135 不審者対策会議
数分ほどエリスと共にゆっくりとした時間を過ごして落ち着くと、ふとテーブルの上にある、折り畳まれていた新聞が目に留まる。
「……ああ、そういえばこれについて話すのを忘れておったのう。お主も読んだのじゃろ?」
イナリが新聞について言及すると、エリスが突然動揺し始める。
「え、ええーっと、何の事でしょう?」
「何故惚けるのかや?……お主、今も我の尻尾をさりげなく触っておるがの」
「えっ、あっ、いや、これは――」
「我以外にこのような事をするでないぞ?」
「……えっ」
イナリの一言に、何か弁明しようとしていたエリスの言葉がぴたりと止まった。
「我は獣人ではないから問題は無いがの、とはいえ、お主が見知らぬ獣人の尻尾に触れたりしたら大変じゃろ?だから……聞いておるか?」
何の反応もないエリスを不思議に思って振り向けば、エリスは完全なフリーズ状態であった。
「だ、大丈夫かや?おーい?」
イナリは左手を上げてエリスの目の前で振ってみるが、一向に反応は返ってこない。
「……ダメじゃ、完全に固まっておる……」
イナリは軽く記事の話を終えたら、聖女に謝罪した話をしようかと思っていたのだが、今のエリスはとても会話できそうな様子ではなさそうだ。
それにしても、一体何かエリスをこんな風にさせるようなことがあっただろうか?イナリは疑問に思いつつ、エリスの事は諦めてエリック達の帰宅を待った。
「たっだいまー!」
静かなリビングにリズの元気な声が響き、間もなくリズが姿を見せる。
「おかえりじゃ」
「……はっ!リズさん、おかえりなさい」
リズが来たことで漸くエリスが復帰した。何だか顔がにんまりとしているが、何か良いことでもあったのだろうか。
リズに続いてエリックとディルも部屋に戻ってくると、エリスが表情を真面目なものに変えて全員に告げる。
「すみません皆さん、イナリさん絡みで問題があったようですので、聞いていただいてもよろしいですか?」
「俺の勘が当たったか。イナリの勘とやらとどっちが精度が高いかな」
「ディルさん、そんな事を言っている場合じゃないです」
「……マジか、そういう感じか……」
「とりあえず、荷物だけ部屋に置いてきていいかな。そしたら話を聞かせてほしい」
「イナリさん、それで良いでしょうか?」
「うむ、よかろう」
イナリが返事を返すと、皆が杖や剣を持って自室へと移動した。
そしてしばらくしてエリック達が話を聞く体勢が整うと、イナリは今日の一連の出来事のうち、聖女と話したことと謎の男について話した。
「そっか、そんなことが……。とにかく、無事に帰ってきてくれて良かった」
「想定の数倍はヤバそうな話が出てきたな」
「イナリちゃん、怖かったよね」
リズが、エリスの膝の上に座るイナリの横に立ち、背中をさすって慰める。その様子を眺めながら、ディルが椅子にもたれかかって口を開く。
「その男、一人でいるところに声をかけるぐらいなら、まだわからないでもないが……。クソ不味い飴を渡して、しかもその場で食わせるのは明らかに変だよな」
「そうだよね。しかも甘かったのは表面だけで、苦かったんだよね?」
「うむ。我はかつて何度か飴を食べたことはあるが、苦い物など一つも無かったのじゃ。明らかに変じゃよな」
「完全なリズの憶測だけどさ、何か、即効性の高い、こん睡させるか麻痺させるか……そういう類の薬が混ざってそうじゃない?ハイドラちゃんと錬金術の話をしたとき、そんな感じの薬の話をしたことがあるよ」
「なるほど。で、それを食べて行動不能にしたらそのままどこかに連れていって……ってことだろうね」
「ああ、それが一番ありそうな線だな。名前も答えないとなると、完全に真っ黒だ。心配で話しかけてるやつが名乗らないとかありえないだろ」
エリックの話にディルが頷く。
「イナリちゃん、毒が効かない体で良かったねえ……」
リズもしみじみとした様子で呟く。もし毒が効いていたら、イナリは今頃ここにはいないだろう。
「しかし、被害が出ていないから良いという話ではないです。イナリさんに手を出す不届き者は全て始末しないと」
「飴を用意するとなれば、手口も計画的と見ていいだろうからな、一筋縄ではいかなさそうだ。それに……イナリ以外の被害者がいるかも気になるところだ。エリック、何か手立ては?」
