160 リズの見送り
イナリ達は現在、アルテミアへと出発するリズを見送るために、魔の森とは反対方向の街門を出て少し歩いた場所にある、馬車乗り場へと来ていた。
「イナリさん、はぐれないようにしてくださいね」
「うむ」
以前新聞でも見た通り、魔王の影響を恐れてここから離れようとしている者も多いのか、ここ一帯は人で溢れかえっている。
「ええっと、先生が取ってくれた馬車は……これかな。……あ、先生!」
リズが手元のメモ書きと周辺を照らし合わせて確認し、ウィルディアの姿を認める。
「やあ、リズ君、それにパーティの方々も。それに、風の噂でイナリ君には色々あったと聞いたが、大丈夫なのかい」
「うむ、おかげさまでの」
「そうか、それはよかった。それにしても悪いね、本当はゆっくりとした馬車の旅を楽しみたかっただろうが、しばらくは乗合の馬車を使うことになってしまった」
「いや、冒険者やってたらよくある事だし、全然平気だよ」
「そう言ってくれると助かるよ。ああ、それにエリック殿とエリス殿も。先日は挨拶できず、申し訳ない」
「いえいえ、こちらこそ。リズにはいつも助けられてますよ」
「そうか?どちらかと言うと助けた時の方が……」
「ディルさん?」
「ああいや、何でもない」
余計な事を口走りかけたディルをエリスが阻止する。
「まあ、言いたいことはわかるよ。リズ君と私は相当長いこと付き合ってきたわけだからな」
「あはは、ありがとうございます……」
ウィルディアのフォローにエリックが苦笑する。
「さて、馬車の出発までそう時間は無いし、こんな混雑している場所で長話をするのも悪いだろう。リズ君、何か話しておきたいことがあれば、早めに言っておくといい」
「んー……まあ、大体話すべきことはもう話してあるし……一言ずつでいいかな。エリック兄さん、仕事のし過ぎには気をつけてね。ディル、他人に自分と同じ量の訓練を強要するのはやめてね。エリス姉さん、リズが居ないのをいいことにイナリちゃんに好き放題しちゃダメだよ。イナリちゃん、何かあったらすぐ皆に相談するんだよ」
「……リズ君。きみのパーティは……本当に大丈夫なのか?」
リズが順番に一言述べていく様子を見て、ウィルディアが訝しむ。
「うん。皆良い人だよ。各々が特定の物事に入れ込んでるだけだから」
「……そうか。じゃあ、少し早いが先に乗り込んでおこうか。余裕のある人数設定のはずだが、後になるほど席が窮屈になることが予想される」
「うん、そうだね」
リズが馬車の荷台に登って振り返る。
「じゃあ皆、いってきます!」
「いってらっしゃい、楽しんでくるんだよ!」
「気をつけるのじゃぞ~」
「トラブルを起こして、ウィルディアさんに迷惑を掛けたりするなよ」
「怪我には気を付けて、あと、重すぎる魔道具を買わないようにするのですよ」
「わかってるわかってる!あ、手紙もちゃんと出すからね!それじゃ!」
「……では、私もこれにて失礼する。リズ君のことはしっかり気にかけるので、ご心配なく」
馬車の奥に進むリズに続いて、ウィルディアも荷台に足を掛ける。
「はい、よろしくお願いしますね」
「あ、待つのじゃ!これを渡すのを忘れておったのじゃ」
イナリは懐からポーション瓶を二つ取り出してウィルディアに手渡した。
「これは?」
「我が作ったぽーしょんじゃ。疲れたら飲むが良いぞ」
「ほう、ありがたく頂いておこう。後で手紙に感想もつけておくよ」
「うむ」
ウィルディアはポーションを鞄にしまって荷台に入っていった。
「では、私達も戻りましょうか」
「そうだね。あまり長居しても迷惑になりそうだ」
イナリ達は早々に馬車乗り場から撤収し、街門の検問の待機列に並ぶ。少し街を出ただけであるが、街を出た者は等しく身分証や所持品等、諸々確認されるのだ。
ただ、その列は長蛇である。少なくとも、イナリが普段家に帰る時に利用している東側の門とはまるで様相が違う。
「……おかしいのう。魔王を恐れて外へ出るのはわかるが、だとしたら何故この街に来るものがこんなに大勢いるのじゃ?」
「少し前までは冒険者向けの商品を持ちこむ商会の姿が多かったですが……今はテイルからの避難者が増えているようですね。列の前後に獣人の集団が居ます」
「む、どこじゃ?」
イナリは軽くその場で飛んで獣人の姿を確かめようとするが、ディルがその方に手を乗せ、跳ねるイナリを制止した。
「……あまりキョロキョロするなよ。目が合ったら戦闘開始になる種族もいるんだ」
「本気で言っておるのか……?血気盛ん過ぎるじゃろ……」
あまりにも過激すぎる文化にイナリは困惑の声を上げる。
「こればかりは文化ですからねえ、どうしようも……」
「流石にこの街に来てまで自分たちの文化を押し通す獣人は居ないとは思うけど……気を付けるに越したことは無いよ」
「ううむ、厄介じゃな……」
「エリス、一応言っておくが、間違っても獣人の尻尾に触ったりするなよ」
「ええ、当然です。この前、イナリさんと他の獣人には触れないと約束しましたし、イナリさんに敵う存在は居ませんからね」
