138 塔に登る
「……よし、これで完成です。いい経験になりました。イナリさん、お疲れさまでした」
「や、やっと終わったのじゃ……。我の手と足、もげてないか……?」
「大丈夫、ちゃんとくっついてるよ。お疲れ様、イナリちゃん!」
フィックルから絵が描き終わったと告げられるや否や、イナリは地面に座り込んだ。途中からはポーズまで取らされて、腕にもかなり負担が来ていたのだ。
そんな満身創痍のイナリに対し、リズは隣にしゃがみ込んで労いの言葉をかける。
「この絵、売っていただけませんか?家宝にします」
「シンプルな姿絵ですが、良いのですか?……一枚辺り銀貨五十枚でいかがでしょうか」
「買います。全部です。こちらが代金の金貨二枚と銀貨五十枚です」
「ぜ、全部ですか……!?すみません、獣人の絵は貴重ですし、イナリさんがとても良いモデルでしたので、最低一枚は私の方で取っておきたいのですが」
「はい、問題ありません。では金貨二枚で。これからもよろしくお願いします」
「ええ、是非とも。絵は保管しておきますので、適当なタイミングで取りに来てください」
「わかりました」
一方のエリスは、フィックルと商談をまとめて握手していた。どこまでも一貫した、イナリに関する事柄にすべてを捧げる勢いの態度には感服すら覚える。
商談が一区切りすると、エリスもイナリのそばに近寄ってくる。
「イナリさん、お疲れさまでした。……立てそうですか?」
「むりじゃ……」
「そ、そうですよね。すみませんイナリさん、私の私欲を満たすために、こんな姿に……」
エリスは丁寧にイナリを抱え上げると、フィックルが紙とペンを持って三人の方へ向き直る。
「では約束通り、不審者の似顔絵を描きましょうか」
「あ、そうでした、それが当初の目的でしたね」
「エリス姉さん……」
ここ最近、リズのエリスに対する評価が急降下しつつあるのは言うまでもないだろう。
「さて、その特徴をお聞かせ願えますか」
「はい。イナリさん、お願いできますか?」
「うむ。ええと……」
イナリは記憶を探り、時折フィックルからの質問にも答えながら、不審者の特徴を述べていった。
「あ、あと、これがイナリさんが描いた似顔絵です。参考になればと思いまして……」
途中、エリスが思い出したように、服のポケットからイナリが描いた絵を取り出してフィックルに渡す。
「……これをイナリさんが描いたのですか?すごいですね。画家になる予定はありますか?」
「いや、無いのじゃ」
「そうですか、勿体ない……。もしその道を目指したくなったら、いつでも私のところに来てくださいね」
「まあ、考えておくのじゃ」
「……では、この絵から読み取れる特徴も加味して……こんな感じでどうでしょう?」
フィックルがペンを置き、紙を持ち上げてイナリに見せる。
「うーむ、もう少し細身だった気もするが……概ねそんな感じだった気がするのう」
「では少し調整して……これで完成ですね」
フィックルが似顔絵をイナリに手渡す。そこには、イナリに飴を食べさせた、どことなく不安になるあの男の顔が過不足なく表現されていた。
「……この男じゃな」
「なるほど、これが私のイナリさんを攫おうとした男……」
「我はお主のものではないと何度も言うておるに……」
エリスとイナリの会話をよそに、フィックルは口を開く。
「ひとまず、私の仕事はこれで完了でしょうか」
「ええ、ありがとうございます。お代はこちらです」
エリスがフィックルに硬貨を渡した。イナリからはよく見えなかったが、銅貨にしては妙に黄色かったように見える。
「……はい、確かに頂戴しました。……これで銀貨五十枚ですか」
「私としても、イナリさんの絵とこんな男の絵が同額なのは癪ですが……。そういう制度ですし、経費は出ますのでご心配なく」
エリスがフィックルの呟きに返す。
「そういえばありましたね、そんな制度。私とは縁が無いと思っていましたが。……ひとまず、私は作業に戻りますので、これにて」
「はい、ありがとうございました」
フィックルが再びキャンバスの前に座って筆を動かし始めたので、イナリ達もその場を立ち去った。
