秋風が立つ
王都近郊の森の中。秋晴れで、風もない穏やかな陽気の日。
王宮魔術師ミネルとユノは、薬の材料を探しにやって来ていた。
この国の王宮魔術師は魔術に関することを一手に引き受けているので、こういった魔法薬の材料探しのような雑事も職務に含まれている。
しばらく森の中を探し歩いたころ、ユノは周囲の空気が変わったような気配を感じた。
人間よりもずっと長い時間を自然と共に暮らしている妖精は、そういったことを敏感に感じとる。人間の世界で王宮勤めをするような変わり者とはいえ、ユノにも変わらない妖精らしさがあるのだ。
ユノが念のためミネルに注意を促そうとしたところで、突然、風が吹き抜けた。
「わっ」
その風をミネルはまともに受け、小さく悲鳴が上がる。
突風というほどに強くはなく、そよ風というには存在感のある、冷たい不思議な風だった。
その風に嫌な予感がしたユノは、慌ててミネルへ駆け寄る。
「まあ、ミネル、大丈夫?」
「……うん、びっくりしただけだよ」
先ほどは妙な気配を感じたが、ミネルの様子に異常はなさそうだ。気のせいだったのかしらとユノは首を傾げた。
森の中であれば、不可思議な存在がいてもおかしくはない。たまたまその近くを通り過ぎただけだったのかもしれない。
ユノはしばらくは念のため周囲に気を払っていたが、その後は特に問題もなく目的の材料を採取して王宮へと戻った。
ミネルとユノが森へ行ってから数日後の昼下がり。
「ミネル、ちょっと来い」
ミネルが休憩室へ入ったところで、コーヒーを片手に座っている上司が声をかけてきた。その麗しい容姿に、コーヒーがよく似合う。
断る理由はないので素直に側へ寄ると、立ち上がった魔術師長がミネルの額へ手のひらを当てて、眉をひそめた。
「…………おい、どこで呪いを拾ってきた?」
「は?」
穏やかでないことを言われ、ミネルはぽかんと上司を見上げる。
王宮魔術師はその職務柄、呪いや障りといったものと無縁ではない。だがそれを自分が受けているとなると、さすがにミネルも少し驚いた。
「自覚なしか。……この気配は秋の何かだな。おい、ユノ。お前、何日か前にミネルと森へ行っていただろう。心当たりはないか」
そばの席に座っていたユノへ魔術師長が顔を向けると、ユノは少し考え込む仕草をした。
「……そういえば、森で突然空気が変わったと思ったところで、ミネルに向かって妙な風が吹いたわ」
「風……、秋風の呪いか。また厄介なものを引き当てたな」
秋風は、特に理由がなくとも呪いを落としていく気まぐれな風だ。
その呪いを受けると、恋人への愛情が冷めてしまうと言われている。
「ということは、ミネルの彼への愛情が冷めてしまっているのでしょうか?」
ユノの隣に座っていた同僚のテーナも会話に入ってくる。
テーナはミネルと仲が良く、ソールのことにもずっと相談にのっていた間柄だ。秋風の呪いはもちろん知っているが、あれだけのベタ惚れが冷めてしまうなどテーナには信じられなかった。
そこで魔術師長が、最終確認とばかりにミネルに聞いた。
「お前、最近は恋人に会っているか?」
「いえ、別に会いたいとは思わないので」
きょとんとして答えたミネルは、そういえば恋人のソールに対する愛情というものを、今は感じないような気がするなと、他人事のように思った。
なるほど、これが秋風の呪いというものなのだと、ミネルはひとり納得した。
「……これは、間違いないな」
「ええ、ミネルから出ていた恋の感情がまったく感じられないわ……」
「あのミネルが…………」
ミネルがソールと付き合っていることは、王宮魔術師の一部では周知の事実だった。それは、以前にソールが王宮まで訪ねてきたからだというよりも、ミネルの浮かれ具合が顕著だったからだ。ユノが引き起こす面倒事に巻き込まれようとも、ソールと会った後はすっかり復活しているのが最近のミネルだった。
そんなミネルが恋人への愛情を失ってしまったということで、周囲で話を聞いていた同僚たちはざわついた。
当惑する同僚たちに、ミネルはきょとんと目を瞬いていた。
部下の災難を気の毒がりながら、秋風の呪いを受けた実体験を聞ける貴重な機会でもあるからと、魔術師長が興味津々で聞き取りを行ったところ、ミネルからソールへの愛情が冷めてしまったのは間違いないことが分かった。
ただ、ソールとの思い出はきちんと覚えており、そのときに感じた愛しいという記憶もあるらしい。しかしそれは過去の記憶であって、今はその甘さを感じることはできないという。
