6. 心臓がもたない
市場から離れて、ミネルとソールは雑貨屋にやって来た。
ソールは新しい食器を見たいのだということで、ミネルも付き合って一緒に見ていた。
「うーん、サラダボウルみたいなものが欲しいんだけど……」
「じゃあ、この辺でしょうか、…………あの?」
良さそうな食器を探していると、ソールの視線がじっと注がれていることに気づいたミネルは、困惑の声を上げた。
「今日の俺たちは兄妹ということになったのに、ミネルは俺に対して言葉が丁寧なままだね?」
「え、」
ソールの指摘に、ミネルは目を見張る。
確かに、兄妹であればもっと口調はくだけて然るべきだという気がする。
(だけど、)
ソールに向かって、例えばテーナと話すような口調で話しかけるなど、ミネルには無理な話だ。まだ魔獣討伐の方が心理的難易度は低い気がする。
「…………む、無理です!ソールさんに対してそんな恐れ多いことは!」
「え?」
「いや!えっと、……ソールさんは年上の方なので、この口調は崩せませんっ」
「そうなの?別に俺は構わないけれど。……まあ、丁寧な喋り方のミネルも気に入っているから、そのままでもいいよ」
「!?」
今日のソールは、どうもミネルの心臓強度を試すようなことばかり言う。
これが休日モードということなのだろうか。
ミネルはもう倒れてしまいそうだった。
なんとか雑貨屋から生還して通りへ出たミネルに、ソールが少し休憩しようかと言った。持ち帰り用の飲み物を買い、ミネルに渡してくれる。
「あ、今度こそ、自分で払います」
「ふふ、兄は妹におごってあげたいのさ」
嬉しそうに、そしてちょっと得意そうに笑うソールは店では見ない無邪気さがあって、ミネルの頭は沸騰しそうになる。
「もう無理!」
「ん?」
ミネルの奇声をさらりと流してくれるソールはなんだかご機嫌で、もしかして本当に妹がいるのかもしれないなと、お礼を言いながらミネルは思った。
近くのベンチに並んで座り、二人で飲み物を楽しむ。
今日はずっと酷使されて暴走気味の心臓に、冷たい飲み物が熱を冷ましてくれるようで気持ちが良かった。
「最近は、仕事はどうなの?」
「以前よりは、だいぶ落ち着きました。……でも、ちょっと悪意なく被害を出す同僚がいて、私はその同僚とよく仕事で組まされるので、それで妙に疲れることもあります…………」
ユノは相変わらず悪気なく事故を起こすし、その後始末をミネルがすることも多い。
「それは、……大変だね」
「はい。でも、その同僚も悪気があるわけではないし、いざというときは助けてくれるし、私も嫌いではないので、まあなんとか頑張ります」
そう。ミネルはユノのことが嫌いではないのだ。そしておそらく、ユノはミネルのことをわりと気に入ってくれている。
妖精は好き嫌いがはっきりしている種族だ。気に入らないものには近寄らない。ユノはあれだけミネルに話しかけてくるのだから、好意を持たれているのだろう。それに最近は、恋の感情が大好きらしいユノに、ソールとの話を聞いてもらっていたりもして、以前よりも付き合いが増えた。
ユノのあの性格は種族性もあるのだから、そこをうまく付き合っていくべきなのだ。振り回されるのは、ミネルが未熟であるせいもあるのだろう。
ユノのことを思い出して複雑な気持ちになっていると、そっと頭に触れるものがあった。
「…………え、」
「あ、ごめん。つい。…………なんだか頑張っているミネルを見ると、労りたくなったというか」
ミネルの頭を撫でていた手を、ソールはぱっと離した。
優しい手の感触が離れるのを寂しいと思ってしまい、ミネルは咄嗟に言葉をつないだ。
「あ、あの、撫でてもらえるのは、嬉しいです!」
「え?」
思わず言ってしまって、はっとする。目を丸くするソールに、慌てて言いつのる。
「えっと、大人になると、褒めてもらえることはあまりないというか。上司はわりと褒めてくれますけど、さすがに頭を撫でてもらったりはしないので、その、他の人はしてくれないから、」
ミネルは言っていて自分でもわけがわからなくなってきた。どうもソールと居ると、混乱してよく分からないことを言ってしまいがちだ。
「それに、ソールさんの触れ方は優しくて気持ちがいいし、」
言わなくていいことも口に出してしまう。
「…………」
「…………」
最前の発言を俯いて猛省していると、そっと、再びミネルの頭にソールが手を乗せてくれた。するりと滑らせる感触に、顔がにやける。
「……じゃあ、お疲れのミネルに、俺から労りを」
「はい、ありがとうございます」
ソールの手を堪能した後。
今度はミネルの見たいものは無いのかとソールに聞かれたが、今日は食材の買い出しに来ただけだったので、とっさには思いつかなかった。
ただ、そう言ってしまうと、もうソールとはここでお別れということになるだろう。心臓は酷使されるものの、この楽しい時間を終わらせてしまうのはもったいなくて、ミネルは何も言えずに困ってしまった。
「えっと、…………」
「……もし特に無ければ、俺が気になっているパン屋に行ってみてもいいかな?」
その様子を見て察してくれたのか、ソールは穏やかに微笑んで提案してくれる。
なんだかひどく甘やかされているような気分になるが、今は妹なのだから構わないだろう。
「……パン屋、ですか?」
「そう。最近できた、カフェ付きのところがあるんだ」
