163 相談事
「……美味いな」
オリュザを食べた店主は開口一番に端的に感想を呟く。
「そうか、魔の森で育てるとこんな風になるのか。遠くから仕入れる代わりに魔の森で栽培するのも手か……?いや、でも魔王の影響で育ったものだと考えるとな……」
「冒険者に依頼すれば、何方かが受けてくれるかもしれませんね?それに、特に魔王が討伐された後の土地に顕著ですが、魔王の影響の残滓を利用した産業も幾らかありますから、そう忌避感は抱かなくても良いと思いますよ」
「神官さんが言ってくれるなら間違いないな。少し考えてみよう」
エリスと店主の会話をよそに、イナリは一人腕を組んで考える。
「ううむ……」
「……嬢ちゃん、どうかしたのか?」
「あれ、イナリさん、さっき美味しいって言ってましたよね?私もとても美味しいと思いましたよ?」
「いや、何じゃろうな……。美味じゃし、店主の腕に問題があるわけでもないのじゃが、やはり違うんじゃよな……」
不思議そうにイナリを見る二人の視線を受けつつ、イナリは椅子にもたれかかり、天井を眺めながら考える。
そしてしばらくうんうんと唸った後、一つの可能性に思い当たる。
「……のう、あれは人参で、そっちは大根じゃ。合っておるか?」
イナリはオ厨房に見える野菜を指で刺し、その名前を挙げて尋ねる。
「あ、ああ。それがどうかしたか……?」
質問の意図がわからない店主はやや緊張した面持ちで答える。それを聞いたイナリは露骨にがっかりとした表情をつくる。
「……そうか……」
「イナリさん、どうしたのですか?」
「いや、受け入れがたいが、辻褄が合う可能性を見つけてしまってな。……オリュザと米は、別物、似て非なる何かではなかろうか」
イナリがこの世界にやってきてから、異世界言語こそわからないものの、人参や大根といった言葉が一発で伝わるのに、米だけが伝わらないというのが変だとは思っていた。
最初は異世界なら地球とは呼称が違って当然かとも思っていたが、それならば、それ以外の呼称が一切変わらないというのは、それはそれで違和感しかない話である。
あるいは、産地や栽培方法に問題があるのかと言えば、それもまた違う。たとえ砂漠に植えようと都会の鉢植えに植えようと、イナリの成長促進の恩恵を受け、かつ塩を撒かれたりしていない限りは問題なく育つし、全く同じ出来になる。
そういった考えを突き詰めて辿り着いたのが、オリュザと米はそもそも別の物だという結論である。
別にオリュザが美味しくないというわけでは無い。ただ、期待していた物と実際に口にしたものとのギャップが、イナリの心に穴を空けているのだ。
「その、コメって言うのが何かわからないからな、俺からは何も言えない」
「エリスも聞いたことが無いのじゃよな。ううむ、店主も知らないとなると、米の存在は望み薄か……」
「イナリさん……」
目に見えてしょんぼりとした態度をとるイナリに、エリスもかける言葉が見つからず、ただ頭を撫でて慰めるに留める。
「いや、少なくとも店主の前でこういった話をするのは無粋であるな。先にも言ったが、お主の料理の腕は確かじゃし、実に美味であったのじゃ」
「そう言ってもらえると嬉しいし、作り甲斐があるってものだ。米って言うのを見つけたら、俺にも是非食べさせてくれ」
「うむ。他の客も居るのに、長く引き留めてしまって悪かったのう」
「いや、今はピークの時間帯じゃないし、今いる客も常連が殆どだから気にしないさ」
「そうか、そう言ってもらえると助かるのじゃ」
「しかし、長居するのは良くないですし、今日のところはお会計してお暇しましょうか」
「うむ。また来るのじゃ」
エリスは懐から定食の代金を取り出して店主に渡した。
イナリはその様子を見届けると、店を出るエリスの後を追って他の客の後ろを通過し、店の外に出た。後ろからは店主の挨拶が聞こえてくる。
「毎度思うのじゃが、あの店の客は、我の尻尾がぶつかっても何も言わないのじゃな」
「そりゃイナリさんの尻尾がぶつかるなんてご褒……いや、神様と触れているようなものなのですから、当然ですよ」
「確かに、それもそうか。我にあやかっていると考えれば理解できるのう」
二人は手を繋いで家事に着いた。
二人が家に戻ると、家の前に立っている人影に気がつく。
「ん?あやつは……」
「……あっ!イナリちゃん!」
振り返ってイナリの姿を認めると、長くピンと立ったウサギ耳をピコピコとさせ、笑顔で駆け寄ってくる少女は、ハイドラである。
「ええと、こちらの方は?イナリさんのお知合いですか?」
「うむ。こやつがハイドラじゃ」
「ああ、この方でしたか!改めまして……私、エリスと申します。イナリさんを保護する傍ら、『虹色旅団』に所属しつつ、神官の回復術師として働いています」
「はい、リズちゃんから色々聞いてます!私はハイドラです!錬金術師として働いてます!ウサギ印のポーションを売っているので、よろしくお願いします!」
