156 対峙
地中に埋まってから、果たしてどれくらいの時間が経っただろうか。イナリとグラヴェルは現在、無言で地中を進んでいた。
時間つぶしも兼ねて雑談をしていたグラヴェルは、体力の節約を理由に、かなり早い段階で喋ることをやめた。
それを見たイナリは最初こそ不思議に思ったが、極論、ただこの状況に飽きるだけのイナリと、空腹による生死が懸かっているグラヴェルでは全く話が違うのだ。それを察したイナリもまた、黙ることにした。
そんな状況になってから、実に長い時間が経過した今、遂にグラヴェルが口を開く。
「……手ごたえが軽くなってきた。そろそろ外に出られそうだ」
「本当か!?やっとじゃ……地中に埋まっているのはもうこりごりじゃ」
「もう少ししたら天井に穴が空いて、土が落ちるから気をつけるんだぞ」
「わかったのじゃ!」
ようやくこの状況に別れを告げることが出来る見込みが立ち、イナリは元気に返事を返す。
イナリが上を向いて、今か今かと天井から光が差す瞬間を待っていれば、その瞬間は突然訪れた。
天井に小さな穴が空いたかと思えば、そこを起点に天井部が崩れ、日光が暗かった穴を明るく照らす。そしてイナリは顔面から土を被る。
「…………」
「……まあ、警告はしたからな……」
「……うむ。我もちと、興奮しすぎていたやもしれぬな」
イナリは口に入った土を吐き出しながら答えた。土のおかげで、高揚していた気分は一気に鎮まった。
グラヴェルもまた体や服に付いた土をはたき落とすと、土を階段状に崩して上る。イナリもまたそれに続いて地上に出ると、両腕をぐいと上に伸ばし、凝った体を伸ばす。
「今は……いつじゃろうか?我らが地に埋まってから、どれだけの時間が経ったじゃろうか」
「そうだなあ……ひとまず、一晩は確実だろう。空腹もそうだが、眠くてたまらん……」
「ふーむ、確かにそうじゃな。一日中移動していたわけじゃしの……」
「ひとまず、何でもいいから、何か食べられるものは……あるな。魔の森の数少ない、いいところだ。食べるものには事欠かない」
グラヴェルは迷うことなく近くの木から実をもぎ取り、そのまま齧った。
「ほう、これは食べられるのじゃな!」
「ああ。本来この時期には食べられないはずなんだがな、魔王のおかげで食べ放題ってわけだな。ありがたいことだ」
「うむ、感謝するがよいぞ」
「いや、皮肉のつもりだったんだがな……」
グラヴェルは実を齧りながら呟く。折角なのでイナリも身をもぎ取って食べておく。柑橘系だったようで、爽やかな味わいであった。
「……して、ここからはどうするのじゃ?」
「君としては俺と一緒に居たくは無いだろうし、一刻も早く解散したいだろうが……安全な場所までは一緒に行動しないか?森は危ないからな。折角犯罪組織から抜けられたのに、森に子供を置いていっては話にならないだろう」
「うむ、良かろう」
「よし。そしたらまず、居場所を確認したいところだが……わからないな。俺が思っている現在地と実際の場所の乖離がどの程度あるか……」
イナリ達の周囲には大量の草木が生い茂っており、人工物はおろか、イナリが捕まる前に歩いていたような道すら見えない。現在地を特定するのは困難を極めるだろう。
「ひとまず、俺の当たりが正しければ、こっちの方角に村があったはずだ。そこまで行ってみようか。あまり離れないようにな」
グラヴェルは茂みをかき分け、歩き始めた。
「おっと、魔物だ」
「何じゃと?逃げるべきじゃ――」
「『ダートクリエイション』」
グラヴェルは魔法で土を持ち上げ、魔物に向けて乱雑にぶつけた。イナリが魔物の姿を認めるより先に、魔物は土に埋まって動かなくなった。
「さ、行こうか」
「う、うむ……」
敵対することがなくて本当に良かった。イナリは密かに安堵していた。
「おお、お主の言う通り、あれは村ではないかや」
イナリはグラヴェルの前に出て、前方に現れた小屋を指さす。例によって廃村だろうが、目印としての役目を果たすには十分である。
