218 村八分教会
ニエ村に着いたイナリ達は、御者台から村の様子を確認し、そして息をのんだ。
「何じゃ、あれ……」
「すごいですね……」
村には、月明かりを除いて一切明かりは無く、村人らしき人影もない。だが、それに代わって、様々な色の眼を闇の中で輝かせながら獣人達が徘徊している。ざっと見ただけでも十人近くはいるが、その中には一人として正常そうな者はいなさそうである。
「あの人たち全員、ハイドラさんみたいになってるんだろうね……」
「そうだろうな。さっき見たときから変わらず、ずっとあの様子だ」
エリックの呟きに、馬車の上から突然現れ、イナリの隣に着地したディルが答える。彼が隠密行動をしている時は、イナリの耳であっても集中を要する程に行動音が小さくなるので、いきなり現れるとかなり驚く。
「……お主、突然現れるのはやめてほしいのじゃ。ちゃんと『イナリ様、貴方様のお隣に立ち、口を開く名誉を私に授けてください』と言ってから現れるのが礼儀であろ」
「初めて聞いたぞそんな礼儀」
「……あの。魔物が獣人達に襲い掛かっていませんか?」
「む?」
ディルとイナリの言い合いをよそに、エリスが村の隅の方を指さして尋ねる。
イナリもその方角に目を凝らしてみれば、確かに、四体の狼系の魔物が列を成して、村の畑を踏み荒らしながら獣人達に向かって駆けている様子が見えた。
「いけません、このままでは彼らは喰い殺されてしまいます!」
「今なら間に合う。急いで向かおう!」
「あーいや、行かなくていいぞ」
「……えっ?」
慌てるエリスと馬の綱を掴んで移動しようとするエリックをよそに、気の抜けた口調でディルが静止する。これには、パーティの全員がぽかんとした表情を作った。
「ディルさん、貴方まさか獣人差別主義者なのですか……?」
「違う。ま、見てなって」
「は、はあ……?」
エリスはやや苛立ち混じりに声を上げつつ、再び襲撃を受ける獣人達の方に目を向ける。
イナリもそちらに目を戻せば、既に無残に食いちぎられてしまった残骸が地面に転がっていた。……魔物の、残骸である。
一方の獣人達はと言えば、嚙み千切った魔物の肉を咀嚼しながら、何事も無かったかのように徘徊を再開している。
「……何というか……凄まじいのう。我も割と何でも食べるけども、あんな風には食べんのじゃ」
「いや、普通の獣人でも、特異な例を除けばあんなことはしませんよ、普通……」
「もしかしてだけど、獣人達の体の制御が粗雑になっている?」
「ああ、ハイドラさんの件も合わせりゃ、力のリミッターがぶっ壊れてると考えていいんだろうな。……で、俺たちどうするんだ?流石にここにずっといるわけにも行かないだろ。村に行ってみるか?」
「いや、それは……何もなければいいけれど、もし襲われたら僕達までバラバラにされかねない気がする。やめておこう」
「ハイドラさんでさえ鎧を凹ませたのですから、戦士級の獣人だと確実に骨が折れるでしょう」
「……それって、文字通り、物理的にじゃよな?エリスお主、中々上手い事言うのう」
「イナリ、お前だけさっきからコメントがズレてないか」
「まあまあ、イナリさんは癒し枠だから良いんですよ」
「お前な……」
ディルが冷めた目を向けるのを物ともせず、エリスはイナリの頭を撫でた。
「それで……エリックさん、どうしますか?」
「ひとまずは安全な所を探したい、けど……この村、教会ってあるのかな?」
「どこかにあるはずです、が……この村の性質を考えるとちょっと怪しいですね……」
「……待つのじゃ。何故急に教会が出てきたのじゃ?」
「ええとですね。村における教会は大体規格が決まっていて、避難所として使えるようにもなっているのです。結界が使える神官と合わせれば、それなりの安全地帯にはなりますからね」
「ああ、何となく理解したのじゃ」
エリスの言葉にイナリは頷いて返した。そしてふと、視界の片隅、森の中に、仄かに光る灯りの存在を認める。それは、光量にせよ挙動にせよ、明らかに獣人のそれでは無かった。
「……のう。あの光は何じゃ?」
「光……?」
「……あれ、人じゃない?」
光は少しずつイナリ達の方へと近づいてきていて、次第に持ち主の姿が明らかになっていく。
現れたのは、エリスと同じような装いをした、イナリとエリスの間くらいの背丈の少女であった。イナリほどではないが、金の長髪を靡かせ、その手には角灯を持ち、体全体を囲むように半円状に、薄く硬質そうな膜が張られている。
彼女もまたイナリ達の方を視認すると、興奮気味に駆け足で近づいてきて、声をかけてくる。
「やっと見つけた!あの、依頼を受けて来てくださった方ですよね!?」
「……依頼?」
「……あれっ?」
一同は互いに見合い、首を傾げた。
「ああ、まずは自己紹介をしないといけませんよね!私はベイリアという者です。結界術師ですが、不束者ながら、ニエ村のアルト教の教会長もしております!」
「……なあエリス、教会長って子供でもなれるのか?」
「失礼な!同期からは子ども扱いされこそしましたけれど、これでも成人はしてます!それに、この村の神官は私しかいないから、自動的に教会長になってしまったんです!私だって、好きでこんなとこで教会長なんてやってるわけないじゃないですか!」
