134 青い飴 ※別視点あり
「では、茶も尽きたし我は帰るとしよう。残った菓子はお主にやるのじゃ」
「いいの?ありがとう!……あ、箱があると不自然に思われちゃうから、箱だけ持って行ってもらってもいい……?」
アリシアは申し訳なさそうにイナリに問いかける。
「それくらいならお安い御用じゃが、そんなことにまで気を配らんといかんのかや……」
「出所不明の物が見つかっちゃうと流石に問題になっちゃうからさ……ごめんね」
イナリはアリシアを哀れに思いながら箱から皿へ菓子を移し、箱を懐にしまった。聖女は特権がある立場とは言うが、その代償もそれなりに払っていそうだ。
イナリは席を立って扉に手をかける。
「じゃあイナリちゃん、気を付けて帰るんだよ。あと、エリスにもよろしく言っておいてね」
「うむ」
アリシアの言葉に返事を返し、イナリは部屋を出た。話題の共通項がエリスぐらいしかないのもあって殆どエリスの話をしていた気がするし、新たな謎も出てきたものの、神器についてはこれで解決だろう。
イナリは教会を出て、近くの路地の物影で不可視術を解除した。
「さて……ここからどうするかの」
イナリは近くにあった丁度良いサイズの木箱の上に座って腕を組んだ。
特にやることは残されていないから帰ろうと思ったが、折角一人で外に出ているのだから、軽く街を散歩してみようか。
「君、一人かい?」
そう思い立った矢先、突然何者かがイナリに声をかけてきた。不意の出来事にイナリの肩が僅かに跳ねる。
イナリが声のした方向に目をやれば、一人の二十代程度に見える男性が居た。身なりはそれなりにちゃんとしているが、黒い目はわずかに濁っており、何だか見ているだけで不安になる。
「……誰じゃ」
「ああいや、そんな警戒しないで。ただ、気になっただけなんだよ。親御さんは?」
「居らぬ。……もう行って良いか?」
「そう、変な事聞いてごめんね。何か、悩んでいるようだったから、思いつめたりしているのなら、放っておけないと思って。ほら、知り合いに貰った美味しい飴もあるんだ。……中々手に入らないんだけど、特別に君にあげよう」
男が服のポケットから一つ、包み紙に包まれた飴を取り出してイナリに差し出してきた。
「……それは貰っておくとするのじゃ。ではの」
イナリは自身の中で相手に対する不信感と美味しい物に対する興味を天秤にかけ、貰えるものは貰っておく精神でもって、男が差し出した飴をぞんざいに受け取って街道へと戻ろうとした。しかし、それを腕を掴んで止められる。
「ああ待って、もしよければ、今ここで食べて。感想が聞きたいんだ。実は、飴を食べたことが無くてね、どんな感じなのかだけでも知りたくて」
明らかに不審さしかない男の申し出に、イナリの警戒心は一層高まっていく。しかし、イナリの力では男の腕を振り払うこともできず、会話はしなくてはならない。
「……そしたらもう行っても良いか?」
「うん。ごめんね……」
イナリは己の中に蓄積していく不信感と不快感に耐えながら、包み紙から青い飴を取り出して口の中に放り込んだ。飴の表面は砂糖で包まれていて甘かったが、それが口の中で溶けると、一気に苦みが押し寄せてくる。
「……不味い。これ、本当に飴かや」
イナリは飴を吐き出し、吐き捨てるように感想を述べた。イナリの中に渦巻く不快感は苛立ちに転じつつある。
「ったく、もう良いか?我は今度こそ行くのじゃ。次、行く手を塞いで我を不快にさせようものなら、我にも考えがあるからの」
「え?あ、ああ。うん。じゃあね……」
イナリは半ば脅迫気味に男に指を指して警告すると、歩く足を速めて街道に戻った。
折角一人で、天気も良かったのに、もはや今の男のような輩に絡まれるのではないかと気になって、とても散歩気分ではなくなってしまった。
「……はあ、全く興覚めじゃ。もう帰って寝るとするかの」
イナリはモヤモヤとした気分になりながら家に戻り、家の鍵を開けると、真っすぐソファに飛び込んだ。
<エリス視点>
パーティの皆さんと街道に現れた魔物に対処した後、重傷患者の応急処置や軽い周囲の探索と言った後処理を終え、今、依頼の報告や報酬の受け取りは他の皆さんに任せ、私は一足先に帰ってきています。
