101 静かで暗い森
ディルとエリスが寝入った後、イナリはオリュザの種が入った箱を抱えて、川に続く暗い森の中の道を眺める。
「ううむ、予想はしておったが、やはり暗いのう。これ、森の中に入ったら何も見えぬのではないかや」
先ほどイナリがキノコ採取に森に入った時点でも森の中はそれなりに暗かったので、比較的明るい場所を選んで移動していたのだが、夜になると本当に何も見えなくなってしまっているようだ。
「うーん、エリック兄さん、ライトボール使っちゃう?この辺に魔物が出ないなら、多分堂々と明かりをつけても大丈夫だと思うよ」
「そうだね、それはいいんだけど……リズ、もう魔力は回復してるのかい?」
リズの提案にエリックは彼女を気遣うように問いかける。
「うーん、まあ全快とまでは行かないけど、明日以降の活動にも支障は出ないと思う」
「そっか、ならお願いしようかな。一応松明も準備できるから、無理しないようにね」
「うん、大丈夫!今日は久々に攻撃魔法を大量に使って疲れちゃっただけで、リズは低級魔法でへばるほどヤワじゃないから!」
リズは杖を地面に突き立て、胸を張って答えると「ライトボール」と唱えて光の玉を出し、川へと続く道を歩き出す。
「中々に便利なものじゃな。我には魔力が無い故わからぬが、魔力というのは有限なのかや?」
「うーん、有限っていうか、体力みたいなものかな?魔力についても実は詳しい仕組みはよくわかってないんだけど、体の中にある魔力器官みたいなのが魔力を生成、蓄積してて、その魔力を用いて、世界に満ちているマナに干渉することで様々な事象を引き起こすっていうのが基本的な魔力学における理解なんだけど、そうすると唯一神の力を借りて行使するとされる聖魔法だけ説明がつかなくて、そもそも聖魔法を魔法と定義すること自体に問題があったのではないかなんて議論も起こってて―」
「なるほど、体力みたいなものなんじゃな。わかったのじゃ」
何かものすごく奥が深そうな話題に足を踏み入れつつあることを察知したイナリは、ひとまず結論をまとめることにした。
「ちょっと、ここからが面白いのに!」
「しかしのう、我、魔力が無い以上、そこまで縁のない話なんじゃよなあ」
「あぁ、そっかあ……」
「とはいえ、別につまらぬ話だとは思わんからの、聞ける範疇で聞く分には良いかもしれぬ」
「本当!?じゃあ今度、先生と三人で一緒にお話しよう!」
「それはちょっと、我、ついていけなさそうじゃから遠慮するのじゃ」
「だよね……」
イナリは、一喜一憂するリズを見て申し訳ない気持ちにならないでもない。
とはいえ、先ほどのリズのような議論が一時間も二時間も続いたら、流石に狂ってしまうかもしれないので、討論会への参加は辞退することにした。
「……それにしても静かだね。何というか、夜でも魔物が居ない森って不思議な感じがするよ」
リズとイナリの会話が途切れたところで、エリックがこの森に関する感想を述べる。
「む、これはそんなに特殊な事であろうか?」
地球で暮らしていたイナリには、この世界における魔物がどのような存在なのか、いまいちわかっていない。
何か人間を害する存在であるというのはわかる、というより身をもって知ったが、この世界にどの程度分布するのかなどの、恐らくこの世界では常識に位置付けられているだろう事項すらわからないのだ。
「そうだね、かなり珍しい……というか、無いことは無いんだけど、こんなに適当に喋りながら歩けるようなことはまず無いね。強いて言うならエルフの森とかは比較的安全だけど、そこも完全に、とまではいかないしなあ……」
「ふむ、その、えるふ?が何かは知らぬが、まあ確かに魔物が確実に居ないだろうという保証が無いことには、落ち着いて散歩などもできないであろうな」
「それもそうだし、静かな森はむしろ危険な事の方が多いんだよ」
「危険とな?」
「そう。大抵魔物が大人しくなるのは、何か強大な存在や異常を回避するための行動だよ。代表的な例はドラゴンとか魔王が近くにいるとかだね」
「今日ここに来るまでの道で全然魔物が居なかったのもそういう理由だと思うよ。多分トレントが異常な行動をしたせいで他の魔物が怯えたのかな」
エリックの説明にリズが補足する。
「なるほどのう。基本的には森を歩けば必ず遭遇するようなものなのじゃな」
「そうだね。ついでに言えば、森に限らずどこでも、かな。何なら街の地下にもいるからね」
「ああ、何といったか、ええっと……スライムじゃったか」
「そうそう。それにしても、イナリちゃんが暮らしてた場所って一体どこなんだろう。あ、これは別に答えなくても大丈夫だからね」
「ん-、そうじゃな、では黙秘ということにしようかの……」
イナリがかつて住んでいた場所については、異世界もとい地球の存在を示唆すると、アルトとの繋がりが露呈しかねない。
