4. 魔術師長との仕事
「ミネル、今日は俺について来い」
「はい」
ミネルの上司である魔術師長は、本人が飛び抜けた魔術師であるために、たいていなんでもひとりでできてしまう。だが、それでは周りが育たないので、こうして仕事に部下を連れて行くのはよくあることだった。
優秀な魔術師であるだけでなく、魔術師長として後進を育てることもきちんと考えているこの上司は、ミネルの憧れだった。上司のためなら、魔獣だらけだという魔の森にだって突撃できるかもしれない。
「……なんで髪の色を擬態しているんだ?」
「街に行くときは、こうしなければならないんです」
「なぜだ?」
「そこは個人的なことなので、そっとしておいてください」
「そうか」
万が一のために、ミネルは髪色は擬態しておくことにした。一瞬の油断が命取りになることもあるのだ。
現場へ向かう道すがら、ミネルは上司から今回の案件の説明を聞く。
「今回は魔石からの解放だ。王宮の職員が、妙な魔石の付いた指輪を手に入れたみたいでな」
「魔石の付いた指輪……」
「よくある話で、その指輪は一度着けると外せなくなり、王宮にも出勤しなくなったとか」
「はあ。うかつですね」
「まあ、魔力の無いやつには分からないだろうからな。ただ、その職員は王宮に必要な人材だから見捨てるわけにもいかないんだと」
「私を連れて来たということは、力業でいって良いということですよね?」
「ああ、職員さえ生きていれば、魔石は壊しても構わない」
「了解しました」
ミネルは攻撃系の魔術を得意としているので、大抵は特攻担当として呼ばれる。今回もそうであるらしい。魔術師長が自ら出向く案件なら、それなりに手強い魔石なのかもしれない。気を引き締めてかかる必要があるだろう。
魔術師長と共に訪れた現場は、王都の街中にある屋敷だった。
そこで発見した王宮職員は、どう見ても正気を保っているようには見えなかった。
「……魔石に魅入られていますね」
「まあ想定内だな。簡単には手放しそうにないか。パラス石みだいしな」
パラス石はよく魔石に使われる石で、七色に輝く美しい見た目から、愛好者も多い。美しいものというのは力を持ちやすく、この職員のように素人が飲み込まれてしまうことも少なくない。
知らない人間がやって来たことに気づいた職員は、奇声を上げながら庭へと続く窓から外に飛び出した。
職員を追って、ミネルたちが同じく窓から庭に出たところで。
「っ!」
飛んできた風刃を、ミネルは咄嗟に魔術で打ち消した。
明らかにこちらに危害を加える意図をもって放たれたそれは、興奮した職員が出現させたものらしい。
「師長!この職員、魔術が使えるんですか!?」
「いや、魔石の力だろう。けっこう出力がありそうだから、気をつけろよ」
上司がのんびりと答える一方で、ミネルは次々と飛んでくる刃をいなし続ける。
力負けする気はしないが、何しろ数が多いので、油断するとそのうち掠ってしまいそうだ。
ひとまず職員の意識を落とせば魔石も沈黙するだろうと考え、ミネルは職員に向かって魔術で生み出した水の塊をぶつけてみた。
衝撃で気を失ってくれてもいいし、水をかぶって正気に戻ってくれればなお良い。
「…………っ、効いてないー!」
だが、むしろ逆効果だったらしく、激昂した職員がますます攻撃的な気配を纏った。
そして、ぞわりと魔石からいくつも飛び出したものがあった。
それは。
「師長、なんだか触手のようなものが!?……気持ち悪っ!」
ざわざわと伸びるいくつもの触手は湿り気を帯びた毛にびっしりと覆われていて、正直に言えばとても不快なものだった。
それらが、ミネルたちに迫って来ようとしている。
「なぎ払え!多少の周辺破壊は認める!」
「了解です!」
こういうとき、この上司は判断を迷わない。部下としてはありがたいかぎりだ。
伸びてくる不快な触手を避けながら、ミネルは杖を取り出す。
