5. まさかの休日デート
朝からよく晴れた日、ミネルは休日を満喫していた。
ここしばらく後回しにしていた家のことを片付けて、食材を買い込むついでに昼食も済ませてしまおうと、市場へやって来ていた。
美味しそうな匂いがする屋台が立ち並ぶ中、今日の気分には何を食べるべきだろうかとミネルは自分のお腹と相談しているところだった。
「ミネルさん?」
思いもかけない声が聞こえて振り向くと、そこには少し目を丸くしたソールが立っていた。
「ああ、やっぱりミネルさんだ。こんにちは」
「ソールさん!?え、幻覚?」
「……ふふ。幻覚ではないですけど」
「え、本物!こ、こんにちは……」
突然のソールとの遭遇に、ミネルはまず自分の妄想からの幻覚を疑い、本物だと気づくと慌てて挨拶を返した。
しかしすぐにはたと気づいて、慌てて自分の髪を確認する。
(……よし、ちゃんと擬態できている!)
街に出るときは、ソールに会う予定がなくとも念のため擬態を施すようにしていた。先日の街中での仕事のように、どこかで偶然見かけるという可能性もあるからだ。
自分の慎重さを称えたところで、しかしミネルは次の問題に気づいた。
(あ、でも、服が!)
ちょっとそこまでという気軽さだったので、まったくこだわりのない、さらりとしたシンプルな服装で出て来てしまっている。淡い髪色の似合う可愛い人を目指すべき立場としては、もう少し気合いの入った服でソールと会いたかった。
ミネルは一瞬前に戻って服にも擬態の魔術をかけたいと思いながら、目の前のソールを見つめた。
ソールはいつもの白い制服ではなく、私服らしき寛いだ服装をしている。そんな気の抜けた雰囲気が珍しくて、思わず見惚れてしまう。
「ミネルさん、今日はお休みなんですか?」
ミネルの不審な挙動を微笑んで見守っていたソールが、優しく話しかけてくる。
「はい」
「よかった。王宮魔術師さんも、ちゃんとお休みがあるんですね」
「あはは、確かに休みを取りたがらない同僚もいますけど、上司はむしろちゃんと休めっていうタイプなので、私もしっかりお休みをいただいています」
相談役が失踪してからずいぶん経つ。
最初の混乱期に舞い込んだ案件をなんとか片付け、王宮魔術師たちがその不在にようやく慣れ始めたことで、こうして休日を取ることもできるようになったのだ。
「そうですか。いい上司さんですね」
「はい。尊敬できる上司です!」
パン屋の店長もきっといい上司に違いないので、ソールも上司自慢には同意できるのだろう。ミネルが魔術師長の凄さを語ると、ソールの笑みが少し深まるような気がする。
「これから、屋台で昼食を済ませて、買い出しに行こうと思っていて」
「ああ、俺もなんですよ。よかったら、一緒にどうですか?」
「え?」
予想外の言葉を聞いた気がしてミネルが目を瞬くと、ソールはにこにこして続けた。
「ミネルさんとは店でいつも会いますが、もう少し話してみたいと思っていたんです。よければですけど、一緒に昼食を食べて、買い物に行きませんか?」
「………………」
(……白昼夢でも見ているのかな。今、ソールさんに、一緒に昼食と買い物をって誘われなかった?)
頭の中が大混乱のミネルに、ソールは相変わらず笑顔を向けていた。
(ど、どうしてソールさんと向かい合って昼食を…………)
まずは昼食にしようかということで、近くの屋台で売っていた「気まぐれランチボックス」なるいろいろ盛りを購入し、ミネルとソールは市場に併設されている飲食用スペースのテーブルセットに腰を下ろした。
このランチボックスを買う際、ソールが当然のようにミネルの分も支払おうとしたので断ったところ、年上に花を持たせてくださいねと優しく言われ、ミネルの心臓が試される場面となった。そう言われてミネルが財布を出せるわけがない。ソールと出会って初めて気づいたことだが、このソールの年上らしい態度にミネルは弱いのだ。
そして今、目の前にはソールが座って、にこにことミネルを見ている。
「あ、あの」
「はい、なんですか?」
「えっと、私と話してみたいというのは、一体…………」
「ああ、そのままの意味ですよ。店ではもちろんパンの話をよくしますけど、もう少し、ミネルさんと個人的なことも話してみたいと思っていたんです。今日会えてちょうど良かった」
「個人的なこと!?」
手にしたポテトを思わず取り落としそうになる。
「ふふ。そんなに驚かなくても。ミネルさんも、俺に聞きたいことがあったら何でも聞いてくださいね」
何でもというのは、どこまでだろうか。
もちろんミネルは、今日の朝食から個人的特殊嗜好まで何を聞かれても大歓迎だが、ソールとしてはどこまでを許してくれるのか。
