128 神器と教会の動き
不可視術を解除し、イナリはエリスに抱えられて家路につく。日が暮れていることもあって人通りこそ少ないが、とはいえ通行人からの視線が集まり、なかなか落ち着かない。なるほどこれは刑として成立している。
イナリがそんなことを考えているとは露知らず、エリスが口を開く。
「そういえば、結局神器について、教会側からは何の動きもありませんでしたね」
「む?平和に事が済んで良いことではないか」
「それはそうなのですが……ギルドからの報告はどうなっているのでしょうね?聖女様も存じ上げないようですし、周知されている様子も無かったです」
「荒唐無稽な話だと一蹴されてしまったかの?魔王を擦り付ける我の狙いは外れたと見るべきかの……」
「それにしても、神器の存在は記載されているはずですから、あちらから神器を回収しようとする動きがあってもいいものでは?」
「うーむ、言われてみれば、確かにそうかもしれぬな……」
「ちょっと気になりますね。イナリさんが部屋を出た後、聖女様に軽く尋ねてみたのですが、特に何か知っていた様子も無かったですし。もし余裕があれば、今度聖女様に謝りに行く時、軽くでいいので探ってみてくれませんか?」
「さ、探るとな?どうすれば良いのじゃ?というか、お主も来れば良いであろ」
「いえ、聖女様との接触は業務時以外不可能と言っていいほどに難しいので、次話せるのは結構先になってしまうのですよ。イナリさんなら不可視術を使えばいつでも行けるでしょうから、お願いします。探ると言っても、軽く教会内を散歩する程度で良いですから」
「ううむ……。我の見立てでは、大した情報は得られぬと思うがの……」
「それならそれで良いのです。私が危惧しているのは、イナリさんとの生活が崩れることですから」
「お主、その情熱をもう少し聖女に分けてやっても良いのではないかや……」
「そうしたいのは山々ですが、聖女様は立場が違いすぎるのですよね。外に出たがっていることも重々承知なのですが……唯の一神官がどうこうできるわけでもなく、ですね」
「なるほどのう、難儀じゃな」
「そうですねえ……」
エリスの返事を最後にしばらく無言で街の中を進んでいた二人だが、そのさなか、イナリはふと頭に浮かんだことを、さりげなくエリスに尋ねることにした。
「エリスよ」
「なんですか?」
「その、聖女の名は何といったかや」
「聖女様の名前はアリシア様ですよ?……イナリさん、この前記憶力に自信があると言ってませんでしたっけ……」
「忘れたわけではない!それ!それじゃ!!」
「は、はい?」
突然腕の中で憤慨するイナリに、エリスは驚いた。そして、イナリの言う「それ」がどれなのかわからないので、さらに困惑した。
「我、神じゃぞ?何故アリシアは『様』で、我は『さん』なのじゃ!納得がいかぬ!!」
「え、ええぇ……」
「認識を改めることを要求するのじゃ!」
「でも、私の中でイナリさんはイナリさんですから、それを改めろと言われましても……。それに、様という呼称は、確かに上位の者への敬意を表しますが……それは精神的な距離をとることも意味すると、私は思っています。ああいや、聖女様に関しては、どちらかといえば社会的な理由の方が強いですけども……」
「なるほど、わかったようなわからないような……。ううむ、我の目的は人間と交流を図る事。無用な軋轢は生むべきでないし……はあ。甘んじて受け入れるとするかのう……」
「ええ、そうして頂けると助かります。それにしても……イナリさんは、先ほどもそうですけど、かなり人間関係に気を遣うのですね?」
「はて、先ほどの事というのは何のことかはわからぬが……以前、人間との交流をしなかったことが原因で、家を勝手に売り払われてしまったからのう。そこからの反省というものじゃな」
「何ですかそれ!?イナリさん、今からでも遅くないですから、その場所に行ってその不届き者を成敗しましょう!」
「いや、もう無理じゃ。説明のしようがない場所じゃし、きっと今頃、無駄に巨大な建造物でも建っていることであろうな」
「こんな幼気な女の子にそんなことって……」
「いや、我、神じゃからな?幼気などという言葉とは程遠い存在じゃからな??」
「はいはい、そうですね」
エリスはイナリの耳を撫でながら、適当な返事を返した。
イナリが神だと知っているうえでのこの反応なのだから、もはや何を言っても無駄だろう。イナリは口をつぐんだ。
それにしても、地球に戻るつもりも無ければ、未練も無い。とはいえ、イナリが元居た場所が今どんな状態なのかという点については、気にならないことも無い。アルトに聞けば教えてもらえたりするのだろうか。
そんなことを考えながら、二人は街の中を進んだ。夜の、僅かに冷えた風が心地よかった。
「お前、馬鹿な事してんなあ」
パーティメンバーで会しての夕食時、教会での顛末を聞いたディルの第一声である。
