197 出発準備(4) ※別視点
エリス視点です。
木の下に座ると、私の腕の中でイナリさんが寝息を立てはじめます。前から思っていたのですが、眠るときは本当にすごい早さで眠りますよね、この子。……「子」なんて本人に言ったら怒られちゃいますかね。
「さて、私も一緒に寝たいところですが、その前に……そろそろ出てきたらどうですか?」
私が木の後ろの方へ向けて声をかけると、少し前に私達に訪ねてきた、イナリさんの姉妹を自称し、イナリさんにどことなく似た雰囲気を纏いながらも、装いや口調、性格は似ても似つかない、黒髪の少女、アースさんが現れます。そこにはイナリさんと同じく、狐の耳と尻尾があります。
アースさんはやれやれと言った様子で口を開きます。
「……全く、あなたが展開した結界に引っかかってしまったのね。随分拙い仕組みだとは思うけれど、まあ、うちのイナリを守るための措置としては上出来じゃないの?」
「いえ、結界は関係ないです。三十分くらい前からずっと、木の幹から尻尾が見えていました」
「……ふん、試していただけよ。よく気がついたわね、褒めてあげるわ」
「は、はい、ありがとうございます……?」
前言撤回です。ちょっと抜けた部分がある辺りはものすごく姉妹っぽいです。尻尾がまるで動揺と恥じらいを隠せていません。
「全く、肝心のイナリも寝てるし、こんな事なら耳と尻尾を生やす必要なんて無かったわね」
私が反応に困っていると、アースさんは指を鳴らして耳と尻尾を消しました。今度は私が動揺する番です。それを悟られないよう、落ち着いた風の声を装って尋ねます。
「……それ、消せるんですね。イナリさんも出来るのですか?」
私がそう言うと、アースさんは困った表情になりながら口を開きます。
「……あの、神たるこの私にする最初の質問がそれでいいの……?」
「いえ、これは重要な論点です。もしそうだとしたら、困るので。どのようなイナリさんでも受け入れるとは誓っていますが、耳と尻尾が無くなるのはあまりにも損失が大きすぎです」
「はあ。……まあ、気持ちはわかるわ。イナリの尻尾、もふもふしてていいわよね……」
「そうなんですよ。尻尾はさることながら、耳も素晴らしいです。本人は自覚が無いのでしょうが、私が頭を撫でる時はいつも……って、今はそんな話は関係なくて。そこのところ、どうなんですか?」
「ちょっと気になるところはあったけれど……まあ、安心しなさいな。私がイナリに合わせて耳と尻尾を生やしただけよ。だから、イナリの耳と尻尾が消えることは無いわ」
「そうですか、よかったです……」
私は安堵しつつ、その事実を噛みしめるように手元のイナリさんを撫でまわしました。なるほど、これは本物の質感。癒されますねぇ……。
「ちょっと、そんなことしたら起きちゃうわよ」
「いえ、イナリさんは寝始めたらしばらくのうちは、余程のことが無い限り起きませんよ」
「そうなの?ならいいのだけれど。……待って、貴方、どうしてそれを知っているの?何か変な事、してないわよね?」
「ふふ、私はイナリさんと長い付き合いがありますからね、自然とわかっちゃうのですよ」
「ぐう……神に向かって何という物言い……!」
……やっぱり、困ると神という言葉を持ち出して対抗しようとしてくるところ、すごく姉妹っぽいですね……。
「ところで、アースさんはどうしてこちらに?」
「……そう、それよ!尻尾がどうだとかそんな話じゃなくて、そういう話を聞いて欲しかったのよ!この際、私をアースと呼んだのは目を瞑ってあげるわ!」
「あ、ありがとうございます……?」
手を合わせて満面の笑みになるアースさんに、私はどう接するべきかがいまいち定まりません。彼女が以前私達を訪ねてきた時は、もうちょっとキリっとした印象だったと記憶しているのですが。
「……さて、ここに来たのは、イナリから尋常でない恐怖の感情を感じ取ったからよ。それで心配になってしばらく観察してみれば、平和にイナリの力を使う練習をしてる風景を見せられた挙句、呑気に昼寝し始めるわ、その信者は尻尾がああだこうだ言うわ……どうなっているのよ?」
