よくある記憶喪失とよくあるファンタジー
古の魔法が息づく世界。そこに伝わる伝承。
“闇は銀と赤によって討ち払われる。”
今となっては風化した伝承。だがこの一句は永く受け継がれてきた。今でも街の至る所にその色が見受けられる。
それは旗であったり、ドアの色であったり、はたまた外壁だったりと様々だ。国や言語が違えどこの色だけは万国共通であり、意味を知らないまま身につけている人も多いと聞く。
この街は割と新しいらしくカラフルだが、その色はしかと見受けられた。そんな色とりどりの建物の間をふらふらとあてもなく彷徨う私。名前と日常的なこと以外つまり過去のことをすっかり忘れたすなわち記憶喪失とやらになってから暫く経つ。
私の場合は消されたのかそれとも私の頭が拒否反応を示してわざと思い出せないようになっているのかはわからない。
一番古い記憶は目が覚めて、日の光がやたら眩しいと感じたら、がれきが目の前にあって、その先の崩れた壁から手が差し伸べられていた。そのときの記憶も正直なところ曖昧なのだが覚えていることは少しある。
「お前、大丈夫か?!」
必死そうな声と逆光で見えない顔。やっと捕らえられたのは太陽の光を浴びてきらきらと輝いている銀髪。
そこからのことも覚えていないので気絶でもしていたのかななんて今は呑気に考えている。
気が付いたら街にいて、親切な宿屋のおばさんが倒れている私をみつけてわざわざ宿まで連れて行ってくれた。目が覚めた私に冒険者が多い街、アクアマグナでは珍しいことではないと教えてくれた。でも倒れていた私を見てなぜか助けねばと思ったらしい。自嘲するように笑った彼女の顔は今でも覚えている。
それからその宿で働いて貯めたお金で買った必需品と少し残ったお金を持って旅にでた。転々としながら日雇いの仕事を探して雇ってもらってなんとか食いつないでいる日々だ。
時々呆然と自分の過去について思いをはせてはみるがあの記憶から察するにどこかに閉じ込められでもしていたのだろう。だからきっと思い出さないほうがいいんだと思ってしまう。
この生活も悪くはないけど思い出せずにいる自分をどこか歯がゆく感じていた。
街が多く立ち並び、むしろ無人の場所の方がすくないこのエリアを出て行って記憶を探す旅に出てみたいとも思いはするが、あと一歩が踏み出せない。
思い出さない方がいいなんて言い聞かせる自分を遮るほどの大きななにかがないだろうか、なんて他力本願な自分を鼻で笑っているといつものくせで掲示板まで辿り着いてしまった。
今日の仕事は何があるのかと思いつつ見慣れた木造りの掲示板を見上げた。今日はペンキ塗りがあるなあと思いながら、詳細を読んでいくとなんとも驚きの値段に私はすぐ食いついてしまった。急いで掲示板から紙をはがして書いてある住所へと向かった。
ついた先はお屋敷で、この街にいる貴族の家だった。貴族といえどこの家族は腰が低く住民からも慕われている上に王家とも関わりが深いと聞いた。たかがペンキ塗りにこんなに大金払うなんて気前がいいんだなあなんて思いつつ門兵に話しかけると大工の親分のような方まで通してくれた。
「お嬢ちゃん、ヘマすんじゃねえぞ。」
人手が足りていないのかやや急ぎ足に放たれたその言葉にはいと頷きながらペンキの缶を受け取る。任された壁にハシゴをかけて丁寧に塗っていく。門の周りを赤で塗り、その上から銀の粉をふりかけるという工程らしい。
なぜそんな魔除けの色をわざわざ真っ白で高貴なお屋敷に施すのか凡人の私には理解し難かったが、お給料のために黙々と塗る。自分の持ち場が3分の1ほど終わったところで貴族のご主人が出てきた。依頼主である彼は親方らしき人と話している。
