その繰り返し
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「北川さんにはもう唐揚げは任せられるわね」
「ありがとうございますっ!」
「じゃぁそろそろ時間だから上がって良いわよ」
「はいっ、お疲れ様ですっ!」
スーパーのパートの仕事にも慣れて来て初日から任されていた唐揚げも今ではメモを見返す事もなく一から作る事が出来る様になって来た。
やはり、どんな仕事でも一人で出来る様になってくれば楽しいと思えるものである。
元夫とは今のところ月一回は娘である真奈美に会ってくれるみたいであり、もう真奈美には会ってくれないのではないかという不安によるストレスが無くなったというのも大きいかも知れない。
そして不倫により得れる幸せよりも今のささやかな幸せの方が愛おしく何よりも大切で尊い物だと少しずつそれらを実際に取り戻して初めて気付く。
月にして八万円、そこから押し問答はあったものの家賃として二万、光熱費と食費は家賃貰っているから貰えないという高城とそんなの関係無いから折半させてという私とで揉めに揉めて五千円五千円の合計一万の三万円を高城に渡して残り五万はスマホ利用料を含めた雑費に真奈美に必要な物に使い、残りは全て真奈美の為に貯金である。
浮き沈みはあるものの月に数万円は真奈美の為に貯金出来ている。
その貯金額が貯まっていくのを見ると更に真奈美の為にとパートを頑張れるのだから不思議である。
それと同時に元夫のこういう何気ない幸せを私は奪ったのだと気付かされる。
何かをすれば何かに気付かされる、その繰り返しだ。
もし不倫をせずに家事育児を精一杯やれていれば今感じている様な幸せを感じる事は出来たのか?
それは今となっては分からない。
別段、男は働き女は家事育児だと言うつもりは無いし、稼げる者が稼ぎそうで無い者がサポートする、又は共に働き共にサポートするという形でも良いとは思うのだが、だからこそお互いにリスペクトするべきであったのだ。
蔑ろにして良い訳がない。
娘を保育園に預けて時間が余った。
その余った時間は誰が頑張ったお陰で出来たのか。
勿論ここまで子育てして来た私のお陰でもあるのだろう。
しかし、元夫が頑張って働いてくれたお陰でもあるのだと今自分自身が働く事によって気付く。
その余った時間を不倫に使い、その言い訳が時間が余って寂しかったなど良く言えたものだ。
それと同時に両親の偉大さと、そしてなんと親不孝な娘なのか改めて思い知らされる。
そして私は自転車に乗ると籠には従業員割引で買った真奈美の好物になりつつある唐揚げを入れてそのまま真奈美を迎えに保育園へと向かう。




