150 作戦開始
「い、イナリさん、どうして……?」
「我としても、その輩に一泡吹かせたいとは思っておったからの」
「そ、そうは言ってもですよ!?」
「お主の言わんとすることはわかるが、大丈夫じゃ。我も考え無しに頷いておるわけでは無いのじゃ」
ついでに言えば、イナリは単に復讐しようと思っているだけではない。
イナリとしては、さっさと安全になってくれないと、イナリ一人での行動が不可能になり、アルトとのやり取りができなくなってしまうのだ。それに、仮にこの作戦が失敗した場合、イナリに一人以上同伴させるというパーティ内での決定を撤回することが難しくなるだろう。
また、囮役をするとして、イナリには神器や神の力を伴った攻撃以外は通じないし、万が一連れ去られたりしたところで、不可視術、風刃、ブラストブルーベリー爆弾など、危機回避する方法は色々あるのだ。
それならば、成功率が上がるという案に乗らない手は無いだろう。イナリには確かな狙いがあってのこの返答なのだ。
「……本人がそう言うのなら仕方ないですね」
イナリをどうにか説得しようとしていたエリスは折れた。
そうしてイナリの返事により囮作戦の採用が決定すると、その後はとんとん拍子で計画が立てられていった。その際、もう自分が出る幕は無いだろうと思って舟をこいでいたイナリに話が振られた時は、とりあえず頷いておくことで解決した。
そして作戦当日の朝。
イナリ達は、魔の森側の街門の前に、十数人の兵士と、「虹色旅団」以外の数人の冒険者と共にいた。
「イナリさん、本当に大丈夫ですか?今からでも断った方が……」
「エリス姉さん、もう皆囮作戦前提で計画も立ててるし、流石にもう遅いんじゃないかな……」
「エリスは心配しすぎじゃ。言ったじゃろ?我なら大丈夫じゃ」
ここに来るまでの間、ずっとエリスはイナリの事を案じていて、逆にイナリが心配になるほどであった。
「ですが、イナリさんはこれから一人で敵地に乗り込むのですよ?」
「……そんな大げさに言わずとも、我は森を歩いておくだけじゃろ?そんな、我が戦うわけでもあるまいし……」
エリスはイナリを心配するあまり、これからイナリがすることを大げさに捉えているようだ。二人が話していると、兵士が一人歩いてきてイナリに何かを運んできた。
「イナリ様ですね。こちらが作戦に使う魔力発信機になります。肌身離さず持っておいてください」
「……何じゃコレ」
手渡されたのは、イナリのこぶしくらいの大きさの立方体であった。
「こちらを通して、イナリ様の居場所がわかるのです。これで我々はイナリ様の位置を常に捕捉します」
「なるほどの」
「……きっと大変だろうとは思いますが、ご武運を」
兵士はイナリに激励の言葉をかけて立ち去ったが、イナリはその様子を怪訝に感じた。
「……我、武運を祈られるような事、あるかや……?」
「そりゃまあ、犯罪者拠点の候補地の村に一人で向かうんですから、ご武運は祈られるでしょう」
「……?」
首を傾げるイナリの反応に思うところがあるのか、エリックが真顔でイナリに尋ねる。
「……イナリちゃん、今回の作戦はどういうものだと思ってる?」
「どういうって……我は森を歩くだけじゃろ?それで、我を捕らえようとしたものを捕らえる。……そうじゃろ?」
「……違うよ。今エリスが言ってたように、犯罪者たちがいる可能性がある場所を順番に巡回してもらうことになっている」
「……あれ、そんな話じゃっけ……」
「はい。その案が出て私が止めたとき、イナリさんが頷いてしまったので、仕方なくそういうことになっていますけど……」
「まさか、イナリお前、適当に返事してたんじゃないだろうな」
「い、いや、そんなことは無いのじゃよ?ほんとじゃ、ほんと。我、ちゃんと考えてたのじゃ」
イナリは慌てて否定した。厳密には、適当に返事をしていたことすらまともに覚えていないのだが。
イナリのこの反応を見て、パーティの面々は全てを察した。
「……なあ、何か、既に不安しかないんだが。本当に大丈夫か?」
「……もう作戦は始まってるから、後には引けない。大丈夫、作戦の核となる部分以外、身の安全を第一にはしてある。探知機が捨てられたり壊れたりしても、すぐに駆け付けられるようにもなっているし……」
ディルとエリックが小声で会話しているうちに、自然と部隊の移動が始まった。
「……何というか、作戦が始まった感じがしないのじゃが。こういうものなのかや」
「隠密作戦だからね、大々的に作戦開始を宣言するわけにもいかないし、表向きは魔の森の魔物の間引きってことになっている」