「馬鹿とは何じゃ!」
「いや、馬鹿だろ。俺はエリスの意見に同意だ。悪いことは言わねえから、早めに聖女さんの印象を回復しておいた方がいいぞ」
「ぐ、ぐう……」
「確かに、普段のイナリちゃんを知らないと、ちょっと……感じ悪く映ってただろうね。エリスのフォローも大変だったんじゃないかな」
「エリック、お主まで……」
イナリは苦し紛れにリズに目をやるが、リズは黙って首を横に振った。
「まあ、そういうことですから、イナリさん。ちゃんと謝りましょうね」
「……うむ……」
イナリの態度から、心の底では納得していないことが見透かされたのだろう。エリスはイナリに念押しした。
「それにしても、神器の件が何もお咎めなしなのはちょっと怖いね。聖女様から正式に許可が下りるなら気にしなくていいのかもしれないけども」
「そうか?あのギルマスの事だし、まだ机の中に報告書があるって言われても俺は驚かないがな」
「……否定できないのが悔しいですね」
「流石に、魔王に関する記述もある報告書を放置ってことは無いと思うよ」
「まあ、我が近いうちに探りを入れる予定じゃからの、大船に乗った気持ちで待っておるが良いのじゃ」
「泥船の間違いじゃねえのか」
「ははは、ディルのような者でも違いが分かるように、今度本物の泥船に乗せてやるから楽しみにしておれよ」
「まあまあ、二人とも落ち着いて……」
「ところで、神器の許可ってどうやって下りるの?流石に聖女様が良いって言っても、それなりの理由は無いとダメでしょ」
にらみ合うイナリとディルをよそに、リズが肉を齧りながらエリスに問いかける。
「まあ確かに、『アルト神以外の神本人の神器です』というわけには行かないでしょうし……恐らく、イナリさんが持たないと効果が発揮できないとか、そういう路線になるんですかね?」
「そんなの偽装し放題じゃない?大丈夫なの?」
「一度効果が失われたら戻らない可能性があるとか言っておけば、わざわざ真偽の証明などしないでしょう。まあ……実際に許可が下りるまで、どういう感じになるのかはわかりませんね。あ、そうだ、この神器、イナリさんに返しておきます」
「うむ」
その後は雑談に切り替わり、そのままつつがなく夕食を終え、体を洗って就寝した。
そして翌日。
イナリはエリスに体を揺すられて目覚める。
「んん……何じゃ全く……」
「あ、今日は起きてくれましたね。イナリさん、私達、急遽街道に現れた魔物の退治依頼を受けることになりまして……夕方くらいまで、一人でお留守番をお願いしても良いでしょうか?」
「ん、わかったのじゃ」
「あ、あと、不可視術を使って聖女様の所に行ってもいいですよ。その時は家の施錠を忘れずにお願いします。裏口は閉めてありますので、玄関だけ、扉にこの鍵を指して回すだけです」
エリスはイナリに銀色の鍵を見せた。
「すみません、皆さんを待たせてしまっているので駆け足になってしまいますが……前と同じようにおやつとお小遣いを用意しておきましたので、いい子にしているのですよ」
「うむ」
「何かあったら冒険者ギルドに行けばリーゼさん辺りが対応してくれるはずです。では、行ってきます」
「うむ。気を付けるのじゃぞ」
エリスはイナリの頭を軽く撫でた後、駆け足で部屋を出た。耳を澄ませば、玄関が勢いよく開閉する音も聞こえた。
イナリは起き上がり、そのままリビングへと移動する。今、家にはイナリしかいないらしい。
食卓の上を見れば、イナリの定位置となっている場所に銀貨が一枚と、何かの菓子が入った袋が置かれている。
「……む、これは……?」
イナリはその横に置かれた紙面に目をやった。紙の上部には「メルモート新聞」と書かれている。イナリが手に持って広げれば、イナリの肩幅を超える程の大きさになった。
新聞にびっしりと書かれた細々とした文字は一旦置いておいて、大きく強調された文字を流し読みしていく。
「どれどれ……『テイルに魔王出現 避難者続出 種族間衝突激化か』、『神託解釈論 魔王一対説が採用 勇者選抜へ』……ふむ、やはり一番の関心は魔王というわけか。そして……やはり、我が魔王であるということになってしまったか……」
イナリは気を落としつつ、他の見出しに目を向ける。
「『アルテミア魔法学園 転移魔法理論確立か』、『コラム:獣人の体を軽率に触るな』、『メルモート周辺の不審者情報相次ぐ』、『品質にこだわるならウサギ印のポーション』……いや、これは宣伝というやつか……」
まだまだ気になるものはありそうだが、イナリは一旦手に持った新聞をテーブルに戻し、椅子に腰かける。
「さて、我のすべきことは色々あるが……ともあれ、まずはアルトと連絡じゃな」
アルトとはつい最近も交信したし、少々頻度が高い気がしないでもないが、とはいえ誰も居ない状況というのは貴重なので、有効活用しない手は無い。
イナリは手に嵌めた指輪に触れ、通信を開始するべく宝石を押し込んだ。




