3. 魔術師の頑張り、その成果は
それからは、ミネルは可能なかぎり噴水広場のパン屋へ足を運ぶようになった。
本当は毎日でも行きたいくらいだが、さすがにそれは不自然だろうし、そこまで休憩時間を捻出することは今の状況ではできなかった。
それでも数日おきに通うくらいには、ミネルは仕事を調整して、ユノの引き起こす事故にも耐え、時にはすべてを吹き飛ばす勢いで頑張った。
その様子を見たテーナは、恋する魔術師ってすごいわねと感心していた。
ミネルは今日も、うきうきとパン屋へ向かう。
「こんにちは」
「やあ、ミネルさん。いらっしゃいませ」
ソールが癒やしの笑顔で迎えてくれるのに、ミネルも満面の笑みで返す。
初対面のとき以来、ミネルはずっと髪に擬態魔術をかけて淡い紫色にしている。ソールが可愛いと言ってくれたのは、この淡い色だからだ。
もし、本来の濃い葡萄色の髪色を見せたらどう思われるか。
濃い色を持つことは、強い魔力の証。
ソールはとても淡いきれいな卵色の髪で、おそらくほとんど魔力を持たないのだろう。そんなソールにとって、強い魔力を持つ魔術師など恐怖でしかないのではないか。しかもミネルは、攻撃魔術が得意な特攻担当の魔術師だ。どう考えても、可愛いなどと言ってもらえる人物像ではない。
王宮魔術師であることはもう知られているので、一般人よりも少し上くらいの魔力しかないと思ってもらうしかない。
(……この髪色でソールさんと出会ったのは、なにかの思し召しに違いない)
だから、ミネルはこの髪色を崩すわけにはいかないのだった。
ミネルはソールと向き合い、まずは前回のパンの感想から伝えることにする。
ソールのおすすめしてくれるパンは、おそらくソール自身も気に入っているものを選んでいるようで、いつも嬉しそうに紹介してくれる。そんなソールのお気に入りを自分も美味しいと思えたことが嬉しくて、ミネルはその嬉しさを共有したくなるのだ。
「ソールさん、前回おすすめしてもらったパンもすごく美味しかったです。特に、無花果と胡桃が入ったパン。つぶつぶの無花果が甘くて、胡桃の食感がざくざくで、すごく好きなタイプでした」
「ふふ、気に入ってもらえてよかったです。いつも感想をありがとうございます」
「いえ、本当に美味しいから」
ソールはミネルの拙い感想を、いつもにこにこして聞いてくれる。この年上の包容力のようなものも癒やし効果抜群で、ミネルをますます深い沼にはめていくのだ。
「そんなミネルさんに、今回はこちらなんかどうでしょう?焼きたてですよ」
ソールが指し示したのは、陳列棚ではなくカウンターの上に目立つように置かれているスコーンだった。
ころんとした可愛らしい形でしっかりと腹割れしたスコーンは、ところどころドライフルーツらしきものが覗いていて、見ただけで美味しさが伝わってくるし、ソールの言葉通り焼きたての香りが漂ってくる。
「スコーンですか?いい香り」
「はい。桃とクリームチーズのスコーンです。よく熟れた桃に、クリームチーズ入りの生地が爽やかで、午後のティータイムにぴったりですよ」
「それは全力で楽しみですね!ソールさんのおすすめは、いつも本当に美味しいので迷う余地がないです」
「ふふ。嬉しいことを言ってくれるミネルさんには、サービスでこれも付けましょう。このスコーンにきっと合うと思います」
そう言って、ソールは小さな瓶に入ったジャムをミネルの手に乗せてくれた。
「わ、いいんですか?」
「特別ですよ。他のお客さんには内緒でお願いします」
視線を合わせるように少し腰を屈め、悪戯っぽく目を細めて秘密めかしたように指を口に当てて笑うソールの姿に、ミネルはときめきで卒倒するかと思った。
「……っ、心臓が爆発しそうです!」
「え?」
ジャムを握り締めて叫ぶ客という不審人物を前にきょとんとするソールに、ミネルは慌ててごまかした。
「い、いえ!ありがとうございます!ますますこのお店の虜になりますね!」
「ふふ。だったら、俺の目論見通りですね」
そう言って笑うソールはどこまでも尊く、ミネルは心中でそっと涙を流した。
王宮に戻ったミネルは、もちろんテーナのもとへ走った。
ソールに好感を持ってもらう計画では、報連相を大事にしている。
ミネルは自分に猪突猛進傾向があることを自覚しているので、冷静な反応をしてくれるテーナは大変ありがたい存在だった。
「ということがあったの」
「へー。それはなかなか脈がありじゃないの」
「そ、そうかな?やっぱりそう思う!?」
第三者視点のテーナに言われると、やはり自信がわく。であれば、今後もこの調子で頑張っていけばいいのだろうと、ミネルは笑みを浮かべた。
「ミネルさん。いらっしゃい」
「店長さん」
その日、ソールの癒やしを求めてパン屋を訪れたミネルを迎えたのは、この店の店長だった。
店の可愛らしい落ち着いた雰囲気そのままのようなこの店長は、いつもにこにこしているおじさまで、こちらも癒やしの存在だ。奥さんと可愛い娘がいるらしく、よく常連さんと惚気話をしている。
「今、ソール君は休憩に行っているんですよ。もうすぐ戻って来ると思うので、もし時間があるなら待っていてあげてもらえますか?」
「え、でも、それなら今回は自分でパンを選んで帰りますよ」
ソールに会えないのは、ちょっと、すごく残念ではあるが、だからといってソールが休憩から戻るまで待っているというのは少し気が引けた。ソールにとってミネルは今のところただの常連客なのだから、あまり粘着質なことはしない方がいいだろう。
そう思って遠慮したのだが。