「そ、そうか。苦労してるな……」
ディルの言葉を耳聡く拾いあげたベイリアが、感情的に反論を返した。そして軽く咳ばらいをしつつ、落ち着いた口調で、そして確認するように尋ねてくる。
「……ええと、話を戻させて頂きますね。……依頼を受けて、来てくださったのですよね?」
「いや、依頼については全く……」
「……えーっと、じゃあ、何でこんな所に……?」
「僕達の連れの獣人の子がこの村に来てしまったからですね」
「……じゃあ、本当に事情を知らない、たまたま通りかかっただけの冒険者ってことですか?」
「まあ、有体に言えば……」
「……なんで」
「え?」
「なんでですかああ!!やっと助けが来たと思ったのに!思ったのにいぃ!!うわああぁぁ!!」
ベイリアは泣きながら地面で暴れはじめた。
それを見た一同はあっけにとられた。エリスとエリックが顔を見合わせて頷きあうと、エリスが馬車から降りてベイリアのそばにしゃがみ込んだ。
「ベイリアさん。私、メルモート所属アルト教神官、回復術師のエリスと申します。事情こそ分かりかねますが、貴方が出した依頼というのは、きっと村の異変に関する事柄ですよね?でしたら、これも何かの縁。利害が一致した者同士、力を合わせて解決しませんか?」
「……えっ?い、いいんですか……?」
「勿論です。神官として、困っている者を見過ごすなんてできませんから」
「……では、よろしくお願いします……ぐすっ……」
エリスが手を伸ばしてベイリアを立ち上がらせた。
「それで、早速なのですが……私達、安全な場所を探しているのです。どこか良いところをご存じですか?」
「ええ、この村の教会は安全が確保できていますので、是非そちらに!……あ、馬車が通るにはちょっと道が凸凹なんですけど、大丈夫ですか?」
「ええ、大丈夫です」
「わかりました。それじゃ、ご案内します!お三方は馬車に乗ったままで結構ですので、そのまま着いてきてください。こっちです!」
ベイリアはそう言うと、村に背を向けて歩き始めた。
「……えっ、そっちなんですか……?」
馬車の荷台に戻りながら、エリスは絶句した。
およそ十五分ほどかけて、イナリ達を乗せた馬車は、ギリギリ道と呼べるかどうかくらいの獣道を越え、森の中の教会に到着した。
途中から、実は騙されて、教会とは全く関係ない方向に案内されているのではないのか、などと懸念し始めた程度には酷い道程であった。
それはさておき、ベイリアは笑顔で教会の玄関前に立ち、馬車の方を振り向いて手を広げる。
「さあ、到着です!ようこそ、アルト教会ニエ村支部へ!」
「あ、ああ……」
到着した教会も中々に凄まじい。何と、森の中にぽつんと教会だけがあるのである。それ以外には、物置きらしい小屋が大小それぞれ一つずつと、小さな畑があるのみである。……言うまでも無く、村から隔離されているのは明らかだ。
「……ええっと、言いたいことはわかります。安全とは思えない、ですよね?……でも大丈夫、私は結界術師ですから!この辺の魔物が嫌がるものを森に撒いてますし、簡易結界も張ってます!」
「……そういや、俺が索敵しなくても魔物に遭わなかったな」
「ふふん、そういうことです。ささ、ひとまず中にどうぞ!」
ベイリアの言葉に従い、一同は小屋の隣に馬車を固定した。
「……ん!?ちょちょちょ、待ってください。……獣人っ!?あの、獣人が居ます!拘束!拘束です!!」
「む?――ぬわっ!?」
「イナリさん!?」
イナリが荷台から飛び降りてベイリアの視界に入った瞬間、イナリは結界に閉じ込められ、身動きが取れない状態になった。察するに、イナリも他のおかしくなった獣人と同一視されたのだろう。
「ふう、危ない危ない。……ん?エリスさん、どうしたんですか?」
そんな事情を理解していないベイリアは、汗を拭いながら首を傾げた。
「ええと、ベイリアさん。あの子は――」
「ベイリアさん。イナリさんは村の獣人の方とは違って正常なので、拘束を解いてください」
「えっ?いやでも……」
「解いてください。早く」
「……はい」
エリックの言葉を遮って前に出てきたエリスの圧に押し負けたベイリアは、素直にイナリの拘束を解いた。
「……すみません、エリスさんと、男性のお二人だけだと思っておりまして、まさかイナリさんがいらっしゃったとは思わず……」
イナリは他の獣人と違うという説明を一通り受けたベイリアは、イナリに謝罪した。
「まあ、突然で驚いたが、お主の判断は妥当じゃし、許すのじゃ。……まあ、最初にお主が気づいておれば、こうはならなかったかもしれんがの」
「まあ、村の状態を考えれば、過敏になる気持ちもわかりますけれどね……」
「本当にごめんなさい……」
「ところで、一旦教会に入らぬか?我、そろそろ落ち着いて眠りたいのじゃ」
「あ、そうですよね。それじゃあ、今度こそ中にどうぞ」
「うむ」
エリスに抱えられ、イナリは教会に近づいていった。そして、教会を囲むように張られた簡易結界に弾き飛ばされ、エリスの腕から飛び出し、地面に勢いよく叩き落とされた。
「……もう我、帰ろうかの……」
エリスが慌てふためく声を背景に、イナリは静かに呟いた。教会前の地面から見上げる星空は、腹立たしいほどに綺麗であった。




