぁぁぁ!?」
「ああ!窓に!窓に!」
……誠に不本意ながら、私を見るなり、闘争心に満ちた態度を一瞬で豹変させ、悲鳴を上げ、全力で家屋に駆け込み、腰を抜かし、泡を吹き、失神し……十人十色、様々な反応を示す獣人の方々によって、それが証明されました。勿論、中には私に襲い掛かってくる者もいましたが、結界で弾かれるとすぐに逃亡していきました。
ともあれ、これで彼らの洗脳状態は解けるはずです。それと引き換えにトラウマを一つ得ることになりそうですが……。失う物無くして得る物無し、というやつでしょうか。ちょっと違いますかね。
場違いにも、そんなことを考えながら道の曲がり角を曲がれば、丁度向かい側に見覚えのある少女が彷徨っていました。
「あっ、ハイドラさん」
「一つにな……ひやああぁぁぁ!?!??」
ハイドラさんも例に漏れず、私を見るなりものすごい跳躍力で家屋の上へと逃げて行きました。ここまで行くと、逆に私がどう見えているのか気になって仕方ありません。見ても不幸になるだけなのは確実なのですが……好奇心とは恐ろしいものです。
やや様相は混沌を呈していますが、ともかく、私は洗脳下にありそうな獣人を探して村を徘徊して回りました。
そして村の中央辺りに差し掛かると、数名程、怪我をした獣人が地面に横たわっているのを発見しました。これは手遅れになる前に治療が必要ですね。
回復魔法を発動すべく近寄ると、彼らは諦観したような表情で私を見てきます。悲しいことですが、重傷を負った患者が生きるのを諦めてしまう事は、少なくありません。
彼らは私を睨みつけながら、口を開きます。
「……化け物が、殺すならさっさと殺せ……」
「わ、私が死んでも、皆が生きているのなら、それで……」
「この村の連中、こんなのを、信仰していやがったのか、狂ってやがる……」
……あ、これ、完全に私が止めを刺しに来たみたいに思われてますね。何なら、この村の信仰対象だとすら思われる始末です。
「酷い言われようですね。『ヒーリング』」
言いたい放題ではありますが、正気を取り戻しているのは確か。ひとまずの応急処置だけしたら、再び村を徘徊します。
「……俺たちを、護ってくれたのか……?」
「あれが、龍神……!」
……後ろから聞こえる声からするに、何だか妙な誤解が生じた気もしますが、まあ、大丈夫でしょう。きっと、多分……。
<イナリ視点>
イナリは、辺りで震える獣人達を見て回りつつ、村を徘徊し続けた化け物に話しかけた。
「……ええと、エリスよ、終わった……かの?」
「縺医∴縲∫オゅo繧翫∪縺励◆繧医?√う繝翫Μ縺輔s」
「ええと、何言ってるかわからぬ故、不可視術を解くのじゃ」
「『我が姿を現せ』……よし、これでいいですかね?」
「うむ、いつものエリスじゃ」
以前こそ醜態を見せたイナリだが、流石に今は、不可視術を発動した状態のエリスであっても、正気を保ちつつ会話できる。……彼女が村を徘徊している途中に偶然鉢合わせ、ひっくり返ったりはしたが、それは言わなければ誰にもわからないことだ。
「……それで、どうなのじゃ?」
「ええ、概ね終わったと思います。もしかしたらエリックさん達の方に幾らか逃げてしまったかもしれませんが、皆さんに対処して頂いているので問題ないでしょう」
「そうか。……くふふ、我らの初めての活躍じゃ。これは皆に誇れるのではないかの?」
「ふふ、そうですね」
イナリが上機嫌に呟けば、エリスもそれに返事を返しながら撫でてくる。一仕事終えた後には実に心地よい感覚だ。
しばしそれを堪能していると、そこに割って入る声があった。
「エリスさん、イナリちゃん!」
「む?おお、ハイ――ぐえっ」
駆け寄ってきたハイドラは、その勢いをそのままに、イナリとエリスにまとめて抱きついてきた。
「は、ハイドラよ……お主、もう大丈夫なのかや?」
「いや、大丈夫って何!?ていうか、ねえ、この村絶対ヤバいよ!私、知らない間にここにいるし、夜だし、周りに知ってる人が誰も居ないし、ヤバいクリーチャーがいるんだよ!さっさと逃げよう!?」
「あ、ええっと、ハイドラさん、それはもういませんから安心してください」
「え、そ、そう……なんですか?」
「ええ、大丈夫です」
「……でも、まだアレがいる気配がします。……あれ、もしかして、すぐ近くに……?」
「あ、あはは……」
周囲を忙しなく見回すハイドラに対し、「アレ」の正体であるエリスは、ただ笑うことしかできなかった。