あるいは、最悪「神だから」というフレーズを使えばどれだけ突飛な回答でもできただろうが、変な嘘がパーティ内で共有されてしまっては、また変な誤解が生まれかねない。
そんなわけで、イナリはエリックが用意してくれた無回答という選択肢をとることにした。
その後は特に会話も無く、周囲を見回しながら川まで移動していくと、相変わらず、目の前には大量のトレントがひしめき合っており、トレント同士の葉が擦れあう音や、ドスドスと根を地面に刺す音が響いている。
「……昼間でも十分キモかったけど、夜だとさらに怖さも増してすごい嫌だな……」
「見た目はともかく、音に関しては草木のざわめきと思うことにするのじゃ。強風の日などは斯様な音になるじゃろ」
「嵐の日でもこんな地面の打撃音はしないと思うけどなあ。リズには無理そうだから、何とかして慣れよ……」
リズは悩みぬいた末、目の前の光景に慣れることを選んだようだ。
「そういえばイナリちゃん、昼頃水を汲みにここまで来てたよね。その時と比べて何か変化はありそう?」
そんなリズをよそに、エリックがトレントの方を観察しながらイナリに尋ねてくる。
「んや、良くも悪くも、特に変わり無さそうじゃな」
「わかった。こっちで警戒するつもりではあるけども、イナリちゃんが見てて気になったこととかあったら教えてね」
「うむ。ではひとまず我はオリュザの種を撒くとしようではないか」
イナリは自身が作った田に近寄り、抱えていた種が入った箱を地面に置いて開いた。そして種を手に持ち、地球で見た田の記憶を頼りに適当な間隔をあけて種を埋めていく。
間違いなく知識がある者がこの光景を見たら卒倒するであろう所業であるが、これはイナリの能力に理論を踏み倒せるほどの力があるからこそ成せる業である。極論、植えときゃ何とかなってしまうのだ。
「そういえばイナリちゃんさ、皆に自分が神かつ魔王だって話したじゃん?それでどうするつもりなの?」
「確かにそれは僕も気になるな。何で伝えられたのかがよく判らないというか、目的がはっきりしないというか?」
近くの岩に腰掛けてイナリが種を植える様子を眺めていたリズが、イナリに問いかけてくると、それにエリックも乗じてくる。
「ふーむ、そうじゃな、簡単に言うと、我の味方になり得る者を増やすことじゃな。お主らなら大丈夫じゃと判断したからの。あ、ちなみにじゃが、我の能力を開示したのもお主らを信用しての事じゃからの?」
種を植え終えたイナリは川の水で手を洗いながら答えた。
未だにイナリは自身が捨てられることに対しては敏感で、イナリの能力を知って勝手に妙な期待を持った挙句に、期待外れだとか、用済みだとかで捨てられてしまう可能性を非常に恐れている。
しかし、少なくとも彼らがそのような事をすることは無いだろう。イナリはそう考えているからこそ、彼らに自身の事を諸々伝えているのだ。
「なるほど、大変な決断だっただろうね……。それでイナリちゃんは今後どうしたいのかな」
「そうじゃなあ、我が魔王だとか言われているのを解消することが最終目標じゃが……。ひとまず、魔王が出現するまでは様子見じゃな」
「様子見でいいの?」
エリックが拍子抜けしたように返してくる。
「うむ。元々我は魔王が出てきたらそちらに注目が行って、魔王としての我の話題は立ち消えると踏んでおったのじゃよ。今こうしてトレントに囲まれていることからもわかるように、その計画は頓挫したと考えておるがの」
「まあ、多分今日の街の話題はここの事で持ち切りだろうね。実際二体魔王がいるって騒がれてるし」
「そういうことじゃ。というわけで、ひとまずお主らという味方を増やして、本物の魔王が出るまで待機じゃ。案外、この森の事が些事に思えるようなことをしでかしてくれるやもしれぬし、そうしたら大したこともせぬ我の方に構っている余裕などないじゃろうから、そのまま忘れ去られるなり、放置されるなりするじゃろうて」
「そうかもしれないけど、縁起でもないし、楽観的すぎない……?」
イナリの発言にリズは困惑する。確かに今の発言は人間的にはあまりよろしくない発言なのだろう。
とはいえ、実際にイナリは、前もって立てていた計画こそ方針転換を余儀なくされたが、未だに楽観的な見通しを立てているのだ。
というのも、先ほどイナリが言ったようなことに加えて、イナリに協力してくれる者は、魔法学校の教師、聖女と繋がりを持つ教会の回復術師、冒険者ギルドの上位メンバーと、大体の主要組織のメンバーが揃い踏みなのだ。
ともすれば人間の動向は容易に知ることが出来るだろうし、イナリには、多少のことではこの布陣をもって負ける未来が見えないのである。
「ともかく、我が魔王である問題は何とかなるじゃろうて、今は目の前のこやつらをどうするか考えるべきじゃ」
「まあ、イナリちゃんがそう言うならいいけどさ……?」
リズは怪訝な表情をしながら、再びトレントの方へと目をやった。そして、すぐに逸らした。
 




