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消えゆくは儚き蝋燭の光  作者: みーなつむたり
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第三話 広島 典子の章 3


 昭和20年、8月6日。


 この日は、とてもよく晴れた朝だった。


 暑くなる前のカラッとした空気が、開け放った窓から入り込む。爽やかな朝。


「今日はよう晴れとるのに、なんでそんなに不機嫌なんじゃ?」


 征一郎と共に麦飯を弁当箱に詰めていたナナシの服を、おずおずと引っ張る者がある。典子だった。

 

 寝惚けているわけではない。

 具合が悪いのかと、ナナシは典子のおでこに手を当てるが、熱がある様子でもない。


「どしたん?典子、しんどいんか?」


 征一郎に問われ、典子は小さな眉根を寄せて、「うーん、」と歯切れ悪く俯く。


「征一郎、今日は学校休ませたらどうなん、」


 ナナシは膝を曲げ、典子の顔を覗き込みながら征一郎に言う。征一郎も無精髭だらけの顎を掻きながら唸っていたが、


「ナナシ、大丈夫よ。大丈夫じゃけ、ウチ、学校行くよ」


 典子は無理して笑ってみせて、ナナシの用意した弁当を掴むと、居間に戻っていった。


 一間しかない部屋の片隅で、こちらに背を向け、鞄に弁当を入れる典子の丸く小さな背中が妙に寂しい。


「………」

 

 一抹の不安を抱えたナナシが征一郎を見た。

 征一郎もナナシを見遣り、溜め息らしき息を吐き、


「ほうじゃの。わしも今日は早めに帰るけ、それまで、典子が帰ったら、ちょっと気にして様子を見とってくれんか、」

「もちろん。でも征一郎も気ぃつけぇや。なんか今日はえらいいい天気じゃけぇ、空襲警報もよう鳴るかもしれんし、」

「そうじゃな。」


 征一郎は、弁当を片手に持ちつつ、玄関へ向かう前に居間に寄り、沈んだように座る典子の頭をポンと叩いた。


「しんどくなったら、早退せぇよ。お前が呼びゃ、どこにおってもナナシが飛んでくるけぇ。なあ、ナナシ」

「ああ、どこにおっても、俺が典子を迎えに行くけぇ、心配せんでもええよ。」


 典子はおずおずと振り返り、ナナシを見た。典子と目が合ったナナシは柔らかく微笑む。

 すると典子はようやく、あの幼い頃のままの、向日葵のような笑顔を見せた。


「ほうじゃね、ほうじゃほうじゃ!お父ちゃん!ウチももう行くよ、一緒に行く!」

「お、おう。なんじゃ、急に元気になりよった。まあええ。久し振りに一緒に行くか!」

「うん!」


 典子は弾むように玄関に向かい、昨日下ろしたばかりの真っ白な靴を履くと、


「行ってくるね、ナナシ!」


 目一杯の笑顔で大きく手を振った。


「いってらっしゃい!気ぃつけてな!」


 それに応えるナナシの声が、雲一つなく澄みきった青い空に吸い込まれて消える。


 目が眩むほどの太陽を見上げ、ナナシは、このままあの父娘とずっと一緒に暮らせる未来を夢想して、緩やかに目を細めた。


     ※ ※ ※



 透けるような青の遥か上空、一機の機影が静かに広島の空へと忍び寄る。


 

 仕事へ向かう征一郎と別れた典子は、袋町国民学校の門をくぐった。


「のりちゃん、おはよう!」


 すると同じおかっぱ頭の同級生に声をかけられて、典子は勢いよく振り返る。


「あ、さっちゃん!おはよう!聞いて聞いて!今日ね、ウチね、ちょっと嫌な夢見たんよ、」

「え、そうなん、どんな夢?」

「あんね、なんかね、………」



 8時15分。


 突如広島の空で目映い光が破裂して、世界が白一色に塗りつぶされた。


「…あ、」


 典子が小さく呟いた。




 刹那灼熱の爆風が轟き、建物ごと木の葉のように典子の身体は飛んでいった。


 広島の町が真っ黒く焦げて溶けていく。

 



『典子!』


 一瞬にして、すべての笑顔は無に帰した。

 

 

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