なんだか違和感を覚えて見ていると目が合ってしまった。とりあえず会釈をすると微笑まれて、彼の人のよさを実感した。話し終えるころを見計らってハシゴから降りる。すると貴族のご主人は止まって待ってくれていて、急いで駆け寄った。
「こんにちは。」
頭を下げながら言うと彼もにこやかに返してくれる。
「こんにちはお嬢さん。ペンキ塗りご苦労様。ああ、頭は上げて大丈夫だよ。」
やわく微笑みながらそう返すその姿に甘えて、さっき思った疑問をぶつけようと決意して顔を上げる。
「労いの言葉ありがとうございます。白でも十分素敵だと思うんですけど、どうして…魔除けの銀と赤になさるんですか?」
言い切った私を見てご主人は困ったように頬を掻く。うーんと唸ったあと口を開いた。
「情けない理由なんだけど、最近王に仕え始めた女性がどうも怪しくてね……森には凶暴化した魔物が増えているし嫌な予感がして……。私の一族は昔、王家に助言を捧げてその功績から今の地位を築いたくらいだから勘が鋭くてね。まあ、それはいいんだけど……どう考えてもおかしいよね。突然こんなこと。でもどうしても伝承に似ている気がしてならないんだよ……。」
悲しそうに眉根を寄せて笑う姿に首を横に振る。
「なんとなく、気持ちわかります。」
こんな言葉しか掛けられない自分が情けないけれどその言葉でご主人は笑ってくれた。
「ありがとう。私の一族だけじゃないようで少し気が晴れたよ。」
やっとさっきの優しそうな笑みを浮かべてくれたご主人に私も笑顔になる。
「少しだけでもお力になれたようでよかったです。」
うんと頷いたご主人はお屋敷に戻ろうと踵を返したが、一度立ち止まる。思い出したかのように私の元へともう一度歩いてきた。
「さっきの話は秘密だよ。私も焦っていたようで君に喋ってしまったけどあまり王の新しい側近については口にしない方がいい。きっと……。」
そこまで言って口を閉ざしてしまったご主人。彼も建前というか高い位にいる以上しがらみがあるのだろうと察した私は縦に一つ頷く。
「もちろんです。ご忠告ありがとうございます。」
それだけ言って笑うと彼もよかったと言って今度こそお屋敷に入っていった。長話してしまったなあと思いつつさっと持ち場に戻って作業を続けた。
日も陰ってきた頃に持ち場を塗り終えて親方らしき人から銀の粉を受け取ってふりかける。オレンジ色に染まり出した光を反射して輝く銀色に思わずあの時を思い出す。
「元気にしてるのかなあ…あの助けてくれた人。」
のんびりと考えながら万遍となくかけ終えて親方らしき人の元へと降りていく。
「おう、お嬢ちゃん終わったか。仕事速くていいねえ。今度もお願いするよ。」
怖い人かと思ったが普通に褒めてもらえて嬉しくなる。
「ありがとうございます。」
そう言って微笑む。彼も同じようににかっと口角をあげて笑ってくれたがたちまち目を見開いた驚いた顔へと変わる。
「お嬢ちゃん、髪が塗った門と同じ色だなあ……茶髪だと思ってたんだけど……。伝承みてえだ。」
私も茶髪だと思っているしさっきあんなことを聞いた後だからなんとなく笑えない。そうでないと信じたい。
「きっと夕日に照らされているせい、ですよ。」
誤魔化すように違う方向を向きながらとっさに言葉を紡ぐ。彼も少し慌てた様子でそうだなと言った。
「でも伝承って、色だけじゃないんですか?」
さっきの言葉を反芻してもう一度疑問に思った私はそう尋ねる。
「ここのご主人、貴族なだけあって詳しいからな。いつだったかに教えてもらった伝承が幾つかあるんだよ。気になるなら行って聞いてみな。」
快く教えてくれた彼にお礼を告げつつ、すっかり色が変わってしまった門へと向き直し、中へと一歩踏み出した。
五年ほど前のデータを発掘したのですがこのまま日の目を見ないのも可哀想なので投稿してみました。