上司の許可が出たので、先ほどよりも出力を上げて今度は火の魔術を編み上げていく。ミネルは普段は杖を使わないが、出力の大きな魔術を使うときは杖の補助があった方がやりやすいのだ。
さらにそこからより大きな火を出すべく、魔術を二重、三重に重ねて編む。
こうして魔術を重ねて編むには高度な技術が必要だが、王宮魔術師であるミネルになら可能なことだった。
ミネルが生み出す火の気配を感じ取ったのか、魔石を身に着けた職員は、逃げるように庭から外へ出て行こうとしている。正気を失っているが、本能的な危険察知能力はあるらしい。
当然ながらそれを逃がすミネルではなく、魔術を編みながらすぐに追いかける。
「ミネル、建物は構わないが、住民に被害は出すなよ!」
「もちろんです!」
上司が周囲に延焼防止の結界を張っているのを感じながら、ミネルは路上に出たところで職員に追いついた。
そうして素早く編み上げた火を、触手ごと燃やし尽くすように魔石へ向かって放つ。
「あ、ああ、あああああああ…………!!!」
一瞬で大きく燃え上がった火に包まれ、職員が苦しそうに叫び声を上げて指輪を着けた左手を押さえたままうずくまった。
触手は物理的なものではなかったようで、ミネルの火に触れるとすぐに消滅してしまい、後は人間は避けるよう指定した火が、指輪の上で踊っている。
職員が苦しんでいるのは、職員自身が燃えているのではなく、魔石の悲鳴であるはずだ。
……ぱりん。
しばらくして、儚い音と共に指輪の魔石がさらさらと砂になって崩れ落ちた。
「…………よし、成功」
指輪の魔石はパラス石であり、この石は熱に弱い。だからミネルは、魔術の火で包むことで高温にし、魔石自体を壊したのだった。
「よくやったな。やっぱりお前を連れて来て正解だった」
魔石の崩壊を見届けたミネルの横に、上司が悠然と歩いてやって来た。呆然と座り込んでいる職員の前に屈みこみ、殊更ゆっくりと話しかける。
「さて、財務課次長殿。このとおり、あなたを悩ませる魔石は王宮魔術師がさっぱりと片づけました。財務課長とのお約束どおり、うちの次期予算は……どうぞ、よろしく」
なるほど、それで魔術師長が自ら出張ったのかと、ミネルは理解した。
言いたいことだけ言うと、上司はその職員にはもう見向きもせず、帰るぞとミネルに声をかけて歩き出した。
ミネルももうここに用はないので、杖をしまい、はいと返事をして上司に続いた。
多少の器物損壊はあったが、どれも職員の屋敷内であるので、そのままで構わないだろう。上司が張った結界もあり、路上では何も被害はない。
現場の屋敷から離れた辺りで、前を行く魔術師長が振り向いて言った。
「ここで解散にするから、今日の業務は終了でいいぞ。そのまま帰宅を許可する。大きめの魔術を使って消耗しているだろうから、しっかり休めよ。お疲れ」
「はい、お疲れ様でした」
無駄に王宮での解散にしないこの魔術師長は本当にいい上司だなと、深い赤の髪をなびかせて去って行く後ろ姿を見てミネルは思った。
まだ日も高いから、ソールのパン屋は営業中のはずだ。もちろんミネルはそちらへ足を向ける。
家にこのまま帰るよりも、ソールの笑顔を見る方が疲れがとれる。しっかり休めよ、という上司の言葉に何も反してはいない。
今回の案件では、火力のある魔術を使ったので、多くの魔力を消費して少し疲れた。しかも、なんだか魔石から発生した触手のようなものは、とても不快な見た目をしていて精神的に疲弊した。早急に癒やしが必要である。
ミネルは足早に噴水広場へと続く道を歩き出した。
「こんにちはー」
「いらっしゃい、ミネルさん」
すっかり見慣れたドアを開ければ、そこには穏やかに微笑むソール。優しくかけてくれる声を聞くだけで、もう仕事の疲れは吹き飛ぶ気分だった。
だがそこで、ソールが思いもよらぬ話を振ってきた。
「さっき、街で捕り物をしていましたよね」
「……え、見ていたんですか?」
「はい」
(髪色の擬態をしておいてよかった……!)
