9. パン屋が言うことには
「はーい、そこまで」
明るい声でテーナに言われ、ミネルはここがどこなのか思い出した。王宮魔術師の宮の回廊である。昼食が近いこともあり、周囲に人が増えてくるころだ。
「ミネル、あなたはお昼休憩ね。手続きはしておくから、面会用の部屋でその人とちゃんと話しておいで」
気を利かせたテーナに、ささっと別室へ案内された。できる友人に心から感謝して、ミネルはソールと共に面会室へ向かった。
王宮魔術師の宮にある面会室は、机を挟んで向かいあった二人掛けのソファが一組あるだけの、小さな部屋だ。
ミネルは二人掛けのソファの右側に、そっとスペースを空けて座った。すると、それを見たソールは微笑んで、ミネルの横に並んで座ってくれた。久しぶりに会ったソールとはやはり離れがたくて、近くに居てほしいとミネルが思ったことを察したのだろう。
こういう風に甘やかしてくれるから、ミネルはソールと会えないと深刻な欠乏症に陥るのだ。
「あの、ソールさん。どうしてここへ?」
「ああ、うちの店、配達もしていて。今日は王宮へ配達するっていうから、代わってもらったんだ。ミネルに会えるかなと思って」
そこでソールは、じっとミネルを見つめた。
「急に店に来なくなるから、心配した。仕事でなにかあったのか、とか。でも、街でそういった噂は聞かないし、特に王宮が騒がしい感じもないし」
結界に不備があるかもしれないなど、もちろん王宮外に出せる話ではない。この件を知っているのは、王宮魔術師と一握りの上層部だけだ。
「……だから、この前の休日で、俺が何か不愉快なことをして嫌われたのか、とも考えて」
「はい!?そんなことありえません!」
「……うん、さっきの様子だと、それはないかなと思って安心した」
まさかそんな誤解が生まれかけていたとは。やはりしばらく会わないというのは良くないことばかりだ。
安堵に微笑むソールを見て、次からはもっと早くに抜け出せるように考えておこうと、ミネルは心内で頷いた。
とにかく今は、現状を説明しておかなければと口を開く。
「あの、今は王宮魔術師が総出で当たっている仕事があって、もう明るいうちは家にも帰れないし、外での休憩もできないくらい忙しくてですね。本当は、こんなときこそソールさんに会いに行きたいのに、許してもらえなくて、」
「……でも、昨日、店の近くまで来ていたよね」
「えっ!気づいていたんですか!?」
「まあ、あれだけにぎやかにしていれば」
「あー…………」
「……昨日は、俺に会いに来てくれたの?」
「はい、もちろんです!でもちょっと目立ってしまったので、やむなく撤退しましたけど……」
「そっか」
またしても、ソールは安堵したような力の抜けた笑みを見せた。
今日のソールは久しぶりだというだけでも攻撃力が高いのに、いつもと違う表情を見せてさらにミネルに追い打ちをかけてくる。
そうするとミネルの感情はどんどん高まって、口が勝手に動いてしまうのだ。
「もう…………っ、好き!!」
「え?」
自分の発した言葉が耳に届き、それから驚いたように目を瞬くソールを見て、ミネルは我に返る。
「いや、あの、えー、」
まだ伝えるつもりのない気持ちを、今はなんとかごまかそうとつなぐ言葉を探して右手をうろうろさせると、ソールがその手を取った。
「うん。知ってた。俺も、ミネルが好きだよ」
「へ?」
ソールは少しだけ目元を染めて、いつものように穏やかに微笑んでいる。
「あの、……知ってたって?」
「ん?いや、まあ、あれだけ全力で懐かれたら、好意を持たれているんだろうなというのは分かっていたから」
「あー……」
「俺もずいぶん分かりやすく態度に出していたつもりだったけれど、あんまり伝わっていなかったのかな?」
「え、好感度は上がっていそうだなとは思っていましたけど、」
「ふうん」
取られたままの右手の指の間にソールが指を絡めてくるので、ミネルは顔が赤くなるのを感じた。
「うーん、どうも伝わっていないみたいだから、俺の気持ちをもう少し話しておこうか」
絡めた指をにぎにぎしてくるソールは、なんだか少し不満そうだ。
「……あ、あの。何か怒っています、か?」
「ん?怒ってはいないよ。ミネルが多少抜けているのは分かっていたことだから。でも、俺の気持ちが信じられなくてよそ見されたりしたら嫌だから、先にしっかり教えておこうと思って」
「よそ見!?ソールさんより尊いものなんてありません!」
