129 あの場所は今
宝石の色が赤色になり、アルトの声が指輪越しに聞こえる。
「狐神様!本日はどのようなご用件でしょうか」
「ああいや、これといった用があるわけでは無いが……。丁度我一人になったし、歪みが地上に現れたから連絡した次第じゃ」
「なるほど、そういう事でしたか。おかげさまで、私の世界の歪みの修復作業には、かなり余裕が出来そうです」
「そうか。我は未だに魔王だと思われているようじゃし、何ならこの世界の神はお主しかいないから、我の存在はあり得ないなどという者も居る始末じゃ。やはり迂遠な言い回しなどせず、直接的な文言の神託にしておけばよかったのではないかや」
「いやあ、そうもいかないのが実情なんですよね……。干渉手段も神託以外だと神罰くらいしかないですし……」
イナリの文句に、アルトは渋々と答える。
「そうか……ううむ、我がどうにかするしかないのかのう。ところで、話は変わるのじゃが」
長々と話していても不毛だと判断したイナリは早々に話を切り替えることにした。
「お主、地球の方を覗くことは出来るのかや。我が居た場所は今どうなっているのか、ふと気になっての」
「ああ、それくらいならお安い御用ですよ。そもそも狐神様を見つけたのだって、私が地球を眺めていたからですからね。あ、折角なのでこっちに来て見てみますか?」
「む、そのようなことが出来るのかや」
「はい、少々お待ちください。……ええっと、指輪の座標を確認して……よし、いきます!」
「おわわ!?」
指輪越しのアルトの声に合わせてイナリの足元に穴が開き、イナリは一瞬にして天界へと移動した。
「す、凄まじいのう……」
辺りを見回しながら、イナリはアルトの方に向き直る。
「狐神様の指輪のおかげで座標特定が楽で助かりました。狐神様がいつでも来れるように、指輪に転移機能もくっつけましょうか」
「む、それは便利じゃな、頼んでも良いかや」
「はい、指輪をお貸しください」
アルトに従って指輪を手渡すと、指輪が発光しながら変形する。
「……はい、これで大丈夫だと思います。交信用の宝石を五回連続で押すと、発動時に座標を保存してここに転移します。こちらにいるときにもう一度五回連続で押せば、保存した座標に戻ります」
「なるほど、五回じゃな。わかったのじゃ」
アルトから再び指輪を受け取りながら、イナリは頷いた。
「では先ほどの話に戻しましょうか。ええと……地球の話ですよね。見るだけならそこまで力の消費は無いので、一緒に見てみましょう」
アルトはそう言いながら自分の横の辺りに窓のようなものを生成した。そこには地球が映し出されている。アルトはそれを手で操作して拡大していく。
「ええっと、確か狐神様が居たところは……この辺でしたっけ……あ、ここですね」
アルトが示した場所は、巨大なビル群の中に紛れてぽつんと孤立した神社であった。それはイナリがかつて見た境内案内図と一致する。
「おお、これじゃな。これじゃが……」
イナリはそれを見ながら首を傾げた。それなりの時間は経っているはずだが、別の建物が建っているわけでもなく、倒壊した社がそのまま残っている。よく見ると、境内のそばに人だかりもできている。
「何だか妙な事になっておるな。一体どういうことかや……」
「確認してみますか」
アルトは窓を操作し、空から見下ろす視点から地上に降り立ったような視点へと移行し、人だかりの様子を調べる。
「これは……あれじゃな!」
その人だかりを見てイナリが思い出したのは、深夜の境内に入ってきて心霊がどうとか言いながら騒ぎ立てる輩の事であった。イナリは語彙を持ち合わせていないが、要するに、撮影クルーの事である。
「何か撮影をしているみたいですね」
二人は撮影をしている者達の言葉に耳を傾ける。
「私達は現在、およそ一月前突如倒壊した、天草之穂稲荷大社跡地に来ています。周辺住民から親しまれていたこの場所は、秘密裏に推し進められた都市開発計画によって解体が決定していました。しかしここが倒壊したことや計画の詳細がSNS上で拡散されると、歴史保護の重要性を説くような非難の声が殺到し、計画は頓挫し、今もなお、原因究明のための調査が行われています――」
「どうやら狐神様の住まいが取り壊されることになった原因について話しているようですね」
