139 どう考えても同じではない
遠くであるとはいえ、あまりに常軌を逸する光景に、イナリは言葉を失った。テイルであろう方角の青空が、黒と橙が織り混ぜた渦を作りながら、地上に向けて捻じ曲がっているのだ。
なるほど、アルトが魔王の事を歪みと呼ぶのはこういうことなのだろう。そんなことを考えつつ、念押しするようにイナリは問いかけた。
「あれは、何じゃ……?」
「アレが魔王だよ。すごい存在感でしょ」
「いや、存在感とかそんな規模では無いじゃろ。空ごと曲がっておるが?お主ら、何故そんなに平然としておるのじゃ」
「いやまあ、言っちゃなんですけど、魔王なんて五から十年程度くらいの間隔で現れますし……」
「近くにいるとかなら怖いけど、遠くから見る分にはまあ、そんなにって感じだよね」
「どういうことじゃ……!?」
イナリは驚愕した。どうやらあの異常な光景はこの世界では、日常とまでは行かないが、数年に一度の行事のような認識のようだ。
「というか、我、あれと同列に語られておるのか!?無理があるじゃろ!」
イナリは魔王を指さしてエリスとリズを見る。実際、一人の小さい狐娘と空を捻じ曲げるよくわからないものが同列に扱われているというのは変でしかないだろう。
「んんー、まあ確かに、今回の魔王はちょっと存在感が強めだけど、イナリちゃんがあれと同じ扱いなのは不思議かな」
「結局、神託の解釈の結果ですからね。それで、今までの魔王発生周期と全然違うのも相まって、今までと違うものもあり得るだろうってことで、イナリさんが魔王認定されているのですよ」
「実に遺憾じゃ。我はあんな禍々しくないのじゃ」
「そうですね、イナリさんはかわいいですからね」
「それも違うのじゃ……」
「ちなみに、今回の魔王は地上の植物を枯らす魔王らしいですよ」
「ああ、それで我と対を成す魔王とか言われておるわけじゃな。何だったか……魔王一対説じゃったか。まあ、あの魔王が処理されるころには、我の事なぞ誰も気にしておらんじゃろう、ゆっくり待つとしようではないか」
「そうですね。じゃあ、降りましょうか」
「うむ」
エリスは抱えていたイナリを降ろし、手を繋いで階段の方へ引き返した。
「ここから飛び降りたら風魔法で着地できるけど、どう?」
「絶対にやめてください」
「ちぇ……」
三人は塔を降りながら話す。
「ところでイナリさんはこの後どうしますか?一人にするのは危険なので、私かリズさんのどちらかについてきてもらうことになるのですが」
「うーむ、しかしエリスの方に行っても手配書をどうこうするだけじゃろ?つまらなさそうじゃから、リズの方について行くとしよう。リズと同じく、我もウィルディアとは久しくなるしの」
「そうですか……」
エリスは残念さを隠そうともせずに返した。そして塔を降り、地上についたところでエリスはイナリとリズに向き直った。
「では、お二人とも、気を付けていくのですよ。イナリさんはもちろん、リズさんも魔術師ですし、きっと大丈夫だとは思いますが、何があるかはわかりませんから、警戒を怠らないように」
「うん、当然。私達にちょっかい出す奴は全部塵にしてやるから!」
「それは過剰防衛……でもないですね、イナリさんに手を出そうとした者の末路としては妥当ですね」
「そうじゃろうか……」
エリスの言葉にイナリは首を傾げたが、エリスはそれを見ると、優しく撫でて離れる。
「では、私は失礼します」
「うん、また後でね!」
「うむ、またの」
エリスがギルドへ向かったのを見て、イナリとリズも魔法学校へ足を運んだ。
魔法学校の門を抜けるたところで、イナリはある事に気がつく。
「なんか……人が少なくなったかや」
周りを見ると、相変わらずリズとイナリは目立っていて、その姿に注目したり、振り返ったりする学生はいるが、その数はかなり疎らになっている。
「うーん、時間帯的に講義の時間だからかもしれないね。あとは……イナリちゃんのおかげで休学することにした人とかもいるかも?」