考えあぐねた結果、ミネルは大人の社交術として無難に会話を進めることにした。
「じゃあ、ソールさんは今日は何を買いに来たんですか?」
「今日は食材と、あと少し雑貨を見たいなと思っていました」
「私の目的もやっぱり食材です。でも、久しぶりに雑貨も見たいなあ……」
「あれ、一緒に行くんだから、ミネルさんも雑貨を見ましょうよ」
「え、」
昼食を食べて少し市場を回ったら、そこで解散だとミネルは思っていた。
だがソールは、もう少し長い時間を一緒に過ごしてくれるつもりらしい。
「そこまでご一緒して、いいのでしょうか……」
「もちろん。俺が誘ったんですから、是非」
今日もソールの笑顔は優しくミネルを癒やしてくれる。さらにいつもと違う寛いだ私服のおかげで、効果が倍になっている気がする。
それから、ゆったりと昼食を取りながら、二人でたわいもない話をした。
パン屋でも話していたつもりだが、やはりソールは仕事中であるからそれほど長くは引き止められないし、こうして外で話をするのは新鮮で、緊張しながらもミネルは楽しくお喋りをした。
昼食を終えて、市場へ入る。
ソールは荷物になる食材は最後に買うつもりだったようだが、ミネルは魔術師らしくそれなりに容量のある魔術カバンを持っていたので、先に食材を買って保管しておきましょうかと提案した。せっかく食材の市場にいるのに、わざわざまた戻って来る必要はないだろう。
魔術カバンは、その名の通り魔術で容量を拡張したカバンで、見た目の大小に関係なく設定された容量の物を収納できる。容量が大きくなるに従ってお値段も上がるが、ミネルの持つものでも、二人分の食材を入れるくらいは余裕だった。
そうしてお互いの食材をそろえ終えたころ。
「あら、パン屋さんの、」
かけられた声に振り向くソールにつられ、ミネルも振り返った。
昼過ぎの市場は人が多く、噴水広場の店で働くソールの知り合いがいても不思議ではない。
「ああ、いつもありがとうございます」
隣に立つソールが、店で見るような笑顔で対応している。
そういえば、今日はもう少し柔らかめの笑顔だったのだと、ミネルはここで初めて気が付いた。やはり休日だから、寛いだ表情をしてくれていたのかもしれない。そんな貴重なものを見られたことに嬉しくなる。
ひとりでソールの笑顔の素晴らしさについて考えに耽っていると、ソールたちの話題が不意にミネルに移ったようだった。
「こちら、妹さん?」
「え、」
「ああ、…………はい、一緒に買い物に来ていて」
ここで、ソールに肩をぐっと抱き込まれた。話を合わせろということだろう。
「店のお客さんだよ。ご挨拶して」
「……兄がお世話になっています」
ソールに促されてミネルが軽く会釈をすると、店の客らしき女性は微笑んで、別れの挨拶をして去って行った。
それを見送って小さく息を吐いたソールが、思い出したようにミネルの肩を抱き込んでいた手をぱっと離した。
「……あ、すみません」
「い、いえ」
「その、今の方は店のお客さんなんですが、とても話好きな方で。……休日に俺が他のお客さんと一緒にいたと知られてしまうと、ちょっと面倒なことになるというか」
「あー、なるほど…………誤解されてしまいますね」
そうだ。ミネルはたまたま出会って一緒に買い物をすることになっただけで、そこに勘繰られるような関係はない。ただの店員と常連客だ。先ほどの女性と変わらない。
そう思うと、少しだけ胸が痛い。
その痛みをごまかすように、ミネルは顔を上げてまくし立てた。
「じゃあ、今日は私、ソールさんの妹ということで!そうすれば、一緒に買い物をしていてもおかしくないですよね!」
「え?」
「ね、そうしましょう!それなら、私はソールさんのことは兄さんと呼んだ方がいいでしょうか。それに、先ほどのようにくだけた口調で話してください。妹に丁寧に話しているのもおかしいですよね!ああ、仲良し兄妹だったら、手をつないだりするのかな。あれ、腕を組むのは兄妹だっけ?」
だんだんと何を話しているのか分からなくなってきた。
「ミネルさん、落ち着いて!」
あわあわとするミネルの背を、ソールが優しく撫でてくれる。
「……わかりました。気を遣ってくれてありがとうございます。じゃあ、今日の俺たちは、兄妹ということにしましょうか。ただ、さすがに俺のことを兄と呼ぶのはやめてくださいね」
「はい…………」
なんとこんなでたらめな提案を、ソールは受け入れてくれるらしい。優しすぎてどうすればいいのか分からない。
「よし。じゃあ、行こうか。ミネル」
「!……っ、はい」
口調をくだけたものにしてほしいと言ったのはミネルだが、呼び方まで変えてもらえるとは思っていなかった。
(ああ、その優しい笑顔が眩しい……)
今日はミネルの心臓がとても忙しい。