「ええっと、聖魔法の練習をしていたところ、私の姿がとんでもないことになってしまったようで……」
「……へえ?ちょっと見せてみなさい」
「え、今ですか?ですがイナリさんが……」
「起きないんでしょ?なら大丈夫よ」
「……そうですね……」
まさか自分の発言で首を絞めることになるとは……。
私は、封印すると決めてからほんの一時間程度で再度発動することにやや心苦しさを感じつつ、渋々、劣化版不可視術を発動します。
「『我が身を隠せ』」
「……うわっ、気持ち悪ッ!?」
「『我が姿を現せ』……やっぱり酷い見た目になってしまいますか」
アースさんが全力で不快感を表現し、私から距離を取りました。
「酷いなんてもんじゃないわね。いきなりこんなもの見せられたら、イナリも恐怖するわけだわ……」
どうにも、単にイナリさんが怖がりというわけでは無く、誰が見ても見るに堪えない外見になってしまうようです。
「うぅむ……」
何かを感じ取ったのか、私の腕の中のイナリさんがもぞもぞと動きます。
「……一応言っておくけれど、これは本当に封印したほうがいいと思うわ。イナリの力を媒介として発動しているものだから、神である私たちが見てる分には『怖い』くらいで済むけど、人間が見たら発狂間違いなしね」
「もとより封印する方向性ではありましたが、そこまでのものでしたか……」
「ええ。ともかく、原因は分かったから私は帰るわ。引き続き、うちのイナリをよろしくね」
「はい。私のイナリさんはしっかり守ってみせますとも」
「……あなた、謙虚そうな顔してる割に、結構図太い性格してるわね」
「……?」
アースさんはそのセリフと共に、テレポートか何かを使ってその場を去りました。
「一体どういうことでしょう……。まあいいですかね……」
最後のアースさんのセリフは置いておいて、今回の聖魔法実験について考え直すことにしましょう。
確か、リズさん曰く、イナリさんの不可視術は、意識に作用するものとされていました。そして、聖魔法、つまり、神の力を媒介としている以上、神にも有効。つまり、私が発動したイナリさんの不可視術の下位互換の聖魔法は、見た者の意識を揺さぶり、悍ましい幻覚のようなものを見せると考えるのが妥当でしょう。
自分がどう映っているのか知りたい気持ちはありますが、そもそもイナリさんの信者は私一人で十分ですし、それで私が発狂したら元も子もありません。知らない方がいいこともありますよね。
ところで、ずっと引っかかっていることがあります。イナリさんは特に何も気にかけていませんが、聖魔法の実験過程で、非常に重要な情報が得られているのです。
それは、イナリさんの力でできない事を聖魔法は全くできないということ、つまり、イナリさんの力を使って火球を撃ったり、水を出したりはできない、ということです。
それを前提として、私は、聖魔法で植物を成長させることが出来ました。そして、植物を朽ちさせることも出来ました。これはつまり、イナリさんは、成長促進を逆転させることが出来ることを意味します。それこそ、今、テイルで猛威を振るっている魔王のように。
以前私は、魔王とは神なのではないかという仮説を立てました。今ならば、それは概ね間違っていなかったと言えます。
アースさんについては謎に包まれているので一旦置いておくとして、少なくとも、イナリさんは……奇跡的なバランスのもとに穏やかな状態を保てている、言うならば、「魔王化しなかった魔王」なのではないでしょうか。
そして、もしそのバランスが何らかの拍子に崩れたら、その時は……。
もしかしたら、アースさんの言う「守れ」というのは、人からの脅威だけを指していたわけでは無いのかもしれません。今度アースさんに会う機会があれば、しっかりと踏み込んだ議論をすることにしましょう。
何にせよ、本人が魔王と認定されていることを不服に思っている以上、この、私の腕の中で穏やかに眠る少女が本当の意味で世界の敵となるような未来は、絶対に避けなければなりません。そのためならば、私にできることは何でもしてあげましょう。
「大丈夫、私がついていますからね」
私はそう呟いて、イナリさんの体温を感じながら、静かに目を閉じました。