「何故我のせいで……ああ……」
イナリは一瞬因果関係がわからず困惑したが、すぐに思い直した。この街の近くにいる魔王、つまりイナリから逃げようとする者はいくらでもいるのだ。
何なら、オリュザ料理の店主もその一人であったし、店主からそういった者が大量にいることを示唆するような話も聞いていたが、失念していた。
「徒労じゃなあ……」
「事情を知らなきゃね。自宅とか、避難先の目途あって逃げられるようなら、そりゃ逃げるよね。魔法学校に来るくらいだから、そこそこのお金は持ってるだろうし」
「なるほどの。ところでお主もそうなのかや」
「そう、っていうのは?」
「お主、魔法学校に通っておったのじゃろ?」
「ああ、リズがお金持ちかってこと?……いや、全然だよ。だからイナリちゃんがわけわからないオムライスを頼んだ時、財布の中身はスッカスカだったよ」
「それについては許してくれたもれ……」
「ふふっ、まあいいよ。リズの財布がスカスカになるのはしょっちゅうだから」
「それはそれで問題のように思うがの」
「コホン。まあ、気にしないで。……で、まあ、リズが魔法学校に来れたのは先生のおかげなんだよね」
「ふむ?」
「リズ、実は結構田舎の生まれなんだけどね。たまたまそこに来た先生がリズの素質を見抜いてくれて。それで先生に支援してもらってこの学校に来たの」
「なるほどのう。ところで、お主の親は……」
「故郷で元気にしてるよ。たまに手紙でやりとりしたり、仕送りしたりもしてる」
「ふむ、それは良かったのじゃ」
「なんか、恥ずかしくなってきたからこの話はこの辺で終わり!さっさと行こ!」
「ぬあっ!?ちょ、待つのじゃ!」
突然走り出したリズを、イナリは慌てて追いかけた。
そして、リズはそのままの勢いでウィルディアの部屋まで到達する。
「先生!!来たよ!!!」
リズが勢いよく扉を開けると、そこにはウィルディアと三人の生徒がいた。
「……全く、久しぶりに顔を見せたと思えば……。こうなるからノックしろとあれほど……」
「……あ、失礼しました」
ウィルディアが頭を抱えて呆れたように呟いたのを見て、リズは申し訳なさを体で表現しながらそっと扉を閉じた。そこに満身創痍のイナリが追い付く。
「はあ、はあ、やっと、追いつい、たのじゃ……」
「……イナリちゃん、そんな体力無かったっけ?」
「我の体力は、画家のところで、もう、使い果たしておるのじゃ……」
「あ、ああ……。ブラストブルーベリー、一粒食べたら?」
「そうじゃな、金具から外すのが手間じゃが、背に腹は代えられぬ……」
イナリは懐からブラストブルーベリーを一つ取り出し、金具を外して口に放り込んだ。そして体に蓄積した疲れが抜けたところで、イナリは口を開く。
「……して、お主、何があったのじゃ?何故部屋の外に?」
「なんか、中に人がいた……。ちょっと待とう」
「ふむ、先客がいたということかや?」
「うん。そこに殴り込んじゃった。どうしよう、先生を怒らせちゃったかも……」
丁度リズがそう呟いたところで、ウィルディアの部屋から三人の生徒が退室して、中からウィルディアが現れた。
「待たせたね。どうぞ、部屋に入ってくれ」
ウィルディアの声に促され、イナリ達は部屋の中に入る。そしてリズが恐る恐る、ウィルディアへ問いかける。
「……先生、ごめんなさい。怒ってる……?」
「はあ、全く、何を言っているのやら。君が向こう見ずなのは、今に始まったことでは無いだろうに。この程度の事で怒るようなら、私は君がグラウンドに穴をあけた時点で関わるのをやめているよ。私はそこまで狭量では無いし、普通にしてくれ」
「……そっか、よかったあ……」
「さて、用件を聞く前に……少し喉が渇いたから、茶を淹れさせてくれ。二人は?」
「ふむ、折角じゃ。頂くとしよう」
「わかった、しばらく待っていてくれ」
ウィルディアは部屋の奥へ移動し、箱からポーション用の瓶を取り出して茶を淹れ始めた。
 




