145 昇進?
「で、何でこいつが昇進するんですか?」
ディルはイナリを指さし、怪訝な目をギルドの男に向けた。
「そりゃ、我の森での活躍が目に留まったのじゃろ。我、お主の背に括りつけられて連れ回されたのじゃぞ?大変だったのじゃからな」
「ええ、ご明察でございます。その活躍を鑑みましての昇進です」
「ふむ、殊勝な事じゃ。我の苦心を察してくれたわけじゃな」
イナリは腕を組んでうんうんと頷く。しかしディルはそこに待ったをかける。
「いや、それで昇進はおかしくないか?確かに、等級3までは上がりやすいとは言われているが……採取物や魔物の素材の納品を規定数しないと、昇進は絶対に不可能なはずだぞ。イナリにはこの前、少し話しただろ?ポンポン昇進しちゃ新人がどんどん死にかねない。……その辺、どうなってるんですかね」
「その疑問は尤もでございますが、『虹色旅団』の皆さまが依頼を遂行したという点も鑑みているのです」
「でも、こいつは仕事をしないハウスキーパーですよ。昇進して何ができるんですかね」
「酷い言われようじゃが、我に出来ることは色々あるのじゃ。思い出してみよ、皿を運んだり、野菜を切ったり……あれ、意外と無い?いやいや、そんな……」
イナリは腕を組んでこの家での記憶を辿ったが、エリスに癒しだとか言って抱きつかれていた記憶ばかりが出てくる。イナリはその事実が認められず、さらに記憶を探る。
「……まあ、こいつは放っておいてください。で、ギルド側の見解を聞きたいんですが?」
「少々言葉足らずでしたね、失礼いたしました。『虹色旅団』の皆様が今後活動する上で、等級を理由にイナリ様がその依頼に同行できないというのは不利益に繋がるだろう、ということでございます」
「まあ確かに、依頼の推定難度と等級があまりにも釣り合わなくておいていくことになる場合はあるでしょうけど……さっきも言いましたけど、こいつ、ハウスキーパーですよ。依頼について行くことなんて早々無いです」
「それならそれで結構です。とにかく、可能性を広げることが重要ですからね」
「……はあ、そうですか。ついでに、そもそもの話なんですけど、魔の森の魔境化が深刻化した際の調査依頼を引き受けたのは、名義上、俺とエリック、エリス、リズの四人だったはずですが?何でそこにイナリが組み込まれたんですかね」
「そこは魔境化に巻き込まれ、結果的に依頼の遂行に貢献したことによる特例として処理しております」
「……特例ですか。ギルド長がそんな事しますかね」
「ええ、書状はこちらに」
男が紙を懐から取り出して広げ、ギルド長のサインの部分を指さして見せる。そして、他に書いてある内容を読もうとしたところで再び閉じてしまった。
「……内容はわからんかったが、我が、許可証の申請をする際に見たギルド長の印と類似しておったのう」
「さて、これでご納得いただけたでしょう。一緒にギルドまでお越しください。ああ、ご本人様だけで結構ですよ」
「うむ。昇進して何が変わるのかはようわからんが、貰えるものは貰っておくのじゃ」
「いや、その必要は無いぞ」
「んあ?」
一歩踏み出そうとしたところでディルがイナリを引き留める。
「何じゃ。我が昇進するのが嬉しくないのかや」
「ちげーよ。というか多分お前、これ以上ないほど嘗められてるぞ」
「……む?」
「む?じゃねえよ。どこもかしこもツッコミどころしか無いだろ」
「ディル様、そのような事を仰られては困ります……」
「なら言わせてもらうがな。まず第一、お前誰だ?」
「は、はい?」
「ギルドの者なら名札があるじゃろ?こやつは、ええと……アント、だそうじゃ」
イナリは男の胸元を確認して伝える。
「名前を聞いてるわけじゃないんだよ……。エリック程ではないが、俺もちょくちょく冒険者ギルドには顔を出してるんだ。その俺が一度も見た事無いのはどういうことだ?」
「先ほども申しましたが、私、最近勤め始めた者ですので……」
「お主、己の無知を棚に上げるのは良くないぞ……?」
「何でお前はそっち側なんだ……じゃあいい。そこは俺の勘違いだとしてだ。いつから昇進のお知らせを家まで届けてくれるようになったんだ?」
「特例ですから、直々にお伝えするようにとのお達しで……」
「それも意味不明だが……」
「本来はどのようなものであるのかや?」