「……して、お主はどうしたのじゃ?リズはもうおらぬぞ?」
二人が自己紹介を終えると、イナリは早速用件を尋ねる。
「……ちょっと、外で話すのは危ないかもしれないから、家の中に入れてもらってもいいかな?」
「ええ、是非とも上がっていってください。お茶も淹れましょうか」
「あ、いえ、そこまで長居はしませんので、お気になさらず!」
エリスはハイドラを家に招き入れ、三人はリビングのソファに向かい合って座る。
「今回はですね、イナリちゃんに作ってもらったポーションの代金を渡しに来たんですけど……」
「なるほど。先ほど我らもその話をしたのう」
「……ええと。こちらを……」
ハイドラは鞄から金貨を五枚取り出して机に並べた。
「ふむ、ポーション一つで金貨一枚ということか。ポーションの相場を聞いた限りじゃと、中々良いのではないか?」
「一個分だよ」
「む?」
「……これ、ポーション一個分の値段だよ」
ハイドラはそう言うと、さらに五枚ずつ金貨を並べていき、机上には計二十五枚の金貨が並べられる。
「これが今回イナリちゃんに作ってもらったポーションの売り上げ、だよ……」
「……ふむ」
イナリはひとまず返事を返し、続きを促す。
「私もどれくらい吹っ掛けられるかなーって思いながら売り込んだら、思った以上にウケが良くて……。ただ、流石にコストに対して価格が高すぎて良心が痛んだから、金貨五枚で止めておいた……」
ハイドラは居心地悪そうに、声を落としながら話した。
「エリスよ、この額はどれくらいの額なのじゃ?」
「ええっと……私がイナリさんに養ってもらう未来を思い描けるくらいの額ですかね……。思い出してください。私が毎日イナリさんに渡しているお小遣い、二千五百日分です」
「なるほど、それは……すごいのう」
「正直、イナリさんを養う生活も良いんですけど、養われる生活もそれはそれで良い感じがしてきましたね。この辺は要相談でしょうが、イナリさんはどっちが良いですか?」
「……エリスさんって、リズちゃんから聞いた通りの人なんだね……」
「うむ。こやつはずっとこんな感じじゃ……」
「ま、まあいいや。で、このお金、どうしようかって言う相談をしに来たの。一応私は殆ど分配してもらわなくてもいいんだけど、額が額だから、改めて決めた方が良いかなって」
「しかしのう、我は金銭があっても大して使わぬし、お主が好きにしたら良いのではないか?」
「実際、イナリさんに関する出費は殆ど私が出してますし、お小遣いもイナリさんが一人の時のために渡している物ですからね」
「うーん……じゃあとりあえず、私は十枚貰うね……?」
ハイドラは恐る恐る金貨を十枚、彼女の鞄に戻した。
「それでよい。エリスよ、これはお主に預けるのじゃ。我には手に余る」
「ギルドに預けたりもできますが、私で良いのですか?」
「うむ。ギルドは煩雑そうじゃし、いちいち足を運ばねばならぬのが億劫じゃ」
「なるほど、イナリさんにとっては確かにそうですね。それに、金貨を下ろしたところを見られて目をつけられると、間違いなく巻き上げられますからね」
エリスはイナリに代わって十五枚の金貨を回収した。
「で、これからの話なんだけど。あのポーションを作るのはイナリちゃんの自由だけど、売る頻度は相当抑えた方が良いと思う」
ハイドラは真剣な表情でイナリに告げる。
「それは何故じゃ?」
「あくまで予想でしかないけど、あのポーションをポンポン世に送り出すと、間違いなく同業者から顰蹙を買っちゃうと思う。錬金術師の中には倫理観が終わってる人もいるから、イナリちゃんが嫌がらせされたり、下手したらこのパーティにポーションを売らないとか、そういうことをするような人も現れるかも」
「なるほど、それは少々困るのう。我だけならまだしも、我の仲間にまで被害が及ぶのは許容できぬ」
「いや、イナリさんに被害が及ぶのも許容できませんよ」
「うん。というわけで、金額は維持しつつ、販売頻度は月に一回とか、そういうレベルまで落とすことにしようかなって。前もそんな感じの話はしたけど、改めて言っておくね。あと、イナリちゃんが定期的に私のところにポーションを持ちこむといつか怪しまれるから、私がたまに遊びに来て、ついでにポーションを受け取りに来る感じにしたいな」
「ふむ。良いのではないか?」
「ええ、問題無いと思いますよ」
「じゃあそれで決まり!もし何か問題が生じたりしたら、また追って相談しに来るね!じゃあ、私はこれで!エリスさん、イナリちゃん、お邪魔しました!」
「はい。またいつでも来てくださいね」
「はい!」
イナリとエリスは玄関に移動し、ハイドラを見送った。
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