117 森から街へ
結局何事も無く夜が明け、一同は朝食を取って手早く荷物を纏めた。
そして現在、川へと繋がる、森の間の小道を歩いていた。
イナリも、ずっと小屋に放置していた小銭入れや神器の短剣、家の畑で育てた作物の一部を風呂敷に包んでいる。
「遂にこの道ともおさらばだ。やっと街に帰れる!」
道の終点でもある川が見え始めたところで、リズが両腕を上げて喜びの感情を露わにする。
「ふむ?環境に限って言えば、森の中が一番住みよい場所じゃと思うがの」
「本気か?森なんて危なくて住んでられねえぞ」
リズの言葉に首を傾げるイナリの声に、ディルが反論する。
「ああー、イナリちゃん、豊穣神だもんね。豊穣神的な感覚だと、やっぱり街は微妙……?」
リズは少し不安げな表情でイナリに問う。心なしかエリスもそわそわとしている。
「んや、お主らの街はまだ良いし、街が発展する様子は飽きなくて嫌いじゃないがの。我は発展の究極体、植物を全て切り倒して建造された、妙に大きく角張った建物に囲まれるのが特に嫌いじゃ。あの殺風景な景色は本当に酷いのじゃ。全部植物で包んでやりたくなる」
イナリがここまで都会に対して嫌悪感を抱いている理由として最も決定的なものは、やはり自身の神社を潰したことにある。
イナリが鍛冶屋のガルテを見たときもそうだが、何かとその一件を連想するようなものを見たり触れたりすると、どうにも嫌な気持ちになる。
「……何か、ただならぬ感じだね。その、イナリちゃんが嫌いな角張った建物っていうのはわからないけど、もし王都とか、メルモートより発展してる場所に行ったら、イナリちゃん嫌な気分になっちゃうかも」
「ああ、確か……ぐれりあ?とか言ったかや。まあ、今ならば、嫌だと思うたら移動する選択も取れるからの、さほど気にせぬよ」
イナリは、今思えば、地球に居たころもずっと神社に留まるのではなく、今のように遠くまでとはいかずとも、近所を散歩するくらいはしても良かったかもしれないと思った。それを今思ったところで、もうどうしようもないが。
「そう?まあ、無理はしないようにね」
「うむ」
イナリ達の会話が終わったとほぼ同時に、一同は川へと出る。
少し川下へと目をやれば、リズの魔法の爆発跡が残っている。そこに流れ込む川を流れる水が流れ込み、池のようになっている。時間が経ち、ここの水が満たされれば、やがて今までのようにヒイデリ湖まで水が流れるようになるだろう。
周辺にはトレントだったものと思われる黒い残骸がいくつかあるが、その中に再生しようと疼いているようなものは無いし、イナリの方へ向けて動くトレントの姿も無い。
さらにその穴の横の、かつてトレントが道中の全てをなぎ倒して形成した道の方も、その凄惨さはしっかりと残しつつも、トレントに潰されたトレントが起き上がるとか、そういったことは特に無さそうだ。
「実に平和じゃな」
イナリは端的な感想を述べる。
「そうだね。多分、魔の森にいたトレントは全部イナリちゃんに向かって動いていたから、この様子だとほぼ全滅と言っていいだろうね。一応改めて、エリスに索敵してもらってもいいかな」
「はい、広域結界を展開します。……範囲内には何もいません」
「了解。じゃあ、ディルもまだ疲れが抜けきってないだろうし、引き続きエリスに索敵してもらいながら街に戻ろう」
「わかりました」
「ああ、悪いがそれで頼む。イナリ、あまり離れないようにしろよ」
「うむ」
ディルがイナリの方に目を向けて注意を促してくる。
よくよく考えればイナリにとって、自身の体が自由な状態でパーティの皆と危険が蔓延る森の中を移動をするのは、今回が初めての事である。
「ディルさん、ご心配なく。私が離しません」
「……そいつからは多少離れててもいいぞ」
「……うむ」
イナリは昨夜、自身が眠れない際、エリスが安心させてくれたことはありがたく思っていたが、流石に、日中から密着されるのはまた話が別である。
静かに、そして素早く背後に回ってきたエリスから、イナリは一歩距離を取った。
そして一同はあっさりと魔の森を抜け出した。
魔物に襲われたのも一度だけで、それもエリスによる索敵から、リズの魔法による牽制、そしてエリックの一太刀で撃退と、あっという間の出来事であった。
むしろイナリにとっては、道中に伸び伸びと生えていた、イナリの身長に匹敵する草をかき分ける方が大変なくらいであった。ついでに、ふと地面の土を見たときに、トレントが移動する際に空けたであろう穴の数々が目に入った時は、血の気が失せた。
