142 大賢者の言葉
イナリは一先ず深呼吸し、平静を装う。大丈夫、まだ慌てるような時期ではないはずだ。
「イナリちゃん、大丈夫?何かあった?」
「い、いや、何でも無いのじゃ……」
イナリが冊子を見ている間、他の二人は静かにイナリを見つめている。ただ、その目は明らかに期待に満ちていて、これから判明するであろう未知の、そして失われたであろう呪文に関する情報を今か今かと待ちわびているのがわかる。
これで冊子を読み終わったイナリが「すまんが、よくわからんかったのじゃ」などと言おうものなら、きっと縄でぐるぐる巻きにされた後、杖でボコボコにされるに違いない。イナリの体なら怪我はしないだろうが、心に傷が残ることは確定だ。
「何かあればすぐに言ってくれ」
「う、うむ……」
ウィルディアがイナリを気遣って声をかけてくる。
ただ、この、親身な感じで接してくるのも、今だけは本当にやめてほしい。期待に応えられる見込みが無いせいで、ものすごく悪いことをしている気分になるのだ。
不幸な未来を回避するためにも、何かしらの収穫や結論は出さねばならない。イナリはその視線を何とか意識の外に追いやって、調査記録の方に集中する。
調査記録には、壁に記されていた呪文と思われる文字のスケッチや、それに関する考察がびっしりと記されている。全体的に整然とした字体は、いかにもウィルディアが書いた字という印象を受ける。
ただ、使われている語彙が明らかにイナリの持ち合わせるものと違い、そもそも学者向けに書かれた論文調であるせいで、内容の三分の一わかるかどうかと言ったところである。そのせいでイナリは三ページ目にして半ばお手上げ状態に陥っていたのだ。
しかし、よくよく考えれば、この冊子の内容を全て理解する必要は無くて、壁に記された呪文の部分さえわかればそれでよいのだ。
それに気がついたイナリは、ウィルディアに尋ねた。
「ウィルディアよ、我はこれを全部読んでいられぬ。お主が知りたい場所を、ある程度示してくれぬか」
「ああ、確かに、いきなり全部読めというのは酷だからな。そうだな……リズ君、先ほどイナリ君が訪ねてきた詠唱はどこから引っ張ってきたものだ?」
「え?ええっと……十六ページ目くらいだったはず」
「……だそうだ。まずはそこを見てみてくれないか?」
「ふむ」
イナリは冊子を捲って該当箇所を開く。そこには確かに、「終焉究極極太暗黒ビーム」の呪文が書き連ねられた壁画スケッチがあった。
どうやら遺跡の隠し部屋にて発見された物のようで、ウィルディアの考察では、この呪文が彫られた場所の隣に大賢者のメッセージが彫られていたようで、そこから魔法であることは特定できたが、完全な解読には至らず、正しい詠唱や効果がわからず使用できないということらしい。
一つ隣のページを確認してみれば、その大賢者の残した記述が写されていた。イナリはそれを読んでみる。所々欠落しているが、大まかな意味を理解する上での影響は無さそうだ。
ああ、や たぞ。ついに完成し 。この魔法 使えば、俺を気狂い扱いしたあの 共の街を更地に出来る。
ただ、惜しむら は魔法の開発に時 がかかりす て、もはやそれを だけの 力も 命も残されてい いうことだ。折角この の理に手が届きかけていた いうのに、志半ばで倒れる に ろうとは。
だが私 死のうとも、 魔法はこ に残り続ける。いつか後 魔 師にこの魔法と私の 思が伝 れば、きっ の時は私 意思を継 、悲願 成さ はずだと信じている。
イナリは察した。そもそも呪文を見た段階で嫌な雰囲気しかなかったが、イナリの予想通り、使わせたらダメな魔法だ。
一体この大賢者に何があったのかはわからないが、明らかに何かに向けて恨み言を吐いているし、街を更地にするとか言っている時点で、誰かを害するために作られた、馬鹿にならない規模での破壊を伴う魔法であることは明らかだ。
イナリは内心で己の英断を称えながら、口を開く。
「……この大賢者という者、一体どういう者なのかや?」
「中々謎は多いが……魔王が出現し始めた時期に活躍していたという伝承がある一方で、ある時を境に完全に歴史から姿を消した、謎多き魔術師だな。まさか彼に関連した遺跡が見つかるとは思わなかったし、魔王に塵一つ残らず消されるとも思わなかった」
「ふむ……」
「その顔、何かしらはわかったようだが……どうしたのかな」