「……うん、ありがとう。その感覚がね、ミネルだよね。まあとにかく。まず、俺が最初にミネルと出会ったのはうちの店じゃないんだ」
「へ?」
ソールが言うには、こうだった。
パン屋での出会いよりも少し前、ソールは王都の近くにある店長の故郷を訪れていた。そこへ、魔獣が現れたらしい。郊外に出れば魔獣の出没はたまにあることだから、それほど珍しいことではない。そのときはすぐに王宮魔術師が呼ばれて、魔術師長と数人の魔術師がやって来たのだが、その中のひとりがミネルだったのだそうだ。
「そのときミネルは、魔術師長さんの前に出て魔獣を黒焦げにしていたよ」
「うあ…………」
確かに、王都の郊外で魔獣討伐の仕事をした記憶がある。
そのときの魔獣は小型のもので、それほど手強いものではなかった。だからミネルでも相手ができたのだが、そんなことは一般人のソールには分からないことだろう。それがどれほど弱いものであれ、ミネルが魔獣を黒焦げにしたというのは事実なのだ。
(魔獣を黒焦げにした女…………)
それは、今まで目指してきたソールのお相手としては遥か遠いもので、ミネルは天を仰いだ。
するとそのミネルの気を惹くように、ソールが絡めた指をすりすりしてくる。
過去の行いを反省しているところにやめていただきたいと顔を戻したミネルは、だが次のソールの言葉に目を瞬く。
「そのとき、誇りを持って仕事に向かっている姿を見て、いいなと思っていて」
「……はい?」
「しばらくして、うちの店に君が来てびっくりした。もしかしてあのときの魔術師さんかなと思ってよく見たら、なんだかすごく疲れているし、それに髪の色も違ったし」
「あ、髪!」
すっかり忘れていたが、ミネルは髪色を擬態していなかったのだ。
「うん。どうしていつも髪の色を変えているのか分からないけれど、こっちもきれいな色だよね」
「きれい……」
「このまえ贈った髪飾りも、こちらの髪色にも似合うようなものにしたんだ」
「え、」
魔力の少ないソールに怖がられないようにと髪色を擬態していたが、どうもこの話の流れでは、濃い髪色のミネルでも構わないようだ。
呆然としているミネルを慣れたように笑って流し、ソールは話を続ける。
「それで、君はなぜかすごく俺に懐いてきて、そういうことをされたら、やっぱり可愛いし。あんまり最初の印象と違うから、もしかして別の人なのかなと思ったりもしたけれど」
「…………」
「先日の王都での捕り物で、ミネルが大きな魔術を豪快に操っていて、……すごく格好よくてね、ああ、やっぱりあのときの人だったんだなって」
「あ、あのときも見ていたんですか!?遠目でちょっとだけって、」
「うん、そういう反応をするかなと思ったから、言わなかった」
「ソールさん……」
あのときは、上司の許可も出ていたので、わりと調子に乗って魔術を使った記憶がある。それを見られていたのか……とミネルは再び呆然とした。
ミネルが必死に隠していた本性は、最初からソールにバレていたのだ。
「君があのときの魔術師さんと同一人物だと分かったから、もう遠慮は要らないなと思って本腰を入れたんだ」
「遠慮?」
「うん。だって、俺に懐いてくる可愛い人が、ちょっと前に好感を持った人と同じ人物だったわけだから、攻めていくしかないよね」
「かわっ、い、い……」
「休日に偶然会ったとき、これはチャンスだと思って、意識してもらえるようにいろいろ頑張ってみたけれど。そうしたら、その後から君は店に来なくなったし」
仕事だったら仕方ないよねとソールは笑っているが、タイミングは最悪だったとミネルは思う。恐ろしすぎて直接は言えないが、心の中で相談役に文句を言っておく。
「昨日、君を久しぶりに見かけて、とりあえず元気そうだなと安心した。でもそうしたら、会いに来てくれないのは何故だろうと考えて、分からないから直接君に聞いてみようかなと」
「来てくれて良かったです!」
「うん。ちょうど王宮への配達があったから、俺が行きたいと申し出たら、店長が満面の笑みで是非行って来いと言ってくれて」
「店長さん……」
「店長の奥さん、実は店のお客さんだった人なんだ。だから店長、俺たちのことにちょっかい出したくてうずうずしているんだよ」
店長の奥さんが店のお客さんだったということよりも、ソールが「俺たちのこと」と自然に言っていることにミネルは動揺してしまい、思わず掴まれている手に力をこめてしまう。
するとソールがにこりと笑って、お返しのようにぎゅっと指を絡めてくる。
(……っ、別にぎゅっとしてほしかったわけではないんです!嬉しいけれど!!)