言うまでもなく、イナリさんに出迎えてもらうため……だけでなく、イナリさんが一人だと心配だからです。多分大丈夫だとは思うのですが、ディルさんが嫌な予感がすると言うので、私が率先して先に帰る役目を引き受けたわけです。
「イナリさん、ただいま帰りました!……あれ?」
玄関を開ければ、家の中は暗く、イナリさんの姿も見えません。
今は夕方に差し掛かったくらいで、家の中が僅かに暗くなり始める時間帯です。
イナリさんが魔力灯を点けられないので、暗いのは仕方ないのですが……。イナリさんは耳が良いらしく、いつもリビングから顔を覗かせて迎えてくれるのです。それが無いというのは、少々不安になります。
「聖女様の所に行っているのでしょうか?いやでも、鍵は開いていましたよね……」
恐る恐るリビングに足を運べば、ソファですやすやと眠っているイナリさんの姿がありました。ひとまず、その姿を確認できたことに安堵します。
珍しく、日中なのにぐっすり寝ているようですし、しばらくそっとしておきましょうか。
私は近くにあった毛布をイナリさんにかけて、魔力灯を点けました。
部屋が明るくなったところで、私はテーブルの上にある新聞が目に留まります。
「……あれ?新聞をしまい忘れてましたか……」
新聞は私が気になった内容があった時に買っているもので、基本的に読んだ後は保管しているのですが、朝、慌ただしくしていたせいで、それを忘れていたようです。
ですが、まだ全文読めていないので丁度よかったです。今のうちに読んでしまいましょう。
私は椅子に座ると、新聞の上に置かれたペン立てを横にどけて、そこに書かれていた記事の見出しに手を止めます。
『コラム:獣人の体を軽率に触るな』
……あれ、何だか、嫌な予感がしますね。ディルさんが言っていたのってこれの事ですかね。
というか、私、新聞の上にペン立てを置いた記憶が無いのですが。もしかしなくても、イナリさん、これ、バッチリ読んでますよね。それで、私に気づかせるためにペン立てを置いてますよね。
「……」
体に汗が浮き出るのを感じながら、ひとまず冷静になってコラムの本文に目を通します。
「……これは……」
これ、獣人の少女と神官って私達の事でしょうけど……もしかして、イナリさんが何も知らないのをいいことに尻尾を好き放題していたことについて、ご立腹なのでは……?
よく見たら、私が用意していたおやつの一部も余っていますし、これ、怒って不貞寝してるのでは……!?
どどどどど、どうしましょう……イナリさんに嫌われてしまう……!
私が脳内を全力で稼働させていると、静かな部屋に布が擦れる音が響きます。
「んん……む、誰か居るのかや」
……マズい。マズいです。
イナリさんが身を起こして、微妙に寝ぼけたような目で此方を見てきて、安心したような表情をつくります。
「ああ、エリスか。帰ってきておったのじゃな」
「は、はい。ただいま、です」
「うむ、おかえりじゃ」
あれ?何もお咎めなしですか……?
イナリさんは身を起こすと、私の方へ近づいてきて、膝の上に座ってきました。イナリさんからこんな行動をするなんて初めてです。
「い、イナリさん?」
「すまぬが、少し怖い目に遭っての。どうやら、寝ても不安が拭えなかったようでな、しばし、落ち着かせてほしいのじゃ」
イナリさんの口から、何だか聞き捨てならない言葉が出てきました。
「どうしましたか?誰かに酷いことをされましたか。もしかして、聖女様ですか」
「いや、アリシアには会って、謝罪もしっかりしたのじゃが……その後、変な男に絡まれての」
「男!?だ、大丈夫ですか!?」
「うむ、結果から言えば大丈夫じゃが……何だか目や雰囲気が異様であったし、信じられない程不味い飴を食わされたりで……」
「……飴、ですか?……皆さんが戻ってきたら、詳しく話していただいてもいいですか?もし嫌だったら、それでも大丈夫です。勇気を出して伝えてくれただけでも十分ですので」
「……いや、大丈夫じゃ。今日の出来事を一通り、伝えるとしよう」
……なるほど、ディルさんの言う嫌な予感と言うのはこれの事のようですね。私は他の皆さんが戻ってくるまで、イナリさんの頭を撫でて宥めていました。