イナリ達は職人街を抜け、一番最初に目についた屋台で軽食を買い、椅子に座って食べながら会話していた。
「さて、後はこの絵をギルドに提出して、街中に張り出してもらえばこの件は終わりですので、私やエリックさんだけで進めていけます」
「ふむ。我が何もしなくて良いのは良いことじゃな」
イナリはうんうんと頷いて返した。やるべきことが無いのなら、それに越したことは無いのだ。
「絵を描く様子、初めてちゃんと見たけど奥深いね。魔法陣とかを混ぜていけば面白いことになりそうだなって思ったよ」
「お主、どうあがいても魔法と結びつけていくのじゃな」
「そりゃ、魔法とか魔術程面白いものも中々無いからね。……この後はどうするの?」
「そうですねえ……私はギルドに行って手配書の手続きをしたいですね。リズさんはどうですか?」
「うーん、特にないかも。……あ、森から戻ってきてから、先生のところにまだ顔を出してないから、流石に行った方が良いかな……。イナリちゃんは?何かある?」
「我も特には。強いて言うならば……本物の魔王とやらを一目見てみたいところじゃが」
「ああ、では見に行きましょうか。見ていて楽しいものでもないですけど」
「まあ、無理じゃよな……え、見に行けるのかや」
「そっか、イナリちゃん、魔王の事全然知らないのか。リズも二回くらいしか見た事無いけど、ものすごい存在感だよ。この街からテイルまでものすごい遠いけど、多分見えるよ」
「ど、どういうことなのじゃ……」
「イナリさん、要塞の隣の辺りに塔があるの、わかりますか?」
「あぁー……。そういえばあったような……」
イナリは腕を組んで首を傾げながら記憶を辿る。確か、エリックやディルと要塞に行く途中、その場所を説明する際に言及されていたはずだ。
「そこに登れば見えますよ。各々の行動に移る前に、そこに寄りましょうか」
「おっけー!」
「わかったのじゃ」
そもそもここから魔王を見に行けるというだけでも十分おかしいが、街の外に出ることすらしなくて良いとは一体どういうことなのか。イナリは困惑しつつも頷いた。
「ところでイナリさん、もう歩けそうですか?私はどちらでも大丈夫です」
「……多分歩けるのじゃ」
イナリ達はしばし歩いて要塞の近くの塔に移動した。
塔はレンガか石か何かで組まれ、要塞の一番高いところよりやや高いくらいの高さであった。
「ふむ、遠くで見ただけであったからの、近くで見るのは初めてじゃな」
「あれ、イナリちゃん、意外とあっさりめのリアクションだ。ここに来る人は結構驚くことも多いんだけど……」
「んん……まあ、色々訳あっての」
イナリがかつて生活していた神社は、この塔の比ではない高さのビル群に囲まれていたのだ。この塔は、街の中では一番高い建物なのだろうが、イナリにとっては驚くようなことではないのだ。
「さあ、行きましょう」
イナリはエリスの手を取って塔の螺旋階段を上った。
ぐるぐると、ずっと同じような光景が続くので、途中にある窓から外の景色が確認できないと、全くもって進んでいる感じがしなかった。しかし、これはこれで趣があるものだ。
螺旋階段を楽しんでいるイナリをよそに、リズがうんざりとした声で呟く。
「ああ、そろそろかな。風魔法とかで飛んじゃダメなのかな……」
「気持ちはわかりますけど、ダメですよ」
「お主、杖とかも持っているしの……。家に置いてきても良かったのではないかや」
「いや、ダメだよ。魔術師のアイデンティティだから」
「よ、よくわからぬが、何か理由があるのじゃな……」
リズは断固として、魔術師であることを周囲に知らしめることに拘っているようだ。
一同が展望台部分へと到達すると、エリスが何も言わずにイナリを持ち上げて、周囲を見やすくしてくれた。確かに、こうされないとイナリは柵の隙間から外を覗くか、柵に登るくらいしないと満足に景色を堪能できないだろう。
イナリはエリスの意図を察し、何も言わずに周囲を見回す。
「ほほう。これが、この街の、景色……」
始めに街の景色に対する感想を述べようとしたところで、イナリは遠くの空が目に留まる。
「何じゃあれ……」
そこには、空が地上に向けて捻じ曲がっている光景があった。
 




