196 出発準備(3)
鍛冶屋での用事を手早く済ませた後は、イナリ達はどこに向かうでもなく、漠然と街を歩いていた。
エリスからどこかに行こうと言われれば、それに頷く予定であった。しかし特に予定が無いのであれば、自分たち二人しかいないうちに進めておきたいことがある。
「エリスよ、この後、ちと付き合って貰えぬか。人気のない場所に行きたいのじゃ」
「ひ、人気のない場所ですか!?イナリさん、一体何をするつもりで――」
「我の力を使った聖魔法の検証並びに練習をするのじゃ」
「あ、はい」
「……何故、そんなに気を落としてしておるのじゃ?」
「いや、申し訳ありません。変な想像をした私が愚かなのです。死んで詫びます」
「落ち着くのじゃ。よくわからんが、許してやるから。だから落ち着くのじゃ」
イナリは突然懺悔し始めたエリスを全力で宥めた。
「……失礼しました、少々取り乱してしまいました」
「ま、まあ、落ち着いたならよいのじゃ……。それで、どこか良い場所を知らぬか?できれば、それなりの広さがある屋外がよい」
「……うーん、候補は、パーティハウス、冒険者ギルド内の個人練習場、街外れ……あとは、いっそ、街の外とかですかね」
「ふむ。お主のおすすめは?」
「そうですねえ。折角イナリさんと一緒に外に出たのに、パーティハウスに戻るのは風情が無いので無しです。街の外も、ここを発つ前に獣人とトラブルが起こると困るので、無しです」
「危険視するもの、魔物とかじゃないんじゃな……」
「それも無いことは無いんですけど、今はそれ以上に獣人との接触が危険です。イナリさんが街に出入りしているのを見て、『俺たちも入れろ!』だとか言い出すと困るでしょう?」
「確かにそうじゃな。想像に難くないのじゃ」
イナリは以前街門で見た血気盛んな獣人を思い出し、顔を顰めた。
「あとは冒険者ギルドですが……どうでしょう、場所が空いていないと、行くだけ無駄になってしまいます。イナリさんとの貴重な時間を無駄にはしたくありませんが……」
「ならば、そこも無しじゃ。となると、街外れに行くということかの?」
「そうしましょうか。それなりに景色がよく、人気の少ない場所を知っています。そこに行きましょう」
「ふむ、案内するのじゃ」
「はい。あ、折角なので、昼食を買って行って、そこで食べましょう」
「うむ。美味なものを頼むのじゃ」
この後の予定が決まった二人は、商業地区の方面へ向けて歩き始めた。
昼食として買ったサンドイッチを買った後、イナリが連れてこられた場所は、街を囲むように造られた壁の近くで、恐らく街の中でも数少ない、高台になっている場所であった。
高台とは言っても、崖があるとかいうわけでもなく、ここまでは実に緩やかな坂道であった。また、見た限り、この街の一般的な住宅の高さの二、三倍程度の高さの違いしかなさそうだ。
とはいえ、この辺りの建造物は少ないので、やたらと白い教会や、尖った意匠が目立つ魔法学校、以前魔王を見た時に登った塔など、街の大まかな景色は一望できる。
「……なるほどの。確かに中々良い景色じゃ。……後方の壁さえなければもっと良いのじゃが」
街の中心部を見るイナリの後方には、それなりの高さの街壁が聳えている。そちらの方を見なければ何の問題も無いのだが、街をぐるりと囲む壁が醸し出す存在感と圧迫感は、中々のものである。
「あはは、そればかりはどうしようもありませんね……。ここ、教会の同僚に教えてもらったんです。ここなら、大体門と門の間辺りで何もないので、人が来る心配もありません。それに、そこの木の下なんか、お昼寝に最適ですよ」
エリスは近くに生えているそれなりに太く大きな木を示した。
「ふむ、それは良いのう。では早速、食事をしようではないか」
「あ、聖魔法の練習は後回しなんですね……?」
「昔どこかの人間が、『腹が減っては戦ができぬ』とか言う言葉を残していたからの。座右の銘の一つにしておる。……戦の経験は無いがの」
「何ともパッとしない銘ですね……」
イナリの言葉に、エリスは苦笑する。
「まあ、お主が練習を先にしたいというのなら、我は食べながら見ておくから、やってみるが良いのじゃ」
「いえ、当然ご一緒させていただきますとも。また喉に詰まらせてはいけませんからね」
二人は木の下に移動して座ると、籠からサンドイッチを取り出した。
「ふう、美味であった。満腹じゃ。……では、聖魔法の練習をしようではないか」
「はい」
「ええと、確か前回は……魔法と同等かそれ未満の術を使ったんだったのう」
「ま、まだ根に持っていらっしゃいます……?」
「……そうだと言ったら?」
「えっ!?えぇと……」
「くふふ、冗談じゃ。これからの可能性に期待、じゃろ?」
「そ、そうです。はあ、ビックリしましたよ……それで、何をしましょう?」