「ふむ」
「それよりお前、自分がどういう動きをするかちゃんとわかってるのか?」
「……当然じゃ。……こう……あれじゃろ?村に行くんじゃろ?」
「……」
「……一旦、作戦の復習をした方が良いかもしれませんね」
「そうしようか。いい?よく聞いてね」
エリックが説明した作戦の概要はこうである。
まず、犯罪組織の拠点があるとされている場所は、魔の森の中にある、イナリが廃墟化させた村、四か所のうちいずれかであるらしい。
イナリはこれから魔力発信機をもって、一人でそれらを順番に歩くことになる。設定上は冒険者等級を上げるために、大人の制止を振り切って危険を冒している少女、ということらしい。実際イナリは冒険者であるので、ありえなくはない設定だろう。
イナリが森を歩いている間、兵士や冒険者達はあくまでも森の魔物を殲滅する風を装って、イナリを中心に囲むように展開するらしい。これは、イナリが魔物に襲われないようにする意図も兼ねているようだ。
そして、何事も無く村を通り抜けたらイナリはそのまま次の村へ向かい、イナリに接触する者が現れたり、あるいは攫われたと判断されたら、その村に一斉に畳みかけるということだ。
「ただ、森はかなり移動が難しいから、すぐに駆け付けられるのは盗賊のディルとか、後は狩人みたいな、森での活動に特化した人になるだろうね」
「ふむ。しかし……魔力発信機なるこの賽をもってして、如何に我の身に何かあったことを判断するのかの?」
「それは例えば、相手から逃げようと引き返したりして進行方向が突然変わるとか、移動速度が明らかに変わるとか……逆に同じ場所に留まり続けて動かなくなったとか、かな」
「エリック兄さんの説明に補足すると、その魔道具から出る魔力をリズ達が拾って、その方向の変化から判断するの。その判断は複数人でするし、リズも担当するよ!」
「何となくわかったのじゃ。それと……この作戦が徒労に終わる可能性は無いのかや?」
「無いとは言い切れないけど……昨日時点でも不審な魔物の襲撃はあったらしいから、確実にいるだろうって言うのが兵士たちの見解だね」
「そうか。徒労に終わるのが一番悲しいからのう」
「私としてはイナリさんが怖い思いをするのが一番嫌ですけどね……」
「……元はと言えば我が決めた事ゆえ、致し方ないのじゃ。任された役目は果たしてみせるのじゃ」
イナリは細くやわらかい腕を曲げて、意気込んだ。
「まあ何度も言ってるが、何かあったら俺らでどうにかするからな、安心してくれ」
そうこうしているうちにイナリ達は魔の森に到着し、少しずつ周りに見える人の数も減り始める。
「そろそろ私達も別行動になりますね。最後に何か、確認したいことはありますか?」
「んんー、そうじゃな。万が一捕まった際、逃げられそうなら逃げても良いのかの」
「それはもちろんです。私の腕まで走ってきてくださいね」
「……考えておくとしよう」
「あ、俺から一つ。奴らを煽るような真似は絶対するなよ。必要以上に刺激すると、本来受ける必要のない痛みを受けることになる」
「……肝に銘じよう」
「……悪い、不安にさせたかもしれないが、重要な事だからな。まあ、お前はトレントの時と言い、餌や囮が向いてる人材だからな。自信を持てよ」
「何を言いたいのか全くわからぬ……これは励まされておるのか……?」
「リズの経験からするに、これはディルなりに励ましてるんだろうけど、言ってることが意味不明だし、無視しても良いと思うよ」
「そうじゃな」
「じゃあ、そろそろ本格的に森になるから、僕達も別れよう。イナリちゃん、この作戦はイナリちゃんが要ではあるけど、いざというときは自分の事を第一に考えて動いて大丈夫だからね」
「言われずともそのつもりじゃ」
「そっか。じゃあ、お互い頑張ろう」
「うむ」
そう言うと、エリスを除く面々がイナリから離れていく。
そして当のエリスはというと、イナリを抱擁しながら口を開く。
「……私、イナリさんに何かあったら本当に耐えられないので……絶対、無理はしないでくださいね」
「うむ。……お主はずっと、心配しすぎじゃ」
「ふふ、心配しすぎくらいで丁度いいのですよ。……それでは、また後で」
「うむ」
イナリは、名残惜しそうに離れていくエリスを、手を振りながら見送る。
そしてその姿が見えなくなったところで、自身が進むべき方角を見る。
「……久々の孤独じゃな。さて、行くか」
イナリは魔の森に足を踏み入れた。
 




