130 メルモート新聞
「では、私はこれにて。緊急の用事があった際、こちらから呼び出す可能性もありますが、ご理解ください。あ、あと、くれぐれも人間に私とのつながりは――」
「うむ、わかっておるよ。そこについては徹頭徹尾じゃから、安心するのじゃ」
「ええ、よろしくお願いします。では」
「……ふう。さて、次は……」
アルトと共に指輪についた転移機能を確認し、指輪越しの会話を終えたイナリは、エリスが用意した菓子をお供に、先ほど見出しだけ確認した新聞を読むことにした。
「まずはやはり、魔王の話じゃな。どんな感じじゃろか」
『テイルに魔王出現 避難者続出 種族間衝突激化か』
今日未明、テイル南部にて魔王の出現が確認された。旧ヒイデリの丘を魔境化させた樹侵食の災厄に続いての出現で、未だかつて魔王が複数存在した前例はなく、異例の事態である。このような事態を受けて、グレリアとテイルの国境付近の周辺住民の避難並びに対策が進められている。
一方で、テイルからの避難民の受け入れは難航している。その理由は、公式には受け入れ人数の限界とされているが、一方でテイルの住人を受け入れることによる治安悪化の懸念もあると囁かれている。テイルは多様な獣人種によって構成されており、同じ獣人種といえど、その文化は種族ごとに全く違うことも少なくない。当然、人間との文化のギャップも著しいので、文化的衝突は避けられないだろう。
テイルからの避難民を受け入れていたヴィサティでは現在、住民と避難民間での衝突によるトラブルが相次ぎ、怪我人も出ていると報じられている。今後安息地を求める避難民がメルモートまで訪れる可能性もあるが、治安維持に努めるこの街が、果たして避難民を受け入れるのだろうか。メルモートの今後に注目である。
『神託解釈論 魔王一対説が採用 勇者選抜へ』
メルモート支部をはじめとした複数の教会が解釈した神託の内容が、グレリアとアルテミアの国境付近に位置するナイアで行われた神託会議にて正式に採用することが決定した。
採択されたのは、魔王一対説と呼ばれる、樹侵食の厄災と、新たに出現した魔王が二つで一つであるとする説である。
今回、神託において勇者や神器に関する言及は無いとされており、教会は魔王を討伐する方法や討伐を行う勇者の選出へと移行するとみられる。
「……ふむ、我が魔王だと思われていることは予想通りじゃが……人間は人間で、中々面倒なことになっているようじゃな」
菓子をぽりぽり齧りながら、イナリは呟いた。何より、知らない地名と思われる名称も出てきていることにより、話の規模の大きさが伺える。
「それにしても、行く先々でトラブルを起こす獣人というのはどういう種族なのじゃろか。ハイドラはどちらかといえば辟易していた側じゃろうし……。一度姿を拝んでみたいものじゃな」
イナリは自身のしでかしたことの数々を棚上げした。
「さて、次は……魔法理論の話かや。ううむ、完全に専門外じゃが……」
『アルテミア魔法学園 転移魔法理論確立か』
アルテミア魔法学園が二日程前、転移魔法の理論が確立したことを発表した。今までも魔力駆動式の井戸など、転移技術を用いた魔道具の開発は進んでいたが、大規模かつ安定的な転移魔法の発明には至っていなかった。転移魔法の理論が確立することは即ち、飛躍的に魔法技術が向上することを意味する。
論文の内容を要約すると、予め転移先の座標を正確に魔法陣に記すことが重要で、座標を取得し、魔術を発動するだけの魔力を操作できれば、たとえ移動先が見知らぬ土地であろうと容易に移動できるとのことだ。
既にアルテミア魔法学園内では本格的な実用化に向けて動き始めているほか、近々遠くから術者側へと転移させる方法についての発表をするとのことで、魔法業界では注目が集まっている。
「……これ、マズそうじゃな……」
イナリは魔法について詳しいことはわからないが、ともあれこの新聞に書かれた記述が正しければ、魔法文明の劇的な発展についてもはや疑う余地もない。そして、イナリにはアルテミア魔法学園なる物の場所もわからないし、仮にわかっていたところで何もできない。