「なるほど、ライバル店の視察ですね!だったら、ソールさんがひとりで行くよりも、兄妹で行った方が目立ちませんものね!」
「……うーん、そういうわけでもないけれど。まあいいか」
ソールがベンチから立ち上がったので、それに続いてミネルも立ち上がる。
「ミネル」
声をかけられたと同時に、右手を温もりが覆う。びっくりして目を向けると、ミネルの右手をソールの左手がしっかりと包んでいた。
「っ、……あの?」
「ここで休憩したばかりだから、パン屋には少し街を歩いてから行こう。はぐれたらいけないからね」
ミネルが困惑して顔を上げると、穏やかに微笑んだソールと目が合う。
その年上の包容力のようなものを感じて、もしやこれが兄と妹の距離感なのかとミネルは悟った。であれば、全力で甘えるまでだ。
「はやく行きましょう!こっちですか?」
赤くなった頬をごまかすようにぐいぐいと手を引いて前進するミネルにソールは苦笑して、優しくその手を引き返した。
「いや、そっちじゃなくて、こっち」
そうしてソールに手を引かれて、ミネルは店まで案内された。
ソールが言うパン屋は、なるほど新しく開店したばかりであるらしく、外観も内装も新しい空気が漂っていた。
「かわいい。女性が好みそうなお店ですね」
「そうだね」
全体的にパステルカラーでまとめられた店内は、午後という時間帯もあってか客の入りもそれなりで、八割ほどは席が埋まっている。どの席も女性客ばかりだ。男性のひとり客というのは見当たらないので、もしもソールがひとりで来ていたら目立っていたに違いない。
自分が一緒にいることでソールの役に立てているようで、ミネルは少し得意げな気分になった。
「ミネル、これきっと好きだと思うよ」
メニューを見ていたソールが、あるメニューを指さして勧めていた。すでに好みはがっちり把握されているので、ソールの勧めるものに間違いはない。
「ソールさんのおすすめなら間違いないので、それにします!」
「っ、」
「どうかしました?」
「……いや、そこまで信頼されるとちょっと照れるなと思って。うん、じゃあ注文してみようか」
そう言ってソールは、ささっと注文を済ませてくれた。
店員を呼ぶところから注文までが流れるような自然さで、驚いたミネルはぽろりと呟いた。
「……慣れてる?」
思わず出た言葉にミネルは慌てて口を押えたが、しっかり聞こえてしまったようで、ソールがきょとんと目を瞬いた。
「あ、あの、えーっと、こういうお店には、よく来るのかなって……」
こういった店に、ひとりで何度も通うとは考えにくい。であれば、一緒に来る相手がいるはずだ。
出会った当初は恋人などはいないと確認済みだったが、もしかしたらあれから新しくできたのかもしれない。そんな様子はなかったが、ミネルが見ていたのは店でのソールだけであり、当然、すべてを知っているわけではない。
ミネルは密かに固唾を飲んでソールの返答を待った。
「ああ、妹に付き合ってもらって何度か。さすがにひとりじゃ肩身が狭いから」
「妹さんがいるんですか?」
やはりあの兄モードは、妹がいるからなのだとミネルは納得すると同時に、恋人がいるわけではなさそうであることに安堵した。
「うん。たまにうちの店にも来るから、そのうち機会があったら紹介するよ」
「わ。楽しみです」
家族を紹介されるなど、なんだかとても親密ではないか。
いずれは両親を紹介されるまでになりたいものだとミネルが真剣に今後の計画を考えていると。
「まあ、あまり妹ばかりを連れ回すのも迷惑がられそうだから、……他に付き合ってくれる人がいると、いいんだけどね?」
ソールがすいっと手を伸ばし、ミネルの髪に触れる感覚があった。ぱちりと音がして、ソールの手は離れていく。
「それは、今日付き合ってくれたお礼」
手で触れてみると、何かが髪に挿してあるのが分かる。
「……髪飾り?」
「さっきの雑貨屋で見つけたんだ。緑の花の髪飾り。艶のある暗めの色なんだけど、やっぱりミネルに似合うな」
少し目元を染めて嬉しそうに笑うソールに、ミネルは爆発した。
「……っ、ソールさんは私をどうしたいのか!?」
「え?」
「こんな、こんなものくれて、…………」
「え、ごめん。迷惑だった?」
「そんなわけないです!すごく嬉しいです。ありがとうございます!!」
「そう、よかった」
もうミネルの暴走にもすっかり慣れたソールは、笑って流してくれる。
かわいいお店で優しく微笑むソールが目の前にいて気分も上がり、注文したメニューももちろん美味しく、その後も楽しくお喋りした。
その間、ミネルは嬉しくて何度も髪飾りに触れてしまい、ソールはその度に微笑んでくれた。
パン屋を出るころには夕方になり、二人は市場の入り口まで戻って来た。
「付き合っていただいて、ありがとうございました」
「いや、俺の方から誘ったんだから。こちらこそ、付き合ってくれてありがとう」
ミネルが魔術カバンからソールの荷物を取りだしていると。
「ミネル」
「はい?」
ミネルの髪に挿した髪飾りにそっと触れながら、ソールが言った。
「……次に店で会ったときも、そう呼んでいいかな?」
「は、はい!」
「ふふ、ありがとう」
もちろんミネルは、翌日の出勤と同時にテーナのもとへ走り、大興奮で事の次第を報告した。
するとテーナも、これは大躍進だと称賛してくれ、ここは一気に攻めていくべきなのではということで意見が一致したのだった。