「悪く思わないでほしいのじゃが、やはりこの呪文は世界を崩壊に導きかねない故、推測できる効果も含め、一切教えることは出来ぬ。これは我のためでもあるが、お主らのためでもある」
「……イナリ君がそんな判断を下すとは。一体どのような……?」
「沈黙をもって答えとするのじゃ。……間違っても、この魔法を使えるようになろうとは思わないことじゃな。……正直、これを読んでいるとものすごく疲れるから、あと一つくらいにしておこうかの。ウィルディアよ、どこを我に見せるか決めるのは、お主に任せよう」
ひとまず何もわからなくてボコボコにされる未来を回避し内心安堵しているイナリは、達成感に包まれながらウィルディアに冊子を手渡す。
「わかった。……では、一番解読が進んでいないものを頼む。これだ。何というか……意味が分からなくても、これを見ているだけで脳が混乱していくんだ」
「……ふむ」
ウィルディアが示したのは、冊子の一番後ろのページであった。そこには一切ウィルディアによる記述はなく、遺跡から写したであろうものが、二つだけ載せられていた。
イナリはまず、一つ目の写しの呪文を読み上げる。
「『マインドコントロール』……?」
「終焉究極極太暗黒ビーム」における「ビーム」もそうだが、所謂カタカナ語についてイナリには全くわからない。ビームの時はその前置き部分から不穏さを感じ取れたが、この魔法に関しては、生じる効果についての見当がまるでできない。
イナリは首を傾げながら別の写しを確認する。それは賢者のメッセージであった。先ほどと同様、欠落している部分も多いが、読めないことは無い。
昔から、他人に自 の思い通りに動 てほしいと思う は多か たように思う。成長と共にその意 は薄れていっ が、あ 日を境に 意思 再燃した。
私は復讐 の魔法の考 の一環とし 、どう それを実現 る方法を探 し続けた。
魔法における基本属性は、 水、草、 、光、闇の六つ。その中 、他者 精神に干渉する 法 存在しなかった。だが私 そ 疑問に思って た。何故、誰も 方法を探求しよう すらしない か?
人と交わりながら暮 していた 頃は、そ そもそれが不 能だからだと っていた。魔 師の友に相談 たところで、た の冗談だと一笑 た。しか あの日、神か 啓示を受 からは、それが実現可能であると確信 るに至った。
私はその 信に基づい 会でそ 論を発表し、
「……この続きはどこじゃ!?」
「うわっ!?び、びっくりした……」
突然大きな声を出すイナリに、リズが小さく跳ねる。ウィルディアも声は出さなかったが、目を丸くするとともに困惑していた。
「何故、こんないいところで途切れておるのじゃ!」
しかし二人の様子には目もくれず、イナリはぷんすこと怒りながら訴えた。まだまだ話は続きそうな気配だったのに、突然打ち切られてしまったのだから仕方ないことだ。
「確か、その続きがあると思われる場所は既に崩落していたんだったかな」
「ううむ、この写し、これを書いた者の核心に近い部分に触れていそうな雰囲気なのじゃが……。肝心なところで終わっておる」
「なるほど、そうなのか。呪文ではなかったのか?」
「いや、上の方の写しは呪文のようじゃな。ただ……効果はわからぬ」
「そうか。いや、それがわかっただけでも十分だ。感謝する」
「うむ」
イナリは冊子をウィルディアに返却し、代わりに菓子箱を抱き寄せた。約束は果たしたので、もうこれはイナリの物だ。
「……そんなに菓子が食べたかったのかい?交渉の過程で少し挑発するようなことをしたのは詫びるが……そう警戒しなくとも、別に奪ったりもしないよ」
「……そうか」
「さて、改めて、お疲れ様イナリ君。きみにとってそれなりに負担だったかもしれないが、実に実りある時間であったよ」
「うむ、また時間があれば読んでやらぬことも無いのじゃ。伝えるかは別じゃがな」
「ああ。読みたいと思ったらいつでも来てくれて構わないよ。……さて、そろそろ暗くなり始めるし、二人とも帰りなさい」
ウィルディアにそう言われて外を見れば、既に空は橙色に染まり始めていた。
「そうだね、そうしようか。じゃあ先生、またね!紅茶、ごちそうさまでした!」
「ああ、リズ君も、またいつでも来るといい」
「うん!じゃあイナリちゃん、行こうか!……どうしたの?」
「……いや、杖で叩かれたりせずに済んでよかったと思うての」
「え、どういうこと?」
「ああいや、気にせんで良いことじゃ」
「……?」
胸をなでおろしていたイナリの言葉に、リズは首を傾げた。
 