「ああ、少しあそこで休んで――いや待て」
「ぐえっ」
グラヴェルは先行するイナリの首根っこを掴んで止め、近くの木陰に引き寄せる。
「何じゃ全く!」
「大きな声を上げるな。誰かいるぞ。……いや、何か、かな……」
「んん?お主、一体何を……」
イナリが目を凝らしてみれば、目の前の村には、かつてイナリを追い立て、この丘を魔境化させるに至らせた間接的な要因でもある魔物達の姿があった。
「アレは……ええと、我が人間と勘違いして襲われたやつじゃ。名は知らぬ」
「ゴブリンだ。……もしかしたらとは思ったが、君、やっぱりただのお間抜けさんだよな……」
「はて、何の事かの。して、どうするのじゃ?退治するかや?お主なら、先ほどのようにガッとやってバッとやれば終わりじゃろ?」
「いや、あの様子だと、村ごと占拠しているはずだ。他にもわんさかいるだろうし、骨が折れるぞ」
「なるほどのう。一匹見たら千匹はいると思え、というやつじゃろうか」
「そんな感じだ。……ったく、ちょっと前までは居なかったのに……」
「どうするのじゃ?」
「安全な場所は無いし、魔の森で眠るのは自殺行為だからな……何とか耐えて森を出るしかないか。こんな事なら地下で少し寝ておくべきだった」
「ふむ、お主は休みたいのじゃな。……川の場所はわかるかや。広めの川じゃ」
「川?ああ、多少歩くことにはなるが……何だ、水が飲みたいのか?」
「我の家が川沿いにあるのじゃ。そこならば、何か知らんが魔物が寄って来ぬからの、安全に休めるのじゃ」
「……いまいち根拠に欠けるが……何もない場所よりはマシか」
「うむ。大船に乗ったつもりでいるが良いぞ?」
「というか……俺が行ってもいいのか?」
イナリの提案にグラヴェルは躊躇する。自分の行いを考えれば、イナリがそのような提案をすることに疑問を抱くしかないのだろう。
「構わぬ。お主には、我が生き埋めになるのを防いだという名誉があるのじゃ。ならば、たとえ人間社会における罪人であろうと、恩に報いてやらねばの」
「……そうか。そういうことなら辞退するのも悪いな。川はこっちだ。そこからは君に任せる」
「うむ」
二人は村を避けて森を進み、川へと到着する。イナリはその川が自身の家に繋がるものであることを確かめた上で、川に沿って進み、グラヴェルを案内する。
「……ところで、お主はよく森で正しい方角に進めるのう。普通ならば、森を歩けば軌道がずれて、目的地まで至らぬことの方が多いじゃろ?」
イナリはここを魔境化させた後、自宅に帰れなかった時のことを思い出しながら尋ねる。
「ん?ああ、コツがあるんだよ。土魔法を使って歩いてきた土を確認しているんだ。それで、思った方向に進めているかを確かめる」
「なるほど、参考にならぬことが分かったのじゃ」
「まあ、あまりメジャーな方法ではないことは確かだなあ」
「まあ、我も何かいい方法を検討してみるとするかの。さて、そろそろ着くのじゃ。この道を行けば我の家じゃ」
イナリは自宅に繋がる小道を示し、そのまま歩を進めた。
「なあ、道中であったデカい穴は何だ?」
「我の仲間が作った穴じゃ。トレント退治をしたときじゃな」
「あー、なるほど、随分派手にやったんだな……。いつからか全くトレントに遭わなくなったとは思ったが、そういうことだったんだな」
「うむ。多分、あの穴もじきに池となることじゃろう」
未だにリズが開けた穴には上流から水が流れこんでいる。そのせいか、道中川を流れる水の量は大幅に減っていた。きっとヒイデリ湖にも影響が出ていることだろう。
二人は雑談を交えつつ森を進み、遂にイナリの家へと到着する。
「さ、着いたのじゃ。ここでしばし休むが……む?誰じゃあれ」
「……ボスだ。君の言っていた話だと捕まっているのではなかったのか?」
「う、うむ。そのはずじゃが……」
イナリ達は互いに顔を見合わせ、再び前を向く。そしてボスとも目が合ってしまう。
ちょっと休むだけのつもりで来ただけなのだが、残念ながら、イナリ達にはもう一悶着ありそうだ。
 