イナリ達はそのまま川に沿って進み、ヒイデリ湖に辿り着く。
「だ、誰もおらぬじゃと!?何かあったに違いないのじゃ……」
今までイナリがここを通る際には必ず釣り人がいたが、今回は誰一人としてその姿が無い。イナリはその異常性に声を上げる。
「一応言っておくが、今までも、近くの丘が魔境化したってのに釣りをしてるやつらが異常だったんだぞ」
「一応その人たちの中には、冒険者ギルドの依頼を受けてる人もいたみたいだけどね」
エリックが酔狂な釣り人の一部を擁護する。
「正直、俺はそれを踏まえても危機意識に欠けると思うがな」
「まあ、誰もがディルさんみたいに考えてるわけではありませんし。冒険者は危険と隣り合わせなのですから、仕方ない側面もあるのでは?」
「それで何かあったらどうするんだか。冒険者なんて命あっての物種だぞ」
「確かに危機意識に欠ける方も一定数居るのでしょうが、何でも受けられるなら受けないと生活していけない人々も一定数いますからね。誰もが依頼を選り好みできるとは限りませんよ」
「……そう言われちまうと何も言えねえなあ……」
エリスの諭すような言葉に、ディルは頭を掻きながら返す。
「実際エリスの言う通りだね。それで、少しでもそういう冒険者の依頼の成功率を高めるために、僕はいつも講習活動に参加しているんだよ」
「お主、何故頻繁にギルドに赴いておるのかと思うたら、そういう事情だったのじゃな」
「それだけじゃないけどね、主要な仕事の一つだよ」
「いつもギルドで情報を集めてるんだと思ってたが、そういえばそんなのもあったな。何だったか、確か……『駆け出し講習』だったか?よくやるぜ、俺はそんなことをしている時間があったら自分を鍛える」
「ディルさん、脳筋思考すぎます。それに、『初心者講習』ですよ。後続を育成することも大事な事ですからね?」
「ああ、それだ。……でもよ、それ、全く話題になってないだろ。俺だって名前を覚えてないくらいだぞ?」
エリスから正しい名前を聞いた後も、ディルは首を傾げる。
「うーん、確かに、リズも参加した記憶ないし、何なら初めて聞いたかも……」
「お前に関してはアレだろ、『リズはテンサイだからそんなの聞かなくてもぜんぶわかるもーん!』とか言って、ギルドの事務員を困らせたんだろ」
「その声真似、ムカつくから二度とやらないでくれる?」
リズがディルの腰を杖で叩くのを見ながら、イナリも初心者講習について思案する。
「ううむ、我が冒険者登録をした際もそのような説明を果たして受けたか……」
「イナリちゃんも結構説明聞き流してたよね?あの時のリズも聞いてなかったけど」
リズやイナリの反応を見て、エリスは訝しげな表情になる。
「……あの、エリックさん。実際の所、その講習の参加率ってどの程度なのでしょう?」
「今あの街のギルドの講習は殆ど僕がやってるんだけどね。ごく稀に人がいるよ。最後に人が来たのは……少なくともイナリちゃんと会う前かな……」
エリックの返事に、エリスとディルは絶句する。
「……それってつまり二週間以上前ってことか?流石に酷すぎねえか……?」
「うん。何でだろうね?一応ギルドの人に提案して、掲示とかも試してるんだけどね」
「ひとまず、そもそも認知されてるのかどうかって話からじゃない?何にせよ、本格的に分析しないとダメそう」
リズが包み隠さず率直な意見をエリックへぶつける。
「うーん、もしかしたら近いうちに意見を聞いたりするかもしれない。その時はよろしくね……」
エリックもそれなりに頭を悩ませているのか、かなり憂いた表情であった。
「まあ、この件は一旦置いておいて、そろそろ街門ですね。イナリさん、神器を私に」
エリスがイナリに手を伸ばし、神器を要求してくる。
「む?何故じゃ?」
「イナリさんの物とは言え、神器である以上、少なくとも身分上は一般冒険者のイナリさんより、神官の私が持っていた方が自然ですからね。……イナリさん、また拘留されちゃいますから」
「なるほど、そういう事であったかや」
エリスの話に納得したイナリは懐から短剣を取り出し、エリスに手渡した。
「それにしても、人の街の門を見て帰ってきたと感じるような時が来るとは思わなんじゃ」
「ふふ、私達の家を帰る場所として認識して下さっているということですね。嬉しいです」
一同は街の門へと歩いて行った。
 