だから、ソールのことを恋人だと認識していても会う必要を感じず、森に行って以降は顔を見てもいないのだと、ミネルは何の躊躇いもなく話した。
その様子を見て、テーナとユノは顔を見合わせた。
「つまりミネルにとって、ソールさんは過去の恋人のような感じになっているのかしら」
「まあ。もう終わった恋だから、あの素敵な恋の感情が消えてしまったのねえ」
「これは……とりあえずソールさんに会わせて事情を説明した方がいいのでは?」
「でも、彼に愛情を持たないミネルを会わせて、彼が落ち込まないかしら。人間ってそういうものでしょう?」
「それもそうね……」
そこでとりあえず、ソールと面識のあるテーナがパン屋へ出向くことになった。
翌日、テーナがパン屋の扉をくぐると、卵色の髪をした店員がぱっと笑顔を向けてきたかと思うと、一瞬だけ残念そうな表情を見せた。
その顔を見てそれがソールだと分かったテーナは、おそらくミネルと見間違えたのだろうなと察した。王宮魔術師のローブを羽織っているから、分からなくもない。それに人間は、見たいものを見ようとしてしまうものだ。しばらく姿を見せないミネルを待っていたのだろう。
そんなソールにこれから伝えることを考えると、テーナは少し憂鬱な気分になった。
店の邪魔にならないところでテーナが簡単に事情を説明すると、ソールは顔を強張らせた。
「……ミネルは大丈夫なのでしょうか?」
呪いという言葉が重く響いたのか、ソールがまずミネルの身を案じたことに、テーナは微笑んだ。
「ええ。秋風の呪いは、身体に影響があるようなものではありません。呪いとは言いますが、秋風の気まぐれなので放っておいても解けることもあるくらいです。まあ、本人はいたって元気ですよ」
秋風は気まぐれに呪いを落としていくだけで、悪意はない。だからその呪いも、それほど強力なものではないのだ。部下を気の毒がっている魔術師長も調査に加わっているので、そのうちに解呪の方法は見つかるだろう。それがいつになるのかは、まだ分からないが。
テーナの説明を聞いて、ソールは小さく安堵の息を吐いた。
「そうですか。では、ミネルに会えるでしょうか?」
「……本人は元気と言っても、あなたへの愛情は完全に冷めた状態なので、今は会わない方がいいのではないでしょうか。私たちも解呪の方法を探っていますので、しばらく待ってもらえれば、」
「でも、俺のことを覚えてはいるのでしょう? であれば、ただの知人としてでもいいので、会いたいです」
「……そうですね、ミネルに刺激を与えた方が解呪も早まるかもしれないし、試しに会ってみましょうか」
テーナがソールに会うのはまだ二度目だが、その真摯な態度に好感を抱いた。ミネルのためにこのパン屋まで出向いたが、ソールのためにもさらに多少の便宜をはかっても良いかと思った。
王宮に戻ったテーナは、パン屋でのことをミネルに話した。
「ふうん。ソールさんが会いたいって? 私は構わないよ。まあ、恋人の愛情が冷めましたって突然言われても、納得できないよね。……でも一方的に愛情を示されるのも、迷惑だなあ」
「…………」
以前のミネルからは考えられないような発言に、これが呪いの力なのかと、テーナは目を見張った。ミネルの中でソールはすでに愛情の冷めた過去の人となっているのだということをここまで態度に出されると、以前の惚気具合を毎日見ていただけにやはり衝撃を受ける。
本当に二人を会わせて大丈夫だろうかと、テーナは一抹の不安を抱いたのだった。
それから数日後。
テーナはミネルを連れて、噴水広場までやって来た。店の中でごちゃごちゃするのは迷惑だろうということで、広場での待ち合わせにしたのだ。
到着してみると、すでにソールが待っていた。
「ミネル…………」
ふたりの到着に気づいたソールが、振り返ってミネルの名を呼ぶ。
ソールは駆け寄ろうとしたものの、自分を見ても特に反応を示さないミネルを見て、困ったように微笑むにとどめた。
「久しぶりだね。元気そうでよかった」
「はい。ご心配をかけてしまって、すみません」
ミネルとソールが話し始めたので、テーナはふたりからそっと離れた。ミネルの反応が不安ではあるが、しばらくは様子を見ようと決めていた。
ミネルの前に立ったソールは、ひとまずミネルの健康に問題はなさそうであることを自分で確認できて、ほっと安堵した。
だが、ミネルの目に嫌悪はないが、特に好意もないことも確認して、少なからず落ち込んだ。思えば、ミネルからそのような目を向けられたことはほとんどないのだ。パン屋で初めて対面したときから、ミネルはソールを好意的に見ていてくれていたから。
