146 ディルとの交流
既に時は夕方。先ほどのようなことがあっては外にも出れないので、イナリは家で過ごしていた。
「ディルよ」
「なんだ」
「暇じゃ」
「……それ、もう三十回くらい聞いた気がするな」
「何か面白いことをして、我を楽しませてみよ」
「無茶振りが過ぎるだろ」
イナリは昼食を食べた後はすぐに暇になり、時間つぶしも兼ねて昼寝もした。だがしかし、昼寝から起きてもリビングに居るのはディルだけで、何か喋ったりするわけでもなく、依然として暇なのだ。
「というかそんなに暇か?それなら冒険者の心得でも読んだらどうだ」
「嫌じゃ、つまらん!我はの、できることがあるのに、それをしないこの状況に辟易しておる!」
「何を言ってるのかさっぱりわからん」
「つまり……今の状況は、目の前に食べ物があるのに、それを食べずにいる状態に近い、ということじゃ」
「……言いたいことはわかったが、何かできることがあるのか?」
「我はな、お主と交流し、親睦を深めるいい機会だと思っておったのじゃよ。ほれ、いつもはエリスやらエリックやらがおるじゃろ?」
「……まあ確かに。俺とか、あとエリックも、お前と二人で行動することは殆どなかったか」
「然り。故に、貴重な機会と思うておれば……わけわからん輩が来るわ、そのせいで外にも行けぬわ、話題も見つからんわでな……お主、我に聞きたい事とか無いのかや。我、神じゃぞ??」
「元々神に熱心って感じでも無えしな……別にって感じだ」
「別に!?そんなあっさりとした扱いなのかや……」
「逆に何を聞けばいいんだよ。世界の真理を教えてください、とかか?」
「それはそれで困るのう……ううむ……」
自分から苦言を呈しておいて何だが、実際に何を聞けばいいのかと問われるとなかなか難しい。世界の真理なんてイナリの管轄外の話題だし、地球の話を持ち出すのも中々厳しいものがある。
イナリが考え込んでいるのを見て、ディルが口を開く。
「細かい事情は知らないけどよ、お前、焦りすぎじゃないか?」
「……はて?」
「何というか、交流しないと!っていう必死な感じが伝わってくるんだよ」
「む、そんなことは……ううむ……」
イナリは即座に否定しそうになったところ、しばし一考する。
確かに、イナリは人との交流を、目標の中でもそれなりに上位に位置付けていた。交流と銘打っておいて何だが、その理由は結局、相互理解だとか、博愛だというよりかは、自分の居場所を確保し、そして奪われないようにするため、あるいは少しでも自身の味方をしてくれる者を増やすためという、かなり自己中心的なものである。
ともすれば、必死さが見え透けてしまっていた可能性もあるのだろうか。
「さっきも言ったが、過去に何があったとか、詳しい事情については聞かないが……俺の推測が正しければ、多分そんなに焦る必要は無い。とりあえず落ち着け。……ああ、あと、エリスとかに探られても、嫌なら嫌って言うんだぞ?あいつだって、言いたくない事吐かせてまでお節介したくは無いだろうしな」
「それは当然じゃが……」
「……と、まあ色々言ったが。交流が大事なのは確かだ」
ディルは手に持っていた紙をテーブルの上に置いて立ち上がる。
「何じゃ、色々言った割にお主も乗り気ではないか」
「まあな。別に否定しているわけじゃないし、本人が望んでるんなら、それを拒否するのも悪いだろ。で、前から思ってたんだが……」
「うむ、何じゃ?何でも言うが良いぞ?」
「お前、力が無さ過ぎだ。腕を中心に鍛える運動を教えるから、やるぞ」
「……正気かや?」
神に言うことがそれかと、イナリは慄いた。
「さ、これを持つんだ」
ディルは突然どこからともなく小さなダンベルを取り出し、ゴトリと音を鳴らしながらテーブルの上に置いた。
「……正気か……」
用意周到すぎるディルに、イナリはドン引きした。
「イナリさん、ただいま戻りましたよ!……あれ?また寝てるんですかね?」
エリスが扉を開けてイナリを呼ぶが、彼女が期待する声は返ってこない。