「周辺住民に親しまれていた?絶対嘘じゃろ。それでは我の社に誰も来ないわけがあるまい」
「それはそうですね。ただ……どうやら、狐神様の住まいの解体を推し進めたのは人間たちの本意ではなかったようですね。欲に目が眩んだ結果でしょうか」
「はあ、やはり多少無理してでも呪いに手を出すべきだったかのう。それに、他の人間はそれを……えすえぬえす?とやらで非難しているようじゃが……それが何かは知らぬがの、事が起こってから非難して何になるんじゃか。結局、誰一人我の事など気にしておらんじゃろうに」
「心中お察しします。まあ、おかげで私は狐神様のお助力を得られたわけですし、それは感謝すべきかもしれませんけども」
「お主からすればそうなのかもしれぬし、今の状況に不満は無いが……ううむ」
「狐神様、少々不満気なご様子ですね」
「そら、我の社を手放した人間共がこてんぱんにされている現場を見たら痛快だったかもしれぬが……。現時点では、どちらかといえば不快感が増しておるのう」
「なるほど。……少々お待ちください」
アルトはそう言うと、イナリがここに来る時に使ったような亜空間を生成してそこに入っていった。
そして待つこと数分、アルトが亜空間を出てきた。その手には本か何かが握られている。
「狐神様、こちらを」
「何じゃこれは?」
「地球の雑誌です。目に留まったものを持ってきました」
「ふむ」
「これによると……狐神様の住まいを打ち壊そうとした連中は軒並み酷い目に遭っているようですよ。スキャンダルってやつですね」
「ううむ、これもあまり我が思い描く形ではないが……。まあ、そうか。何らかの罰は受けておるのじゃな」
イナリは雑誌をパラパラとめくりながら呟いた。中にはイナリの土地を手放した者の地位が失墜する過程に加えて、この雑誌を書いた者の憶測混じりにあることないことが綯い交ぜになっていた。
イナリは勢いよくパタリと雑誌を閉じ、アルトに返した。
「まあ、この話はこれで終いにするとしよう。満足かと言われると疑問じゃが、知りたいことは知れたのじゃ」
「それはよかったです」
「ちなみにお主今、世界間を移動したのじゃよな?その、神の力とやらは問題ないのかや」
「ええ、一時的に世界に穴を開けるので、多少力は使いますが……適切な方法で行っているので大した問題ではないです。世界の修復の方がよほど大変です。例えるなら……部品が揃ったバラバラの機械を組み立てるか、部品をゼロから構築して機械を組むか、みたいな感じでしょうか」
「なるほどのう」
「一応、狐神様も戻れると言えば戻れますよ。ちょっと散歩するくらいなら気分転換になるかもしれませんし、いつか行ってみますか?」
「まあ……気が向いたらじゃな。少なくとも歪みもとい魔王の云々が終わってからにしたいところじゃ」
「あぁ、私はほぼほぼ仕事が終わったような気分でいましたが、そうですね、狐神様が大変なのはこれからなんですよね……。私も全力で支援させていただきます」
「うむ。……そういえば、普通、実体化した歪みの対処はどうなっておるのじゃ?」
「いつもなら大体一、二月程度で実体化した歪みは対処されている印象がありますね。ともあれ、狐神様に近づかせないように、歪みの様子は監視しておきましょう」
「監視と言わずとも、お主が直接叩けば良いのではないかや?」
「そうすると過干渉による神の力の消費量もすごいですし、多分天変地異が起こりますけど……狐神様がそう言うなら……」
「いや、良い。はやまるでない。結構じゃ」
「そうですか。たまには楽しいかと思ったんですがね」
「物騒な事を言うでない……」
何故か少し残念がるアルトを見て、イナリは冷や汗を流した。
「ともあれ、そういう事なら我は特に何もせずゆっくりしておるから、何かあったら伝えてくれたもれ。こちらからもまた連絡するのじゃ」
「わかりました。通信でなくとも、指輪を使って直接いらっしゃっても結構ですので」
「うむ。ではの」
「はい」
イナリは軽くアルトに手を振って指輪を五回連続で押し込んだ。そして、天界の先ほど居た場所から少しずれたところに転移した。
「……あ、すみません。狐神様、多分、今いたこの場所の座標を保存して、そこに移動してますね。一旦狐神様が居たところに送りますので、そこで一回試しに使ってみて頂いてもいいですか」
「……締まらんのう……」




