お年賀話:会いたい
「年末進行、滅びてしまえ…………」
王宮の休憩室での昼休み。
ミネルは机に突っ伏して、低い声で呟いた。
「気持ちは分かるけれど、魔力を込めて言うのはやめてちょうだい。妙なことが起こったら、ますます仕事が増えるわ」
「…………ごめん」
隣に座ったテーナが、コーヒーを片手にミネルへ相づちを打ってくれる。
少しばかり刺々しく聞こえるのは、テーナの心も忙しさで荒んでいるからだろう。本来は優しい友人なのだ。
「なんでこんなに忙しいのかな……」
「年末だもの、仕方ないわ」
「いつもより忙しい……」
「まあ、相談役が原因じゃあね。どうしようもないわ」
「ううー」
年始に王宮が閉まることもあり、王宮魔術師たちも年末は忙しいものだが。
今年は、さらに拍車をかけて忙しい。
その原因は、相談役に仕事を受けてもらえなかったことにある。
「魔術師長がどれだけ頼んでも、駄目だったらしいわね?」
「そうみたい。何度もしつこく連絡してたら、魔術通信を受けてもらえなくなったらしいよ」
ミネルたちの上司である魔術師長は、友人の魔術師を直属の相談役に据えている。その友人は黒髪で、人間離れした魔力を持つ恐ろしい魔術師だ。どんなに難しい依頼でもやってのけるが、気まぐれで仕事を受けてくれないことも多々ある。
今回も断られてしまったらしく、おかげで魔術師長がその案件を担当することとなり、しわ寄せがミネルたち一般の王宮魔術師にきているのだった。
(恐ろしくて口には出せないけれど、どうしてよりによって、この忙しいときに依頼を断るの……っ)
ミネルが相談役への文句を心の中で投げつけていれば、テーナは小さく息を吐いて頭を撫でてくれた。やはり、優しい友人だ。
その優しさに甘えて、いちばんの不満を口にする。
「……………………ソールさんに会いたい」
「昼休みに会いに行ってるでしょうが」
「あんなの、ちょっとの時間だもの。ソールさんは仕事中だから邪魔できないし。全然足りない」
この忙しさの中でもソールに会わずにはいられないので、昼休みはちょくちょくパン屋へ顔を出している。
そこで会うことはできているが、やはり仕事中であるソールとゆっくり話すのは気が引ける。
ミネルが忙しいように、年末はソールもお店が忙しい。
だからソールの家へ行くのも、最近は遠慮していて。
おかげで、ゆっくり会う時間が取れないでいる。
(忙しさで心は荒んでいくし、癒やしが欲しい……。ソールさんに会いたい!)
これではまるでソールと付き合う前のようだと思いつつ、仕事は待ってくれない。
けっきょく、ミネルはどうにもできないでいるのだった。
それから数日後の昼休み。
ソールに少しでも会えればと、ミネルが噴水広場のパン屋へ行ってみれば。
「え、休憩……」
「そうなんです。ソール君、ちょうどさっき出て行ってしまって」
すみませんと、申し訳なさそうに眉を下げた店長に謝られた。
少ない時間とはいえ会えると思って来ただけに、顔も見られないとなるとミネルの気分はひどく落ち込んだ。
「そうですか……」
「ミネルさんに時間があれば、待っていますか?」
「いえ、今日は帰ります…………」
「あ、ミネルさん、」
パンも買わずにそのまま店を出ようとしたミネルの落胆ぶりを見て、店長が慌てて小袋を持たせてくれた。
「これ、サービスで。よかったらおやつに食べてくださいね」
渡されたのは、数枚のクッキーが入った袋。近くの棚に並べられていた商品だ。
ふわりと甘い香りがして、店長の優しさがミネルの心にしみた。
「ありがとうございます。また来ます」
「はい。お待ちしています」
パン屋を後にするときは店長に笑顔を向けることができたが、街を歩くうちにミネルの顔はだんだんと暗く沈んでしまう。
(ちょっとでも、会いたかったなあ…………)
仕事中だけではゆっくり会えないから不満だと、愚痴を言っていたのが悪かったのかもしれない。
どんなに短い時間でも、まったく会えないこの状況よりはずっと良かったのに。
(お互いに仕事が忙しいのは仕方ないのに、わがままだったのかも。こんなの、ソールさんに呆れられるかな……)
仕事での疲れとソールに会えなかった落ち込みとで、なんだか自分を責める言葉ばかりが浮かび、ミネルはとぼとぼと街を歩いていた。
「あれ、ミネル?」
そこへ大好きな声が聞こえた気がして、ぱっと顔を上げる。
「っ、ソールさん……!」
やはりソールだと確認したミネルは無意識のうちに駆け寄って、逃がすまいとその手をぎゅっと握った。
驚きながらも、ソールがひとまず握り返してくれるのが嬉しかった。
「どうしたの、こんなところで?」