「いえ、本当に、すぐ戻ると思いますから。せっかくミネルさんが来てくれたのに会えなかったとなると、ソール君ががっかりします。だって彼、」
まるでソールの秘密を明かすかのように声を潜める店長に、ミネルが思わず両手にぐっと力を入れてしまったところで。
「店長」
後ろから、すっかり馴染んだ柔らかい声が響いた。
「ああ、お帰り、ソール君」
「ミネルさん、いらっしゃい」
「は、はい。こんにちは、ソールさん」
慌てて振り返ったミネルを不審に思ったらしいソールが、いくらか眉をひそめて店長に目を向けた。
「……店長、ミネルさんに妙なことを吹き込んでいないでしょうね?」
「ふふふ、いやだなあ。君が戻って来るまで、少しお喋りしていただけだよ」
そこで店長はミネルへ意味深に目配せをして、続けた。
「ソール君が、ミネルさんの接客を他の店員に譲らないことだとかね」
「っ、……」
「え?」
言われて思い返してみると、ミネルはこのパン屋で、ソール以外の店員に接客されたことはなかった。ミネルの目的は常にソールなので気にしたことはなかったが、他にも何人か店員がいるのに、こうして店長と少し挨拶をしたことがある程度だ。
言葉に詰まったようなソールの仕草は、店長の言葉を肯定しているように見える。
であれば、もしかするとソールも少しはミネルのことを贔屓してくれているのではと、期待してしまう。少なくとも、リップサービスであれ「特別だ」と言ってジャムの小瓶をそっと渡してくれるくらいには親しみを持たれているのだ。
そう考えると、じわじわと湧き出てくる喜びをミネルは抑えられなくなってくる。
にやけそうになる顔をなんとか堪えているミネルをよそに、店長とソールは話を続けていた。
「もう少し君が遅ければ、僕と奥さんの話とかミネルさんに聞かせてあげられたのに、残念だな」
「……店長、もう俺が戻りましたから、ここはいいですよ」
「ふふ。はいはい。では、ミネルさん。ごゆっくりお選びください」
最後にミネルへ声をかけ、ご機嫌に笑いながら店長は去って行った。
「……店長は、よく俺をからかってくるので。今の話は気にしないでくださいね」
困ったように笑うソールに、店長との仲の良さを感じてミネルはほっこりした。職場の人間関係が良好であるのは、良いことだ。
ミネルも、上司と同僚に恵まれて楽しく働いている。一部、ユノは除くが。
「ソールさんが戻るまで、少しの間相手をしてくれていただけですから。店長さんと奥さんの話というのも、聞いてみたかったです」
「あー、……ただの惚気話ですよ。聞かなくて良かったと思います」
うんざりしたように呟く様子にミネルが笑っていると、気を取り直したようにソールが言った。
「それよりも、今日のおすすめを紹介しましょうか」
「はい、今日も楽しみです!」
ふんわり穏やかに笑うソールに、ミネルも笑顔を返した。
そうこうして日々が過ぎていくうちに、ミネルたちが担当していた中庭の噴水案件は、なんとか解決となった。聞くところによると、テーナたちの方も目途が立ったようだ。
相談役はいまだに影さえ見せないが、王宮魔術師たちは徐々に落ち着きを取り戻しつつあった。
そうして気が緩んだころに、失敗というのは起きやすい。
その日、ミネルは仕事でやや大きめの失敗をしてしまって気分が落ち込んでいた。
そのような状況で王宮の外へ休憩に出るのは躊躇われたが、ミネルの失敗をうまくフォローしてくれたテーナが行って来いと送り出してくれたのだ。
ミネルは友人の心遣いをありがたく受け取り、美味しいお土産を買って帰ろうと心に決めた。
ソールの前では落ち込んでいるところは見せないようにしていたつもりのミネルだったが、あっさり気づかれてしまった。
「……ミネルさん、今日は元気がないみたいですけど、疲れてますか?」
「え、……いえ、全然。最近は仕事も落ち着いてきたので、こうして休憩に出るのも以前より簡単になったくらいです。元気ですよ!」
意識して笑顔を作るミネルを、ソールがじっと見つめてきた。
そんなことをされてしまうとミネルは平静を保てなくなるので、今はやめてほしい。
「……まあ、王宮魔術師の仕事のことは俺に言っても分からないでしょうが。でも、何か話したいことがあったらいつでも歓迎ですよ。ミネルさんの話ならいくらでも聞きますから」
ね、と気遣わしげに優しく微笑まれて、ミネルはその笑顔から目が離せなくなる。
仕事で失敗したのは完全に自分の失態で。そのことで心配をかけたいわけではないのに。
それでも、こうして気遣われて嬉しいと思ってしまう。年上らしい心遣いから無遠慮には踏み込まず、ミネルが望むなら寄り添うと言ってくれる。
ミネルが求めていたのは、そういうものだ。
やはりソールは、ミネルの心に癒やしを与えてくれる。
(……ああ、本当にこの人のことが、)
「ミネルさん、俺が」
「……好き」
「え?」
「あ、えっと、……パンが!ソールさんのおすすめしてくれるパンは、どれも大好きです!」
無意識に口をついて出た言葉に、ミネルは焦った。
「あ、ああ。……ありがとうございます」
咄嗟に並べた言い訳に、ソールはとりあえず納得してくれたらしい。いつもミネルが妙なことを口走るせいで、よく理解できない言葉を流すことにすっかり慣れてくれている。おかげでなんとかごまかせたと、ミネルは安堵の息を吐く。
だがこのことでミネルは調子を取り戻し、その後はいつものように楽しくソールとのお喋りを楽しむことができ、テーナへのお土産もしっかり選ぶことができたのだった。