何か話そうと思うが、言葉が出ず、ソールはけっきょくそのまま困ったように微笑んでいるしかできなかった。
だが、なぜかミネルの顔がだんだんと赤くなってきた。
「ミネル? どうしたの?」
「いえ、…………」
不思議に思ったソールが首を傾げて尋ねると、ミネルは言葉を濁して俯いてしまい、その表情を隠した。
「ミネル?」
ソールが手を伸ばそうとすると、ミネルは俯いたまま後退った。
避けられたことにソールはまた少し落ち込んだが、考えてみれば今のミネルにとって自分は形ばかりの恋人でしかないのだから、いきなり触れようとしてはいけなかったのだと気づいた。
「あ、ごめん。不躾だったね」
「い、いえ。そうではなくて。その、分かりませんが、なぜか、」
「ん?」
「も、もう無理!!」
急に顔を上げて叫んだかと思うと、ミネルは脱兎のごとく逃げ出した。
「え?」
何をしたつもりもないのにミネルに逃げられたソールは、ぽかんとその後ろ姿を見送るしかなかった。そこが噴水広場という人の多い場所だということもあって、本当にあっという間に見えなくなってしまった。
「……ははっ」
だが、その突拍子もない行動がひどくミネルらしくもあり、ソール思わず笑ってしまった。自分のことをまるで他人のように見る平坦な目には怯んだが、ミネルはやはりミネルだった。そのことがひどく嬉しくて、笑いがこみ上げたのだ。
そこへ、離れて見守っていたテーナが戻って来る。
「……ミネルがすみません」
「いや、大丈夫です。ミネルは何も変わっていないみたいですね」
「え?」
「確かに俺への愛情は冷めているみたいですけど……。あのミネルなら、俺はもう一度好きになってもらえるよう頑張ります」
そう言って穏やかに笑うソールに、悲壮感はなかった。
その顔を見たテーナは、もしかするとこれはふたりで勝手に解決してしまうパターンなのではないかと、ちらりと思った。
ミネルが秋風の呪いを受けて、しばらく経った。魔術師長たちが仕事の合間に解呪方法を探しているが、今のところ成果は上がっていない。
それと並行して、ミネルも努力をするよう申し付けられていた。長めの休憩時間がとれたときは、なるべくソールに会いに行くようにと。尊敬する上司から言われてしまえばミネルは拒否できない。
それに友人のテーナも、なぜか強く勧めてくる。
だが、ミネルはソールに会うのは気が進まなかった。恋人同士であったことは理解しているが、今のミネルはソールへの愛情が冷めてしまっているのだ。わざわざ会いに行く理由がない。
と、ミネルは思っているのだが、なぜか、ソールを前にすると落ち着かなくなってしまうのも事実だった。
テーナに連れられてソールに会ったとき、困ったような笑顔を見て、ミネルは顔に熱が集まるのを感じた。確かに、以前はその笑顔を好んでいたが、今はそういった感情は冷めているはずなのに。
混乱しているうちに自分の感情が制御できなくなっていき、あのときはとっさに逃げ出してしまった。感情が制御できないというのは、あまり気持ちのよいものではない。ましてやその理由もミネルにはよく分からないのだ。だから、できればソールには会いたくないと思ってしまうのだった。
「ミネル、はい」
それでも、根が真面目なミネルがその日もパン屋を訪れると、笑顔でチョコレートが差し出された。
口元で待ち構えるチョコレートは、つまり口を開けろということだろう。
微笑ましげに見守る店長の視線にミネルが慌てているのが分かっているだろうに、こういうときのソールはにこにこと笑いながら、決して引かなかった。
「…………ん、」
意を決したミネルが、おそるおそる口を開けると、そっとチョコレートが押し込まれた。やることは強引なのに、触れ方はとても優しい。それに、口の中に広がる甘さ以上に、ソールの瞳はとろりと甘かった。
その瞳の熱にミネルがますます顔を赤くしたのを見て、ソールはくすりと笑い、自分の手についたチョコレートをぺろりと舐めた。その仕草が妙に艶っぽく、ちらりと流し目で見られて、ミネルは爆発してしまいそうになる。
このように、最近のソールはミネルの心臓へ負荷をかけるばかりで、少し意地悪だった。記憶の中のソールは、とにかく優しかったような気がするのに。
「美味しいですか?」
「…………はい」
「ふふ。よかったです」
そう言って、ソールは今しがた舐めた指を、ミネルの唇に押し付けてくる。
「ふわっ!?」
「……唇に、チョコレートが付いていますよ」
顎に手をかけて親指で唇をなぞるのは明らかにおかしいと思うのに、ミネルはぷるぷると震えるばかりで何も言えない。