「まずは前回試していなかったもの、不可視術を試すのじゃ!」
イナリは指をびしりと立てた。
「不可視術、ですか。そもそも、あれって聖魔法の括りなのでしょうか」
「さあの。そも、聖魔法がわからぬし……ともあれ、我の力の一環のはずじゃから、それらしいことはできるのではなかろうか?」
「なるほど。では早速やってみましょうか……あ、その前にイナリさんの力を知覚し直します。まだいまいち慣れていないのですよね……」
エリスはそう言うと静かにその場に佇み、その後、唐突に詠唱を告げる。
「『生えろ』……あ、いい感じですね」
エリスの目の前の芝生がもこもこと動き、周辺よりやや突出する。イナリの力を問題なく知覚したようだ。
「それで、ここから……どうしましょう」
「さあ……?」
「ふふ、まあ、そうですよね。では例によって、それらしい言葉を言ってみましょうか。『我が身を隠せ』――」
エリスがそう言うと、突然エリスの姿がぼやけ、ノイズが走ったような状態になる。先ほどまで仲良く食事をしていた者が、突如形容しがたい形相になる体験に、イナリは動揺した。
「えええ、エリス、お主大丈夫か!?生きておるか!?」
「縺ッ縺?シ」
「は?」
イナリの精神がガリガリと削られていく最中、エリスらしきものがイナリの方へ、音を発しながら近づいてくる。
「逕溘″縺ヲ縺?∪縺吶h縲ゅう繝翫Μ縺輔s縲√←縺?@縺溘?縺ァ縺吶°??シ」
「ひ、ひあぁ、何言ってるかわからん!怖い、怖いのじゃ!!」
イナリは腰を抜かし、涙目になりながら全力で後ずさった。
「騾?£縺ェ縺?〒?∫ァ√?√←縺?↑縺」縺ヲ繧九s縺ァ縺吶°??シ」
「か、解除するのじゃ、エリスよ!元に戻ってくれ!も、戻ってぇ……!」
イナリは恐怖のあまり、頭を抱えて防御の姿勢をとった。
「隗」髯、縺ァ縺吶°?……『我が姿を現せ』……イナリさん、大丈夫ですか!?」
正常な状態になったエリスが慌ててイナリのもとへ駆け寄ってくる。その姿を認めたイナリは、エリスの胸に飛び込んだ。
「エリスッ!……は、はあ、こ、怖かったのじゃ。戻って、よかったぁ……」
「わっとと……イナリさん、私、どうなっていたんですか……?」
イナリを受け止めたエリスは、背中をさすりながら状況について尋ねてくる。
「何か、エリスらしき何かになっていたのじゃ。何を言っているのかもわからぬし、次第にエリスであったかどうかも、わからなくなってきていた気がするのじゃ……」
「そ、そんな酷いことになっていたのですか。これは封印ですかね……」
「そうした方が、良いのじゃ。……ぐすっ、本当に、よかった……」
「怖かったですね、よしよし……」
エリスは、イナリの精神状態が回復するまで、しばらく彼女を宥め続けた。
そしておよそ一時間後。
「……多分、というかよく考えれば当然の事じゃが、聖魔法で我の術をそのまま転用することはできぬらしいのう」
イナリは聖魔法の検証結果を総括する。
「そうですね。成長促進は一定範囲内の植物を成長させるだけで――」
「だけ?」
「……すみません、『だけ』は語弊がありましたね。……それに、風を操る力も、結局イナリさん程器用には扱えず、かなりスケールダウンしていると言わざるを得ませんね。ただ、リズさんなどに意見を求めれば、有益な情報が貰えるかもしれませんが」
「そうじゃな。それらについてはそこに一縷の望みを託すとして。……不可視術も酷かったのう」
「そうですね。恐らく、中途半端に不可視術が発動していたということですかね?そもそも、正常に発動していれば、その場にいたイナリさんには正常に私の姿が見えるはずでしたし」
「まあ、そういうことであろうな。……あと、我の取り乱した姿は忘れてくれたもれ」
「……いや、あれも立派な思い出の一つに刻まれていますので……」
「……ぐぬぬ、忘れるのじゃ……!」
イナリはエリスをぽかぽかと叩いたが、扉も満足に開けられないイナリの力量では、ただじゃれついているのと同義であった。その生産性の無さに気がついたイナリは、ぴたりと動きを止め、腕を下ろして溜息をつく。
「……はあ、何か、疲れたのじゃ」
「そうですね。……少し、昼寝しちゃいましょうか」
エリスはニコリと笑いながら、木陰を指さしてイナリを見る。
「ふむ、そうさせてもらおうかの」
「そうこないとですね。誰も来ないとは思いますが、人が来たら検知できる結界を貼っちゃいます」
「人気のない外れとはいえ、街の中で魔法を使って良いのかや?」
「まあ一応の理由がありますし、害もありませんから大丈夫ですよ。……多分」
「ふうむ、何じゃかなあ……」
イナリはエリスにじっとりとした目を向けつつ、木の下へと歩いて行った。
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