ミネルは過去の自分の慎重さに拍手を送った。
しかし、あれを見られていたということは、派手に触手を攻撃していたところも見られたということだろうか。
「でも、遠目でちらっと見かけただけで」
「そ、そうですか!あの、上司がほとんどやってくれたので、私はそれほどすることはなかったです」
実際は、攻撃はすべてミネルが担当した。上司はそのためにミネルを連れて行ったのだから当然だ。
「あまり詳しいことは言えませんが、ちょっとやっかいな魔石を回収する仕事でした」
「やっかい……」
「えっと、身に着けた魔石に操られた人が、王宮関係者から出まして」
「それは……、怪我などしなかったですか?」
ソールに心配そうに見つめられたと思えば、そっと手を取られてミネルは目を瞬いた。
「え、あの、はい。それは大丈夫です。上司の魔術師長もいましたし」
「そうですか。怪我がないなら、良かったです」
(そ、そこでどうしてさらに手を握るんでしょうか、ソールさん……!?)
「あ、あの。心配させてしまいましたか?大丈夫です、魔術師長と一緒の仕事で危険なことには、まずなりません。上司は本当に凄いので」
それは事実だった。
上司は魔術師としての実力が高いので、相手との力量の見極めもうまく、部下を不用意に危険にさらしたりは決してしない。しかし、それを一般人であるソールに理解しろというのは難しいだろう。ミネルはどう説明したものか迷った。
するとその沈黙をどうとったのか、ソールが言葉を続ける。
「……ミネルさんは、今日以外にも魔術師長さんのお供をしていたことがありますよね。そういうことは多いんですか?」
魔術師長に連れられた仕事は何度かあるが、ソールと出会ってから王都に出るようなものがあっただろうかとミネルは記憶を探ったが、すぐには思い出せなかった。
「はい。たまにお供させていただいています。魔術師長は、本当になんでもできる方なので、一緒の仕事だとすごく勉強になるんですよ!」
「そうですか…………。ミネルさんは、魔術師長さんのことをとても尊敬しているんですね」
「はい、お慕いしております!」
「お慕い…………」
ソールの心配を払拭するべく、頼りになる上司だと主張してみたが、言葉を重ねるごとにソールの表情が強張っていくような気がする。
そして、いまだ握られたままの手の締め付けが強まっている。
「……魔術師長さんは、とても美麗な方ですね」
「はい、上司はすごくもてるんですよ。いつも女の人を連れている気がします」
「え、」
「でも、特定の方と長く続いているのはあまり見たことがないような……あ、失礼しました」
上司の私的な事情をこんなところで話すこともないだろう。
「いえ、……ミネルさんは、魔術師長さんが好みではないんですか?」
「ひえっ、上司がですか!?ソールさん恐ろしいことを言いますね!……たぶん、王宮魔術師はみんな無理だろうと思います。なにしろ凄すぎて、魔術師としてついていけませんから」
「そうなんですか……?」
相談役のような人間離れした恐ろしさはないが、やはり魔術師長も別格の存在だった。上司としては最高だが、人生を共に過ごす相手としては考えられない。並の魔術師ならだれもがそう言うだろう。
そのようなことを説明すれば、ソールは納得してくれたようで、ミネルの手も解放してくれた。
心配させてしまったせいなのか少し荒ぶったソールは、その後はいつもの癒やしの笑顔でお喋りをしてくれた。
今日はもう業務終了で時間があったミネルは、店内の椅子に座って少しだけ長居してたくさん癒やされたのだった。