7. 相談役が現れて、再びの混乱
夢のような休日デートの後、ミネルは一度もソールの店に顔を出せていなかった。
「うう、もう十日もソールさんに会ってない…………」
もういっそ、あの休日は本当に夢だったのではないかとさえ思えてくる。
なんだかあの日は、ソールもミネルとの距離を縮めようとしてくれているかのように感じた。休日にわざわざ買い物に付き合ってくれたのだから、それなりに好感度は上がっているのだとは思う。
おまけに、ミネル、と呼んでくれるようになった。
あの優しい声と笑顔で名前を呼ばれると、ミネルはそれだけで心が緩む。
(いや、なんだか都合がよすぎるな。やっぱり夢だったのかもという気がしてきた…………)
机に顔を伏せたミネルは、目の前の席に座る同僚を見上げた。
テーナは呆れたようにミネルを見ているが、それでも付き合ってくれるようなので、ありがたく愚痴をこぼした。
「だいたい、結界は専門外だよ……」
「文句言ってないで。仕方ないでしょうが、頼みの魔術師長が上層部との話し合いにかかりきりになっているんだから」
「魔術師長、早く帰って来てください……」
実は先日、行方不明になっていた相談役が突如として王宮へ現れたのだ。
真っ直ぐに魔術師長の執務室へ向かい、なんと辞職を申し出たらしい。
もちろん上司はすぐに却下したが、相談役はそれを拒否。どうしても辞職したいと言い張るのを、秘蔵の魔術書を持ち出してなんとか保留ということで留めているとか。
ミネルは久しぶりに相談役を目にしたが、あのどこまでも暗い黒髪は相変わらずとても人間とは思えず、やはり何度見ても恐ろしかった。
それだけでも大騒ぎだったのだが、さらに問題だったのは、相談役が王宮から転移魔術で出て行ったことだ。
王宮内では、魔術の行使は厳密に制限されており、転移は許可されていない。それは、例え魔術師長であっても例外ではない。力押しで転移しようとしてもできないよう、完璧な規制の魔術が敷かれている。
しかしながら、相談役はいとも簡単に転移を行った。
そもそも規制の魔術は相談役が敷いたものだったので、何かしら細工をしていたのだろうと推測される。相談役以上に魔術を扱える人間がいなかったので、今まで誰も気づけなかったのだ。
そして現在、王宮魔術師が総出で、王宮全体の魔術の総点検を行っている。
王宮は広大だ。謁見の間がある宮、王族が居住する宮、職員の執務室が集まっている宮、王宮魔術師の宮……などなど、全部で十の宮がある。そのどこに、どんな穴があるのか、ひとつひとつ丁寧に調べていく必要があるのだった。
人海戦術となるので、二人一組で動くことになっている。
そして当然のように、ミネルの相方はユノだった。
「地獄…………」
ぱたりと机に儚くなったミネルに、テーナはよしよしと頭を撫でてくれる。
「…………ソールさんも、この前撫でてくれた」
「うん?」
「でも、もっと繊細な感じで気持ち良かったよ」
「……はいはい」
それでももう少し撫でてほしいと思ったミネルの心が分かっているのか、テーナはしばらく撫でてくれていた。
優しい同僚のおかげで少し元気が出たし、うだうだ言っても仕事は終わらないので、わずかな休憩を終えれば気合いを入れて取りかかるしかない。
「よし。ユノ、行こうか」
「あら。なんだかミネルは気合い十分ねえ」
ミネルとユノは、魔術師の宮を担当している。
ユノが引き起こす事故を考慮すれば、王族の宮のような中枢部に派遣できるはずがない。魔術師の宮であれば、何かあっても身内で処理できるだろうという魔術師長のはからいであり、自分たちで処理しろよという無言の圧力でもある。
結界魔術があまり得意でないミネルには、効率の良い方法などとれないので、宮に張られた結界と敷かれた魔術を地道に確認していくしかない。ユノも同じくだ。
「ユノ、何か気になるところはあった?」
「うーん、特別なことはなさそうね」
「じゃあ、この辺りは問題ないかな」
周辺はひと通りの調査を終え、中庭の方へ行ってみることになった。
「あー、これっていつまで続くのかなあ」
「そうねえ。終わりが見えないわねえ」
「だよねえ。魔術師長も戻って来そうにないし……」
そこでユノが眉をひそめて言う。そのような表情をしても、ユノは美人だ。
「そもそも、あの相談役が辞めたいというなら辞めさせたらいいのに。わざわざ引き止める必要なんてあるのかしら」
「ん?」
「だって、あの人間が害意を持てば、魔術師長どころか誰も太刀打ちできないわ」