「……我の管轄外じゃし、何も突然面倒なことが起こるわけでは無いし、まあ気にせんでも良いか。我は魔王の事だけで手いっぱいじゃし。さて、次は……」
『コラム:獣人の体を軽率に触るな』
メルモートをはじめ、グレリアの南部以外に住む者は、獣人と接する機会は少なく、数回しか見た事無い、話したことが無いという者もいるだろう。しかしこれからは、魔王の出現に合わせてテイル国から避難してくる獣人も増え、我々が獣人に接する機会もきっと増えてくることだろう。そこで、この場を借りて、私はこれを読んでいる皆に警鐘を鳴らし、文化の違いによる無用な衝突を少しでも減らしたい。
貴方は、獣人の少女が神官と仲睦まじくしている様子を見たことがあるだろうか。あるいは、その関係を見て羨んだり、自分も獣人の耳や尻尾等を触ってみたいと思ったことはあるだろうか。結論から言えば、よほど貴方が獣人と信頼関係を構築していない限り、むやみに接触することは控えた方がいい。その理由は、統計的に、獣人の多くは体の接触に社会的な意味を持つことが多いからだ。それは例えば接触者に対する信頼の証だったり、パートナーの証だったり、時には服従の証になってしまう事もある。
勿論、これは全ての獣人に当てはまることではないし、人間と共に育ち、暮らす獣人の中には、さほど尻尾や耳に対して頓着が無いこともある。しかし残念ながら、我々はそれを見極める術を持たない。さらにややこしいことに、同じ犬系獣人なのに出生地や部族の違いで意味合いが変化することもあるので、犬系ならこう、猫系ならこう、というような類型化が通用しない。そもそも、テイル国でさえ文化の違いによる衝突が日常的に起こっているのに、碌に獣人を知らない我々がそれを回避できるなど、思い上がりもいいところだ。
というわけで、最後にもう一度。無用なトラブルに遭遇したくなければ、獣人の体を軽率に触るな。
「……なるほど」
イナリは菓子をガリっと一齧りしながら呟いた。
「これ、我じゃなかったらエリスは相当手酷い目に遭っているじゃろ……」
幸い……と言うべきかはわからないが、イナリの耳や尻尾に社会的意味はないので、普段から一緒に居る際はほぼ常に触られていることについてさほど気にはしていない。
しかし、この記事をエリスに見せないと、エリスは無限にトラブルに遭遇してしまう事になる。
「これはあやつに見せるべきじゃな。覚えておかねば。して、次が……不審者かや」
『メルモート周辺の不審者情報相次ぐ』
ここ最近、メルモート周辺に不審な人影の通報が多いことをメルモート守衛団が明かした。冒険者ギルドをはじめとしたギルドや教会にも協力を呼びかけ、情報収集を行っているとのことだ。何か不審者に関する情報がある場合は近所のギルドや兵舎等に相談するよう呼び掛けるとともに、夜間の外出や街の外での行動について警戒を呼びかけている。
「ふーむ。思ったより情報が無いのう。我が森で見たあやつは何だったのじゃ」
イナリは森でチャラ男達を襲おうとしていた男を思い出した。もしあの殺意が自分に向けられていたら、きっと震えあがっていたに違いない。いくら神の力以外が効かない可能性が高いと言っても、怖いものは怖いのだ。
「あとは宣伝じゃな。ポーションとは縁が無いし、まあよかろ。さて……聖女の所に行くかや」
イナリはテーブルに新聞を戻し、獣人に関するコラムの上に、近くにあったペン立てを乗せて席を立った。
そして自室に戻り、手早くリズの寝間着を脱ぎ、普段着ている着物を身につけ、狐の硬貨入れとブラストブルーベリーを携帯するベルトを身につけた。
そして玄関に立ったところで、イナリはエリスの言葉を思い出した。
「ええと確か……鍵で施錠しろとのことだったか。……鍵はどこじゃ?」
エリスが鍵を見せてくれたのは覚えているが、どこにあるのかがわからない。
「……どこじゃ……」
いざ外に出ようというところで出鼻をくじかれたイナリは、その後、三十分近くかけて、リビングや、エリスとリズの寝室を隅々まで見回していった。
最終的に、鍵は新聞の下から見つかった。イナリはしばらくその場に立ち尽くした。
 