「冒険者ギルドの方に迷子の捜索依頼が出されていたら、そこから当たりがつけられるかもしれない。明日僕が当たってみるよ。ついでにギルドに報告もして……あと、フレッドにも聞いてみようか」
着々と進んでいく推理や対策にイナリは半ば置き去り気味だ。イナリは手を挙げて議論への参加を試みる。
「我はどうすればよいかの?不可視術を発動して森に帰るかや?」
「悪くはない、が……森は森で、何があるかわからんからなあ……」
ディルが頭を掻きながらイナリの提案に返す。
「何か問題があるのかや」
「今日の依頼の話になるんだが、痕跡からして、もしかしたら何等かの手段で森から魔物を嗾けている奴がいるかもしれなくてな。森に居たらそういうのに遭遇しかねない……というか、一応お前は一回見てるんだよな。それに、聖女さんみたいな例があるから、今となっては不可視術が完全に信頼できるとも言えないぞ……」
「……ふむ。しかし、聖女は相当な例外であるから、そう容易く不可視術を破る者はおるまい?」
「そうかもしれんが、万が一、森でお前が一人の時に不可視術を突破するやつがいた時を考えるとな、俺たちが知らん間に、お前がどこかに連れていかれるだろ?そうなったらどうにもならん。やっぱり無しだな」
「イナリさんは私と一緒に居ましょうね」
「う、ううむ……」
ディルとの議論の結論が出ると、エリスのイナリを抱く力が強くなる。この様子だと、当分イナリは自身の家に帰ることが出来なくなりそうだ。
「ひとまず、常に俺たちの内の誰かが常にイナリについておくか……どうしても無理な時はギルドに預けるって感じか?」
「その辺が落としどころかな。ギルドに預けられるかは交渉しないといけないけど……」
「まあ、そうなるよの……」
常に誰かが近くにいるとなると、当分アルトとの交信は出来なくなるだろう。あの男のせいで面倒な事態になったものだと、イナリは内心憤った。
「……ところで、リズはどうするのじゃ?」
「ん、どうするって?」
イナリの言葉にリズが首を傾げる。
「いや、リズも子供じゃし、誰か付くなりした方が良いのではないかや?」
「え、リズは大人だからそんな必要ないよ?」
リズの返事に、部屋にしばし沈黙が訪れる。
「……イナリ、こいつは子供だが、見ての通りこれでもかと魔術師アピールをしているからな、よほどの馬鹿でもない限り手を出そうとはしないぞ」
「……なるほどのう」
イナリはリズの杖や帽子、服を眺めて納得した。リズに手を出した瞬間、犯人が消し炭になっている様子がありありと思い浮かんだのだ。
「でも、一連の犯行に繋がりがあるのかはわからないですけど、冒険者が襲われそうになったり、魔物が嗾けられたり、子供が狙われたり……何というか、満遍なく狙われていますよね。となると、全員警戒しておく必要はありそうではありませんか」
「うーん、それもそっか……。一応気を付けておくね」
「俺も日課ついでに見回りでもしてみようか。何か新たな気づきがあるかもしれん」
「こっちも色々情報収集に勤しんでみようか」
「では我も――」
「イナリさんは私と一緒にゆっくりしていましょう?」
「……我もやられっぱなしは気に食わぬし、何かしたいのじゃが……」
「うーん、そうはいってもですねえ……」
エリスは答えに詰まった。イナリの気持ちはわかるが、しかし力が弱く、体重が軽いために攫われやすいイナリに出来ることなどあるだろうか?
何かうまく言いくるめられる言葉をエリスが考えていると、エリックがあっと声を上げる。
「イナリちゃん、一つ、君にしかできないことがあるよ」
「む、何じゃ!言ってみるが良いぞ!」
「男の似顔絵を描いてほしいんだ。顔は覚えてる?」
「うむ、忘れるはずがあるまい。紙を貸してみよ」
イナリはリズから紙を受け取り、羽ペンを手に取ると、迷いなく男の顔を描いて行った。
「……完成じゃ!どうじゃ!」
イナリが意気揚々と掲げた似顔絵を見た一同は無言になる。
「……何というか。イナリちゃん、画家になったら一定のファンがつきそうだね」
「そういえばこいつ、字は上手かったよな、読めなかったが」
「お世辞とかじゃなくて、上手いんですよ。上手いんですけど……」
「……画風が強すぎて特定には使えそうにないね……」
エリスの膝の上で胸を張るイナリを見て、一同は何とも言えない反応になった。
 




