131 釣りはいらない
「全く、幸先悪いのう」
現在、イナリは家の玄関の扉を施錠して街を歩いていた。腕にはイナリの家から収穫してきていたオリュザの束がある。鍵を探す過程で、ついでにこの前行ったオリュザ料理の店にこれを持ちこんで、何かいい感じのものを作ってもらおうという狙いだ。
商業地区の近くの飲食店が立ち並ぶ通りに着くと、イナリは記憶を探る。
「ええと確か……妙に細い店じゃったよな……」
所謂お昼時よりも前の時間帯なので人通りも少なく、さほど通行に難はない。イナリは辺りを見回しながら歩き、すぐに目的の店を見つけた。
「というか……店を畳んだりしておらんじゃろうな……?」
頭によぎった最悪のケースを振り払い、イナリは店に足を踏み入れる。
「店主よ!店は開いておるかや!」
イナリがそう声を掛けると、厨房の店主が振り返ってくる。
「ん?おお、嬢ちゃんか。今は仕込み中だが、あと数分程度で開店だから、適当な席に着いて待っていてくれ。今日は一人かい」
「うむ。もし店を閉じていたらどうしようかと思っていたからの、そうなっていなかったことが分かって良かったのじゃ」
イナリはそう告げながら狭い通路を進んで、前回も座った一番奥の席まで移動する。
「ああ、そのことか……どうにも難しそうだから、俺はここで店を続けることになりそうだ」
「難しいとは一体?」
「移動手段の目途が立たないんだ。安い一般向けの馬車はもう予約がぎっしりみたいだし、枠が開いても家族連れが優先になっているみたいでな、俺みたいなのは後回しってわけだ。もし馬車を持ってたら冒険者を護衛に雇って移動もできただろうが……。ないものねだりってやつだな」
「ふーむ、なるほどのう。じゃが、我としては、樹侵食の厄災はもう気にしなくても良いと思うのじゃ」
「ん?どうしてだい?」
「んー……我の勘じゃな。我の勘は当たるのじゃ」
「そうか。励ましてくれてありがとうな」
存在しない魔王に恐れる必要などないと考えての言葉であったが、その言葉はあまりにも根拠に乏しい。そのせいで店主にはただの励ましの言葉として受け取られてしまった。
しばし店主の作業音が店内に響き渡る。イナリはしばらくそれを聞いてから、この店に来たもう一つの理由について触れる。
「時に店主よ、これで美味なものを作ってくれぬか」
イナリは厨房とテーブルの間のスペースにオリュザの束を置いた。
「……嬢ちゃん、本当に悪いが、この状態じゃすぐには食べられないな。というかどこで手に入れたんだい」
「んー……魔の森でちょいとな。ほれ、樹侵食の厄災っておるじゃろ?」
「嬢ちゃん、度胸が凄いな。危ないから気を付けた方がいいぞ?魔王に加えて、噂じゃあその辺を不審な奴がウロウロしてるらしいからな」
「皆そう言うのじゃ。新聞でもそんな話がされておったしのう」
「新聞か。あれは高いからあまり見たことが無いな」
「む、そうなのかや」
「ああ。少なくともこの店の狭さを見りゃ、何となく俺の経済状況はわかるだろう?余裕がないわけじゃないが、新聞に金を出せるほどの余裕はないってことだ」
「なるほどのう、難儀じゃ」
「まあ、嬢ちゃんみたいな客がどれだけ定着してくれるかに懸かってるわけだな、ハハハ。……悪いな、こんな話、客にするもんじゃあない」
「いや、我が振った話じゃし、我が不快になるわけでもなし。気にせんで良いのじゃ」
「そう言ってもらえると助かる。……とりあえず、このオリュザは預からせてもらってもいいかい。嬢ちゃんが次来た時、食べられるような状態に加工しておくさ」
「うむ、助かるのじゃ。……あ、こういうときって、金銭を払うのかや?」
「そもそも食品を持ちこまれることが無いからなー……それに嬢ちゃんは余程のオリュザ好きと見た。加工費はタダでいいぞ。子供だしな」
「大人じゃ」