「あの、さっきお店に行ったら、ソールさんは休憩で出かけたって店長さんに言われて、」
「あ、店に来てくれたんだ? ごめんね、いなくて」
「いえ、私の行った時間が悪かっただけなので……」
思いがけず会えて喜ぶミネルが話している間、じっと見つめるソールの視線を感じた。
どうしたのだろうと首を傾げれば、あのさ、とソールが尋ねてきた。
「ミネルは今、時間があるの?」
「あ、はい。私も休憩時間です」
「そう。じゃあ、ちょっとこっち……」
少し辺りを見回したソールは、お互いに握り合った手を引いて、ミネルを細い路地へと促した。
不思議に思いながら、ミネルは素直について行く。
「あの、ソールさん?」
路地を少し入ったところで名前を呼べば、くるりとソールが振り返り。
突然、ぎゅうっと、抱きしめられた。
(………………っ!)
背中に回った腕には、ソールの気持ちを代弁するように力が込められ、すぐには離すつもりがないと言っている。
ミネルに合わせて少し前屈みになったソールの顔が肩に埋められ、その息遣いが伝わってくるほどに近い。
ソールは大きく息を吐きながら、万感の思いを込めたように呟いた。
「あー、ミネルだあ…………」
こんなふうに外で抱きしめられたことに加えて、久しぶりのソールの体温に驚き、ミネルは内心でとても慌てた。
「そ、ソールさんっ、」
「……年末が忙しいのは分かっていたけど。こんなにミネルとの時間が減るとは思わなかった」
ぎゅうぎゅうと力を込めてくる両腕にミネルは手を添えてみるが、ソールは意に介さない。
「忙しいし。ミネルが足りないし」
「……あの、お疲れさまです」
「うん。もう、年末やだな…………」
まるで駄々っ子のような言動をするソールが珍しく、ミネルはなんだかおかしくなってくすくすと笑ってしまう。
「ミネルが俺を笑う……。ミネルは俺と会えなくてもいいんだね…………」
拗ねたように呟くソールに、ミネルは回された両腕を掴んで、とんでもないと慌てて否定する。
「本当に?」
「もちろんです。すごく、……すごく寂しかったです」
それは間違いないことだから、大きく頷く。
本当に、ソールの癒やしが足りなくてミネルはしょぼくれていたのだ。
先ほどまでの気持ちを思い出すと、今でも悲しくなってくる。
「ミネル…………」
そんなミネルを見て、ソールは眉を下げて優しく笑い、ミネルの髪を撫でた。
「寂しい思いをさせて、ごめんね」
先ほどまで駄々っ子のようだったのに、今はいつもの年上らしさを出してくる恋人に、ミネルはときめきで身もだえしてしまう。
爆発しそうな何かに耐えようと、ソールの両腕を掴んだ手にぎゅっと力を込めた。
「っ、ソールさん、」
「うん」
「ソールさんっ」
「うん。好きだよ」
ここまでくればさすがにもう耐えられず、私も好きですと、ソールに力いっぱい抱きついた。
するとソールも、同じように抱きしめ返してくれる。
「あー、ミネルを抱きしめるだけで、癒やされるな…………」
「私も、ソールさんに抱きつくだけで元気になれます…………」
こうして触れ合えるのも、いつぶりだろう。
ソールの体温を感じるだけで、ミネルは疲れが取れていくような気がした。ソールも同じだというなら、嬉しい。
「年末って、どうしてこんなに忙しいのかな……」
「ほんとですよね…………」
そうしてしばらく抱き合った後、ぽつりとソールが呟いた。
「今年は、ミネルは実家へ帰っちゃうんだよね」
昨年は実家の事情で王都へ留まったミネルだが、今年は帰省することになっているため、ソールと一緒に年明けを過ごせない。
久しぶりに家族と会えるのは嬉しいが、ソールと過ごせないことが残念なのも正直な気持ちだ。
「あの、早めに王都へ戻って来ますっ」
「俺は嬉しいけど、年末年始はいつも家族で一緒に過ごすって言ってたよね。ちゃんと、家族団らんしておいで」
年上の恋人に諭すように言われては、頷くしかない。
正しいことを言われて反論できず、少しうつむいたミネルに、でも、とソールは続けた。
「……でも、ミネルが王都に戻って来たらさ、少しだけでも会いたいな。仕事が始まる前に、ふたりの時間があると嬉しい」
「っはい! あの、仕事始めの前日に戻って来る予定なので、」
「そうなんだ。……泊まりに来て、俺の家から出勤したりできる?」
「できます…………!」
絶対にそうするのだという決意をこめて、ミネルがさらに力を入れてぎゅうぎゅうと抱きつけば、ソールは嬉しそうに笑ってくれた。
そんな年末を越えて、年が明け。
朝、ミネルの意識がゆっくりと浮上する。
(…………ここ、どこだっけ?)