先ほどから、発する言葉、触れ合った手、視線の甘さといった、ソールのすべてが刺激が強すぎて、ミネルはもう思考が正常に働かなくなってきた。
「ソールさん!」
「ん?」
「あの、そろそろ私は仕事に戻る時間なので、」
だから、ひとまず仕事に逃げることにした。
ソールから離れて、冷静にならなければならない。
至急、テーナと話し合いたい。特に、ソールがミネルのことをすごく好きだというように受け取れたが、それはミネルの勘違いではないかということを。
「そうだね。俺も店に戻らないと」
頷くソールに安堵したミネルは、すっかり忘れていた。
ソールに出会ったときも、離脱を決意しながらけっきょくは逃げられなかったことを。
「ミネル、無理はしていない?顔が疲れているような気がする」
「……ちょっと疲れていますが、大丈夫ですよ」
笑って返したミネルに、ソールは小さく息を吐いた。
「……大丈夫という返事は、たいていの場合そうじゃないけれどね」
そう言って、労るように絡めた手を親指で撫でてくる。
優しくされると、ミネルの離脱の決意が鈍って困ってしまうのだが。
「君の仕事の邪魔はしたくないから、俺はもう王宮には来ないようにするけれど……誰かに話を聞いてほしくなったら、いつでも待っているから」
そう言ってソールが手渡してきたのは、小さなカードだった。王都の住所が書かれている。
「ソールさん、これ、」
「ふふ。ひとり暮らしだから、夜中でも気兼ねなくどうぞ」
「…………」
また、この人はこうしてミネルに寄り添おうとしてくれるのだ。
パン屋で会えるだけでも、十分だと思っていたのに。私的な時間を簡単に差し出してくる。
こんなに甘やかされたら、もっと欲しいと手を伸ばしてしまうではないか。
ミネルはいつかのときのように、心の中で天を仰いだ。もうここまではまったら、抜け出せない。
優しく笑ったソールがソファから立ち上がりながら、絡めていた手をほどこうとしたのを、ミネルは逆に掴んでその手を引いた。
「うわっ」
当然、ソールはバランスを崩してソファへ逆戻りだ。そこですかさずミネルはソールの頬を両手で包み、勢いよく口づけた。
「っ、」
少し勢いがつきすぎて歯が当たってしまったが、まだ気が収まらないミネルはソールの頬を離さない。
唇だけでなく、頬や目の下、顔中いたる所に唇を落とす。このあふれ出す感情を、どうしたら収めることができるのか。とにかくソールに触れていなければ気が済まなかった。
小動物がじゃれているようなその仕草を、ソールはくすぐったそうに笑って受け入れてくれていたが、しばらくすると、もうこれでおしまいと言うように、ミネルの両手の上から自分の手を重ねてそっと唇を合わせてきた。
長めに触れ合った唇を離してミネルが余韻に浸っていると、ソールが笑った。
「ふふ。これでしばらくは、君に会えなくても我慢できるかな」
「……無理やり休憩時間をとって、すぐに会いに行きます」
ソールを見送った後、フォローをしてくれたテーナにお礼を言いつつこのときのことを話すと、それは間違いなくソールもミネルのことが好きであると保証してもらったので、両思いになったことはミネルの妄想からの勘違いではないと自信を得た。
そうして、ミネルは髪色を擬態する必要はなくなった。
勝手に勘違いして隠していた濃い葡萄色の髪を、ソールはきれいだと褒めてくれるし、攻撃魔術を扱うミネルを見ても格好いいと微笑んでくれる。
噴水広場のパン屋へ行けば、いつだって穏やかな笑顔を浮かべたソールに会える。
だからミネルは、今日も足取り軽く噴水広場へ向かうのだ。
これにて「噴水広場のパン屋にて」は完結です。お付き合いいただきまして、ありがとうございました。楽しんでいただけましたら幸いです。
また、来週末あたりには小話を投稿させていただきますね。