「……イナリも大分毒されてるんだなあ……」
「む?」
ディルの憐れむような目に、イナリは首を傾げた。
そんな一幕もありつつ、ゆっくりと列が進んでいく。適当に空を飛ぶ鳥を眺めたり、地面に転がる石を拾いあげてエリスと品評したりしていると、列の前方から怒声が聞こえた。
「む?何だか前の方が騒がしいのう」
「ああ、確かに、僕たちの少し前にいた獣人が何か揉めてる様子だね。うーん、何事も無いと良いんだけど……」
「流石に何を言ってるかは聞き取れないな」
「ふむ、我に任せるが良いぞ。何々……?『テイル国では複数の部族の頂点にいた』……『俺たちを街に入れないということはイーストベアー族を敵に回すということ』……『お前の両親の――」
「イナリさん、そこまでで大丈夫です。それ以上は多分……ものすごく下品な言葉です」
「なんと、それは危なかったのう。我は神として相応しい言葉遣いを心がけねば」
「ええ、ぜひそうしてください。イナリさんはちょっと背伸びしたその言葉遣いが一番いいです」
「む、背伸びとはどういうことか――」
イナリがエリスの言葉を問いただそうとすると、前方から叫び声や金属がぶつかり合うような音が聞こえる。
「おおっと、問題になっちまったみたいだな」
「察するに、これが新聞で言うところの種族間衝突というやつかの」
「そういうことでしょうね。私達も向かうべきでしょうか?怪我人が居たら助けないといけません」
「……見た感じその心配はなさそうだけど、そのイーストベアー族の人がこっちに歩いてくるよ。気を付けて」
エリックの警告に合わせて一同は身構え、イナリはエリスの背後へと回される。
「チッ……この街もダメか」
「獣人だからってバカにされてるんだ!もっと強気に出ないと人間にはわからない!」
「ふん、木を生やすだけのショボい魔王でビビってるような街に来たのが間違いだったな」
重く威圧感のある声がイナリの横を通過していく。なるほど、姿こそわからないが、声だけでも十分、目が合ったら闘いになりそうという評価が妥当そうに思えるようなものであった。
「……行きましたね。怖かったですねえ、イナリさん」
エリスはイナリの頭を撫でながら告げる。ただ、彼女は怖がっていたというよりかは、ただ撫でる口実が作りたかっただけのように見える。
「お主、割と余裕があるじゃろ」
「あら、バレてしまいましたか。まあ、あんな感じの人たちで溢れかえっている国で長いこと研修してましたからね。あれでだいぶメンタルは強くなりましたよ」
「何となくだけど、エリスが冒険者として長いこと活動できている理由の一つでもありそうだよね」
「確かにな。ただ、今はイナリが居ないとそれはもう悲惨なことになっているが」
「それとこれとは話が違いますからね」
そんなトラブルに見舞われつつ、ようやくイナリ達の順番が回ってきた。イナリは懐から冒険者証を出し、まとめて提出するためにエリックに渡す。
「身分証と魔力認証を」
イナリ達が近づくと、兵士の一人が機械的に話しかけてくる。その様は、話し方から手続きの厳重さまで、フレッドの時とは大違いである。
「待つのじゃ。我、魔力が無いのじゃが」
「はい?……ああ、特例があるのですね。なるほど、ブラストブルーベリーを食べて本人確認……?必要な実は持っていますか?」
「うむ。この通りじゃ」
イナリは懐から実を取り出し、口に放る。一瞬兵士が驚愕するが、すぐに平静を取り戻す。
「……はい。確かに。通って結構です」
兵士は回収した冒険者証を返却する。
「あの、先ほど獣人の方とトラブルがあったように思うのですが、怪我人はいらっしゃいますか?私は回復術師なので、治療ができます」
「ああ、問題ありませんよ。お気遣いありがとうございます」
「ふむ。何というか、全くもって動揺しておらぬな」
「もしかして、ああいう輩はよく来るんですか」
ディルが後ろを軽く見やりながら尋ねると、兵士は遠くを見て答える。
「ええまあ。最初こそ混乱がありましたが、今は手慣れたものです。あ、街に通している獣人の方々は、善良な方が殆どですから、偏見なきよう。……ああいや、お仲間に獣人がいる方々に言うことではありませんよね。失礼しました」
わざわざこのような釘を刺すということは、獣人側だけでなく、人間側でも何かしらのトラブルがあったということなのだろう。
「……大変ですね」
「ええまあ。すみません、後ろが詰まっておりますので……」
「ああ、それは申し訳ない。仕事、頑張ってください」
「ありがとうございます。……次の方、どうぞ!」
イナリ達は兵士に軽く会釈しながら立ち去った。少し経つと、再び後ろから怒声が聞こえてくる。
「のうエリスよ」
「何ですか?イナリさん」
「……獣人って、あんなのばかりなのかや」
「まあ実際、あんなのばかりです。はい」
「魔王にせよ獣人にせよ、我とまるで違うものと同じ括りに分類される我の気持ち、わかるか……?」
「……心中お察しします。気を落とさないでください……」
エリスは静かにイナリの頭を撫でた。
 