「……冒険者登録するときに説明されるはずなんだがな……。基本的にはギルド側で昇進が決定したら、その対象者がその次に依頼を終えた時に通知されるんだ。依頼達成です、これであなたは昇進しましたよ、みたいな感じでな」
「なるほどのう」
「で、仮に特例とやらが事実だとして、だ。そんな大事なもんを何でド新人に任せてるんだ?しかも大切なギルド長の書状とやらをお持ちなんだろう?意味わからんぞ」
「ああ、転勤ですので。完全な新人というわけでは無いのですよ」
「にしたって、そんなすぐに重要な役割を任されるか?それに、その手の書状には紐が付いているはずだろう。……あの……あれだ。外すと色が変わるヤツだ。名前は知らん。とにかく、ギルド長の書状なら絶対ついているはずだ」
「そういえば、先には見られなかったが、我が以前、許可証を得に行った時もそうであったな。そこはどうなのじゃ?」
「それは……」
自称ギルド関係者の男は言い淀む。それを見て、途端に胡散臭く見えてきたイナリは、何も言わずに一歩下がった。
「というわけで、近所の暇そうなやつに確認を取りに行ってもらおうと思うのですが、それまでお待ちいただいても?」
ディルが口調を改めてそう言うと、自称ギルド関係者の男は黙って逃げ出した。
「させるかよッ!」
それを見たディルは、一瞬でイナリの隣から男の背後まで距離を詰め、足を蹴って転がして馬乗りになった。
「おいイナリ!縄もってこい!俺の部屋にある!」
「わ、わかったのじゃ」
イナリは慌てて家に戻り、ディルが普段寝ている部屋に入る。
初めて入る場所なのでじっくり観察したいところだが、今は緊急事態なので、そんな場合では無いだろう。
「ええと……これか!」
イナリは部屋の隅にあった縄を拾いあげて再び外へ駆けた。
イナリが外に戻ると、周辺に住む者が騒ぎを聞きつけてか、数人の野次馬が出来ていて、ディルは彼らに向けて兵士を呼ぶよう訴えていた。
「縄を持ってきたのじゃ!」
「よし、渡してくれ!」
イナリがディルに縄を渡すと、迅速に男が拘束される。ただし、かつてイナリがそうされた時よりも余程乱暴であったが。
そして間もなく兵士が駆け付け、ディルから事情を聞くと、男を連行していった。
「……ふう、とりあえず何とかなったな。まさかこんな露骨に引っかけに来るとは……お前、何かしたのか?」
「いや、心当たりは無いがの……」
「となると、街中で目をつけられたか。お前、見た目は良いのと、なんかあっさり騙されそうだからな。目立つから尾行とか情報収集も楽だろうし」
「まあ、我の神の風格が抑えられなかったということかの。……ん?見た目『は』……?」
「つーかお前、実際騙されかけてたよな。お前一人だったらヤバかったな……」
「いや、我、制度とか知らんからの。仕方があるまいて」
「さっき己の無知をどうこう言ってた奴がよく言うわ……」
二人は家に戻り、椅子に座って休む。
「というかお主、途中から完全に偽者と断定しておったじゃろ。……あれで本物だったらどうするつもりだったのじゃ」
「その時は全力で謝るだけだ。ただ、下水道探索とかやってるこのご時世、わざわざ一人で来てくださいとか言ってる時点で完全におかしいし、偽造した書状を持ち出した時点で完全に黒だと判断したな」
「あれはやはり偽造だったのかや」
「ああ。紐が無い時点でアウトだが、書状の内容も酷いもんだったぞ?全然関係ないことが書いてあったからな」
「そうなのかや、我は全く見ておらんかったのじゃ……」
「まあ、重要な部分だけ見せて信じ込ませるっていうテクニックだな」
「ふうむ、やはり人間は狡猾じゃな……」
「さっきの奴はお前を嘗めてたらしく、相当杜撰だったがな。本当に酷いと、数か月かけて徹底的に信用されるまで待つからな」
「ひえ……」
「ま、この話はこの辺でいいだろ。後で取り調べの結果が出るだろうし、今日は大人しく家で休むといい。俺も今日は外には行かないでおく」
「そうか。……しかし、腹が減ったのう」
「多少動揺してるもんかと思ったが、そうでもなさそうだな……。ありあわせで適当に何か作るか。手伝ってくれ」
「うむ。……ところで、我は昇進するのかや?」
「するわけないだろ」
「そうか……」
自身を指さし、そわそわしながら尋ねたイナリの質問を、ディルは容赦なく一蹴した。