「ハハ、それは失礼。さて、そろそろ開店時間だし、早速営業開始と行こう。嬢ちゃん、ご注文は?」
「我には品書きを見てもわからぬし、前と同じというのもつまらぬ。お主のお薦めを頼むのじゃ」
「よし、じゃあコカトリスの卵と肉のボウルにしよう。丁度仕入れたばかりだから美味しいぞ」
「こかとりす……??」
全く心当たりのない名称にイナリは首を傾げた。
お薦めするぐらいだからまともな料理なのだとは思うが、何が来るかわからない異世界でいきなりお薦めを選んだのは危険だったかもしれない。イナリはそわそわしながら料理の完成を待った。
イナリが手際よく料理を作る店主を眺めているうちに、あっという間に料理が完成し、提供された。
「コカトリスの卵と肉のボウル、お待ちどう」
イナリの前に大きな椀が一つ置かれる。そこにはトロトロとした卵と一口サイズの肉がいくつも入っていた。一緒に渡された匙で軽く掬ってみれば、下にはオリュザがある。これは所謂、親子丼だ。
卵と一緒にオリュザを掬って口に運べば、一瞬その熱さに驚いている間に、口の中で卵が溶けていく。肉もとても柔らかくなっており、甘い味も相まって食が進む。コカトリスが何かはわからないが、少なくともこの肉が鶏肉だということはわかった。
「これは良いのう、気に入ったのじゃ!」
「それは良かった」
端的な感想を店主に向けて述べた後は、店主が来店した他の客への対応も始めたので、黙々と食べ進めていった。
見たところ、他の客もイナリと同じものを注文しているようだし、きっと人気商品なのだろう。これだけ美味しいのだからそれも頷けるというものだ。
親子丼を食べつつ、イナリはこの後の事について考える。この後は聖女に謝罪に行くわけだが……果たしてどのように謝れば良いのだろうか。
イナリは過去、しっかりと手順を踏む謝罪をしたことが無い。それは神という立場だからという話ではなく、そもそも碌に他者と会話した経験がない以上、謝る対象も存在しえないからだ。
「店主よ、人に謝る時、普通人間はどうするのじゃ」
イナリは店主の手が空いた隙を見て、参考として尋ねる。
「ど、どうするって言われてもなあ……誠心誠意謝る以外に何があるんだ……?ああ、菓子とか持って行ったりはするかもしれないな。何だ、謝りたい子がいるのかい?」
「うむ、ちと我が良くない対応をしてしまっての、エリス……ああ、この前居た神官じゃ。そやつをはじめ、皆から謝るべきと言われての」
「なるほどなあ……。そういう事なら、オリュザを使った菓子を少し包もうか。一緒に食べれば距離も縮まりやすくなるだろう」
「それはありがたいのじゃ」
店主は厨房の入り口側の棚から菓子を取り出し、小さな箱にいくつか詰めてイナリに差し出した。
「お代は……まあ、おまけしよう。大丈夫だ、俺の懐より、嬢ちゃんの未来の方がよっぽど価値があるからな……」
「その、今度我の仲間を連れてくるのじゃ……」
「ああ、楽しみにしておくよ」
丁度イナリも親子丼を食べ終わったので、箱を手に取って立ち上がる。
「ふう、実に美味だったのじゃ。値段は如何ほどか」
「ああ、銅貨三十五枚だ」
「な、なかなかの額ではないか……?」
「悪い、これでもかなり頑張っているんだ……」
「……ああ、いや、そうであったな。良いものには相応の値を付けねばならぬ。馳走になったのう。我はあまり金を使わぬ故、これをやるのじゃ」
イナリは銀貨を一枚手渡し、客の背中を尻尾で撫でながら狭い通路を抜けていった。
「毎度あり!……すげえ嬢ちゃんだなあ、俺も頑張らねえと……」
店主はたった今渡された銀貨を握り、しばらくイナリの背中を目で追った。
なお、店主はイナリが近所の子供と喧嘩しているのだと思っているので、まさかイナリが聖女に謝罪しに行くとは露ほども思っていなかった。