「まあ、たしかに」
魔術師長も相当に規格外な魔術師だが、相談役はその枠を外れている。
あんな存在が魔術学校の同期にいたのに、よくぞ上司は捻くれずにいられたものだとミネルは思う。もしかしたら、そこで苦労したからこそ、今は部下を気遣える素晴らしい上司になったのかもしれない。
「わたしは、あの人間はあまり好きではないわね」
「そうなの?」
「ええ。おそらく他の妖精にも好かれないでしょうね。あんな無気力な人間」
「ふうん」
たしかに、相談役はいつも不機嫌そうな顔をしていて、笑ったところなど見たことがないし、積極的に何かをしようとしている姿も想像できない。
並び立つ者などないほどの素晴らしい魔術師であるのに、つまらない人生を送っていそうだ。きっと、ソールに出会えたミネルの方が何十倍も人生を楽しんでいると思う。
「それに引き換え、ミネルは妖精に好かれると思うわ。だってすごく勢いがあるもの。だからわたしもあなたが好き」
「え、……ありがとう?」
「最近は、素敵な恋の感情も見せてくれるしね!」
「うん、いつも話を聞いてくれてありがとう」
そうこうするうちに、中庭へ到着した。
以前に調査をしていた中庭とは違い、ここには噴水は無い。小さな広場にあるのは、木陰に設置されたベンチくらいだ。
憩いの場というよりは、小規模の野外実験をするために使われていることが多い。そのため、結界石を置いて他の場所よりも結界を厚くしてある。
まずは結界石から調べるかと、ミネルがそちらへ視線を向けようとしたところで、ゆらりと周りの風景が歪んだように見えた。
慌てて辺りを見回すと、やはりユノが結界石に触れていた。
「え、待って。ユノ、何をしたの!?」
「あらあ?ただ、この結界石を調べようと思って触れただけなのだけれど」
「それ、……妖精のあなたが不用意に魔力を流したら、不具合が出るに決まっているでしょ……」
「まあ、それもそうね!」
気づかなかったと目を丸くするユノに脱力したところで、ミネルは不穏な気配を察知した。
「っ!」
咄嗟に風の魔術を編み上げ、防壁にする。
ばしりという音と共に、弾かれた魔術の矢が消える。
これは人為的な悪意のあるものではない。結界石の防衛反応だ。不用意に妖精の魔力を流してしまったことで、結界石への攻撃と認識されてしまったらしい。
「……っ、外敵だと認識されちゃったじゃない!?」
「まあ、大変」
「っ、もう、全部弾く!!」
さすがに、以前の王都での仕事で魔石を崩壊させたようにはいかないので、結界石を損なわずなんとかする方法を考えるしかない。
ミネルは必死に矢を弾きながら、あらあらと微笑んで他人事のように見守っているユノに叫ぶ。
「ユノ!なんとかして!」
「うーん、そうねえ……」
ユノはしばし考え、おもむろにもう一度結界石に触れた。
するとユノの手が光り、その光が結界石へ移る。
それから急に、ぱんっと光が弾けた。
それと同時に、出現していた矢もすべて消失した。
「!?」
まさか結界石を破壊したのではと不安になり、急いでユノのもとへ向かう。
「ユ、ユノ?大丈夫かな?」
「ええ。なにも問題ないわ」
おそるおそるユノの手元を覗き込むと、すっかり沈黙した結界石がそこにあった。
見た目は、特に異常をきたしているようではない。周囲を調べてみても、きちんと結界は機能している。
「本当に戻ってる……」
「ええ。これでいいでしょう?」
ふふふと笑うユノが何をしたのかはよく分からなかったが、おそらく妖精の魔術で何かしたのだろう。
妖精の魔術は人間のものと違いすぎて、方法を聞いてもきっと理解できないので、ここはこのまま流してしまおうとミネルは頷いた。
すると、脅威が去ったことで気が抜けたのか、疲労が一気に肩にのしかかってきた。
「疲れた…………」
毎日毎日、疲労が積み重なっていくのが分かる。
以前はそれが日常だった。
だが、今のミネルはソールという癒やしを知っている。
「こんなときこそ、ソールさんに会って癒やされたいよ……」
最近のミネルは、相談役が失踪したときと同じくらいに疲れていた。
さらに今は、ソールという癒やしの存在を知ってしまったことで、より渇望がひどくなっている気がする。
何を求めているのか、求めるものがどこにあるのか分からなかったときとは違う。ミネルの求めるものは、ひとつだけだ。
このままの日々が続けば、ミネルはいつか王宮を脱走してでもソールに会いに行こうと密かに考えていた。