199 出発準備(6)
「全く、そういうのは家でやってくださいね!全部丸聞こえでしたし、エリスさんとイナリちゃんだってわかるまで、兵士さんを呼ぶか検討してたんですよ!」
「はい、すみません……」
腰に手を当てて忠告するハイドラに、エリスは静かに謝った。危うく、エリスが再度兵士のお世話になるところだったようだ。
「……それじゃ、立ち話も何なのでお入りください。……狭いので気をつけてくださいね。少しだけど、火薬とかもあるので」
「結局爆発からは逃れられないのですね……」
「まあ、強く気を保つのじゃ」
イナリは軽く火薬を恐れるエリスの背を叩き、その手を引いて部屋へと入っていった。そして二人が席につくと、早速エリスが本題を切り出す。
「改めまして、本日私がここに伺ったのは私の予定が定まったからです。結論から言いますと、今日から数えて五日後以降は全て空きました」
「ああ、なるほど、了解しました!私の方も問題なく馬車の手配は完了していますので、そちらの都合に合わせて動けますよ!……ああでも、旅路に必要になる道具はそちらに用意して頂きたいです。その、見ての通り、私の部屋は錬金術関係のもので埋め尽くされていますので……」
「わかりました。ああでも、寝間着や着替えはそちらで用意して頂いた方がいいかもしれません……」
「ああ、それは大丈夫です!テントとか、そういう類のものです」
「了解しました。ポーション等もこちらで用意して構いませんか?」
「ああー……一応、アルテミアの方でイナリちゃんのポーションを作るために、大量の空き瓶を用意しておこうと思ってて。それを使えば、冒険者向け汎用ポーション程度なら、道中で作れます。なので、それらについては最低限用意して頂ければ結構です!」
「それはありがたいです。ではそのように伝えておきます」
「はい、お願いします!」
イナリが言葉を挟む余地もなく、とんとん拍子に話が収束した。
「では確認を。今日から数えて五日後の朝に出るようにパーティの皆さんには連絡します。着替えなどを除いた、旅に必要な道具はこちらで用意して、ポーション関係の大半をハイドラさんにお任せする形です。大丈夫でしょうか?」
「はい、おっけーです!……あっ、あと、これは別件なのですけど……」
ハイドラは耳をへにょりと曲げながら前置く。
「できれば、耳と尻尾を隠せるものを用意しておいた方がいいです。昨日、商会の方とお話ししに外に出て、そのついでに、野暮用でこの街の近くの村に行ったのですが……そこの村人から、相当怪訝な目で見られまして。子供には石を投げられましたし……」
「そ、そんなことが……」
「多分、テイルから流れてきた野生生物共が好き放題して、その印象が根付いちゃってるんです」
「確かに、そういうことなら頷けるが……その子供、相当な阿呆ではないか?下手に刺激する方が、却って不要な争いを生むじゃろうに」
「それは間違いないね。多分、私が無害そうだから投げてきたんじゃないかなと思ってる。普段、獣人だと分からないように帽子を被ったりすることもあるんだけど、近所だからって油断してたところもあったね」
「なるほどのう」
「まあ、そんなわけで、耳と尻尾を隠さないと、イナリちゃんみたいな子だったら、きっと……」
「同様にそうなると言いたいのじゃな。確かに、どこの馬の骨とも知らぬ子供に石を投げられるのは不愉快じゃな……」
「ええ、私としても看過できませんね。ハイドラさん、お怪我はありませんでしたか?私、治療できますよ」
「ああ、掠りもしなかったので大丈夫ですよ。ありがとうございます、エリスさん!」
「そうですか、それは良かったです。……ところで、耳と尻尾を隠す必要性は理解しましたが、尻尾はともかく、帽子で耳を隠すのは大丈夫なのですか?全然周囲の音が聞こえなくなったりとかしませんか?」
「ああ、確かに、適当なものを用意してしまうと、結構支障が出ますね。私の場合は……ええっと、ちょっと待ってくださいね」
ハイドラがおもむろに立ち上がり、部屋の奥の方へと消えていく。そして、しばらく何かを物色する音が部屋に響き渡った後再び姿を現し、その手には、麦わら帽子のような形状の帽子が握られていた。
「実は、こういう獣人向けの帽子があるんです。被ると、頭と帽子の間に少し空間の余裕ができるようになってます。イナリちゃん、ちょっと被ってみて!」
ハイドラが帽子を手渡してきたので、イナリはそれに従い、帽子を頭に被って見せる。
「……どうじゃ?」
「何か、普段のイナリさんのシルエットに慣れていると、ものすごい違和感があります……」