目覚めたといえるほどに意識は明瞭でなく、ぬくぬくの毛布から出たくないなあとしか考えられない。
「………………」
ふわふわとした思考のまま、ぼんやりしていれば。
すぐそばで、ん、と声がした。
(あ、)
ごろんと寝返りを打ってそちらを向けば、すやすやと眠る恋人。
(ソールさんだ…………)
昨日、ミネルは王都へ戻って来た。
それからすぐに、約束していたようにソールの家へお邪魔した。
(ソールさんも、寂しかったって、)
ミネルはソールに会えずにとても寂しかったのだが、ソールが自分もそうだと言ってくれた。ミネルに会いたかった、と。
しばらくぶりのときめきに、ミネルは思わず叫んだ。そんなミネルを見ても、ソールは笑って宥めてくれた。
(ソールさん、優しい…………)
それから、昨夜は久しぶりにふたりでゆっくり過ごした。
短い時間ながら存分に触れ合って。
同じ毛布に包まって眠ったのだ。
(そうだ。ここ、ソールさんの家だった)
ミネルが昨日の出来事を思い出している間も、ソールはあどけない顔で安心したように眠っている。そんな恋人を見ていると、自然に笑みがこぼれる。
ふふふと嬉しくなって、ミネルはソールの方へ体を寄せた。
「ん、…………ミネル?」
そうするとさすがに起こしてしまったようで、ソールがうっすらと目を開けた。
起こしてしまったことを申し訳ないと思うよりも、起きて自分を見てくれることが嬉しくて、顔がにやける。
「ソールさん、おはようございます」
「………………」
「ソールさん?」
ぼうっとこちらを見つめたままのソールに、ミネルが再度呼びかけると。
毛布の中でミネルが詰めた距離を、伸びてきたソールの腕がさらに縮めた。
「あー、ミネルだあ…………」
「わわっ」
「ミネルがいる…………」
ミネルを抱きしめたソールは、猫のように目を細めてぐりぐりと頭を擦りつけてくる。マーキングでもされているようだ。
「ソールさん、くすぐったいですよ」
「うん」
きれいな卵色の長い髪に指を差し入れて、ぐいぐいと押してくる頭をつかまえる。
指の間を柔らかい髪の毛が通るのが、さらさらと気持ちいい。
「ソールさんの髪、きれいですよね」
「俺はミネルの髪が好きだよ」
お互いの髪が好きだと、もう何度も言っている。それでも飽きずに言ってしまうのは、相手がソールだからだ。
こうしてソールとずっと一緒に過ごしていたいが、今日から仕事が始まる。
「そろそろ仕事に行かなきゃ」
「だねえ。俺は午後からだから、朝食は任せて」
任せてと言うのに、ソールの腕はミネルを離そうとしない。
「ソールさん、起き上がらないと」
「そうだねえ」
やはり緩む気配のない腕にくすくすと笑いながら、ミネルもソールの腕の中へ自分から身を寄せる。
「ふふっ」
「ふふっ」
ふたりで毛布の中へもぐりこみ、今年もよろしくと、額を寄せ合って笑った。