「うーん、なんだろ。どこかに出かけてるとか?」
「もう夜だし、流石にそれは無いと思う。明かりもついてるしね」
「どうしたんですかね?イナリさーん?」
イナリを求めてエリスがリビングへと移動すると、そこには椅子に座って頭を抱えるディルと、息も絶え絶えに長椅子に倒れるイナリの姿があった。
「……どういう状況ですか?これ……」
「おお、エリスよ。我はディルの訓練を乗り越え、強くなったのじゃ……」
イナリはヨロヨロと起き上がり、エリスの手を握る。イナリの足元には、小さな重りがついたダンベルが落ちていた。
「……どうじゃ。我の握力、見違えるじゃろ?」
「……そうですね。力が抜けすぎて全く握られた感じがしませんね」
エリスはイナリの手を揉みながら答える。
「ブラストブルーベリーを食べれば回復するだろうに、何でこんなことに……?」
「ディルが食べるなというのでな……」
「……虐待ですか?」
エリスが軽蔑の視線をディルに向けると、彼は慌てて否定する。
「違う。俺が間違ってたんだ。多少キツイくらいが丁度いいだろうと思ってやらせてたが、まさか基礎すらままならない次元だとは思わなくてな。とりあえず、実を食いたけりゃ食っていいぞ」
「うむ……」
「ああ……ディルの悪い癖が出た感じかあ……」
「一応本人が望んだ交流の一環なんだがな……。まあいいだろ、そっちはどうだったんだ?」
ディルは強引に話を切り上げさせ、エリックに話を聞く。
「よくはないように見えるけど……ええっと、誰も居なかったけど、誰かが潜伏していたであろう形跡は見つかったよ。下水道に置かれている地下室だった」
「そうか。こっちはまた変なのが来てな……。ギルド関係者を装ってイナリを連れて行こうとしてきやがった。ま、そいつは今ごろ要塞の牢獄にいるだろうがな」
ディルは重量感のある鉄球を持ち上げて上下に揺すりながら報告した。
「ええ!?イナリちゃん、また襲われたの?」
「襲われたってか、狙われた、だな。俺が未然に防いだが、こいつは普通に騙されかけてたし、いいカモとしてマークされている可能性が高そうだ。あいつ、お前らが出かけてから割とすぐに来たし、所属パーティとか、その辺もおさえられていた」
「なるほど、そんなことが。ますます許せませんね」
「もし……というか、ほぼ確実に下水道に居たやつらの一味か、あるいはそこから雇われたりしたのかもしれんが……とにかく、何かしらのつながりがある可能性は十分にある。早ければ明日にでも情報が引き出せるかもしれない」
「どうなんでしょうかね。その手の人々って全く口を割らないイメージがありますけど」
「そこはこの街の兵士の腕前次第だな。あるいはあの詐欺師野郎の、グループに対する忠誠心とかか。色々とツッコミどころが多くて練度も低かったから、幹部級では無いだろうし、口を割りそうだとは思うが。どの程度の情報を持ってるかとか、情報の真偽とかは置いておくとしてな」
「そうですか。でしたら早いところ、さっさと縛り上げてイナリさんとの安寧の日々を取り戻さないと……」
エリスが覚悟を決めるのをよそに、イナリはふと浮かんだ疑問を口にする。
「のう、この街は治安が良い方なのじゃろ?それで我がこんなに狙われているとなると、他の街に赴いたらどうなってしまうのじゃ?」
「イナリちゃんが狙われているのはかなりレアケースというか、珍しい事のように思うけど……。率直に言えば、他の街で過ごしてたら、一週間無事だったら奇跡、ってところだと思う」
「そ、そんなにか……」
「街にもよりますけどね。あくまで予想ですけども、イナリさんがテイルに行ったら悲惨なことになりそうです。あそこ、大半が、種族関係なく、人であれ獣人であれ神であれ、強ければ正義の武力社会ですからね」
「我、絶対行かないのじゃ……」
「それがいいと思います」
テイルにおけるイナリの地位は最底辺になること間違いなしだろう。イナリの返事に、エリスは深くうなずいた。
 