「あはは、そればかりはどうしようも無いですよ。それで……イナリちゃん、被ってて違和感とかは?」
「……ものすごく抑圧感を感じるのじゃ……」
イナリは帽子をしきりに触って快適な位置を探るが、どうあがいても違和感を伴う不快感がイナリの頭上に存在し続けていた。それに、ハイドラやエリスの声も微妙に聞き取りづらい。
「あぁー……多分、私より耳が大きいから、うまく収納されないのかも……。エリスさん、イナリちゃんの場合は大きな尻尾もありますし、キツネ系向けのものを探すか、期日さえ許せば、いっそ特注で作ってもらった方がいいかもしれません」
「なるほど……。少し考えてみますね」
ハイドラの言葉に、エリスは頷いた。
そしてこの話を最後に、イナリ達はハイドラのもとを去り、家へと帰った。
「なあ、俺、気づいたんだが」
ハイドラに関する情報共有も終え、パーティの皆で夕食をとっていると、ディルが口を開く。
「ん、どうしたの?ま、まさか、ウィルディアさんに送った手紙に不備が?」
「いや、違う」
「では何じゃ?もしや、ようやっと我の神らしさが分かったか?」
「それも違う。何なら、それについて知る日は来ないと思う」
「あっ!だとしたら、運動、訓練、鍛錬を他の冒険者にお薦めしすぎて、若干距離を取られている事ですか?」
「違……え、それ、嘘だよな?」
「勿論、冗談じゃないとこんな事言えませんよ。……あ、でも何か、本当にありそうな話な気がしますね。ごめんなさい……」
「マジっぽくなるから謝らないでくれ……。って、そうじゃねえ。俺が言いたいのは……」
ディルは手に持ったパンを一齧りしてから再び口を開いた。
「イナリって、外に出していいのか?」
ディルの言葉の意図が掴めず、皆頭に疑問符を浮かべる。
「何言ってるんじゃお主」
「そうですよ。家に閉じ込めるなんて虐待ですよ」
「ああいや、街の外に、って意味だ。イナリは今、樹侵食の厄災なんて大層な名前を冠した魔王として認識されているわけだろ?」
「それがどうしたのじゃ」
「要するに、イナリを中心に問答無用で植物の成長が加速されるのが問題視されて脅威認定されてるわけだ。尤も、今まで、イナリは殆ど魔の森とここを行き来してただけだし、ここ最近は何もしてないからさほど問題視はされていないが、それがアルテミアに向けて行進を始めたら、どうなると思う?」
「あぁー……確かに、その点は考えておくべきだったね」
「ふむ。我が思うに、成長促進度を最低にして、かつ、ずっと同じ場所に留まらなければ、精々、人間が知覚できるかどうか怪しい程度の誤差に収まると思うのじゃ」
「そうか?それならいいんだが……」
「冒険者ギルドに樹侵食の厄災の活動報告が掲示されていたよ。確か、通常時の三倍程度の速度だって」
「まあ、種類によってはずっと見ていれば明らかに加速しているのがわかる植物もありますけど、誰もがずっと眺めるわけでもないですしね……。気にしなくても良いんじゃないですか?」
「うん、僕もそう思う。ただ、絶対に外で成長促進度を上げないっていう前提だけど。イナリちゃん、約束できる?」
「……まあ、我だって理由が無ければしないのじゃ。またトレントとか言うのに囲まれてはたまったものではないしの」
「うん、なら大丈夫そうだね。まあ、今回の依頼はイナリちゃんがカギだし、もし何かあったら、僕達で上手いことカバーしていこう」
「そうするしかねえか。そうするとさっき聞いた、獣人差別云々を懸念しないといけないな」
「一応、明日から街を回って、良さげなものが無いか見繕ってきます。イナリさんはどうしますか?」
「ううむ、明後日はガルテのもとへ行かねばならぬし、明日はゆっくりしたい気分じゃ」
「そうですか。でしたらイナリさんに代わって、私が街中を回ってきます。イナリさんの体のサイズは全部覚えていますから、ご安心を」
「いや、ご安心できる要素が皆無なんだけど」
「やっぱり、イナリが平穏に暮らすなら、まずは俺たちの前にいる、このアホ神官を衛兵に突き出すところから始めるべきなんじゃねえか」
「まあ、我のためなのじゃ。許してやろう……」
「ほら、本人がこう言っているので何も問題ありません!」
「そうなのかなあ……?」
男性陣は、目の前の豊穣神と神官を見て首を傾げた。
こうして皆で準備を進める日々が流れ、ついにイナリ達がアルテミアへ向けて発つ日が訪れた。
思ったより準備パートに話を割いたので、今回までを旅の準備編としまして、次話からいよいよ旅編です!
200話目にしてようやく遠くに行く主人公がいるらしい……。
 