向こうに見える店長がますますにこにこしているのが、さらに羞恥をあおる。今は他の客がいないからといって、これは店の中でするのに相応しい行為ではないのではないか。
恥ずかしさで混乱したミネルが本気で切羽詰まってきたのを察知したのか、ソールはここで優しく微笑んで、ひょいっと話題を変えた。
「はい、取れました。じゃあ、今日のおすすめのパンを紹介しますね」
触れていた手も離れて、急な変化についていけずにミネルはぽかんとソールを見上げてしまう。
「さあ、ミネル。こちらにどうぞ」
微笑んだソールに手を引かれて商品棚へ案内されながら、呪いを受けてから振り回されっ放しのこの状況にミネルは首を傾げるばかりだった。
なぜか、どこかでそれが満更でもない気持ちもあるような気がしたが、秋風の呪いは解呪されていないのだから、そんなはずはない。
ソールへの感情に疑問を抱きつつ、秋風の呪いを抱えたままのある日、ミネルは休日の買い出しをしようと街を歩いていた。
王宮魔術師は不定休で、決まった休日というものはない。それでも今の魔術師長は部下への気遣いが抜群なので、きちんと適切な休息がとれるように勤務時間が管理されている。だからこうして、ミネルは休日に買い出しに行ったりもできるようになっているのだ。
(そういえば、以前はこういうとき、ソールさんに付き合ってもらったりしていたなあ)
ソールもパン屋で働く都合上、いつも同じ日が休みとはかぎらない。それでも、ミネルが事前に休みの日を伝えれば、なるべくお互いの休日が合うように都合をつけてくれたりしていた。
そんなことを思い出しながら大通りに出たところで、思い浮かべていた卵色の髪が不意に視界の隅に入り、つい目を向けた。
だが、ミネルはすぐに後悔する。
それはやはりソールだったが、その腕には女の子が甘えるように抱き着いていた。そしてソールも、女の子に微笑みを向けながら優しく話しかけていたのだ。その仲睦まじい様子は、ミネルの目にはお似合いの恋人たちにしか見えなかった。
――――ミネルとソールの間に、強く秋風が吹いた。
「あれ、ミネル?」
立ち止まって見つめるミネルに、ソールは気づいたらしい。
だが、他の女の子とのデートを目撃されても慌てる様子はなく、組んだ腕を解く素振りもなかった。
そうか、ソールの愛情は冷めてしまったのかと、ミネルは悟った。
呪いのためとはいえ先に愛情が冷めたのはミネルなのだから、それを責めることはできない。むしろお互いの愛情が冷めたのなら、ちょうどよかったのではないかと、自分を納得させようとする。
「え、ミネル!?」
だが、どういうわけか、ミネルの目からは涙がこぼれていた。
自分を見つめたまま静かに涙を流すミネルに、ソールは慌てて駆け寄って来た。その際に腕は解かれたようだが、女の子は当然一緒について来た。
「どうしたの、何かあった? 具合が悪い?」
おろおろと心配そうに肩に手を置かれたが、その手の温かさに、ミネルはますます涙が止まらなくなった。不思議と声は出ず、静かに泣き続ける。
その様子を見て、これはただごとではないと察したらしいソールは、ひとまずどこかで落ち着かせようと考えたようだ。
「リト、俺はミネルを連れて帰る。悪いけど、買い物に付き合うのはここまでだ」
「うん。ミネルさんって、兄さんの恋人さんでしょ? 私のことはいいから、ちゃんと話を聞いてあげてね」
そこでミネルの思考が戻ってきた。ぱちぱちと瞬きして、聞こえた言葉を反芻する。
「兄さんって、……え、妹さん?」
「ああ、妹のリトだよ。そのうち紹介しようと思っていたけど、またの機会にね。……それよりも、歩ける? とりあえず俺の家に行こう」
「あ、」
意思を決めてしまったソールの行動は早かった。ミネルの肩を抱き、有無を言わさず自宅へと連れて帰った。それを、リトと呼ばれた女の子は手を振って見送っていた。
ソールの家へ来るのは、実は秋風の呪いを受けて以来初めてだった。久しぶりのソールの私的な空間に、ミネルはなんだかそわそわしてしまう。
初めて来たときのようにきょろきょろと辺りを見回して、記憶の中のものと変わっていないことに、なぜだかほっとした。
ミネルがソファでもぞもぞしていると、コーヒーを入れてくれたソールが戻ってきて、隣に腰を下ろした。
目の前の机に置かれたコーヒーの香りと隣にあるぬくもりに、不思議と安心した。
「……落ち着いた?」
「う、はい。すみません、急に泣き出したりして…………」
思い返してみれば、あのように人通りの多い場所でなんと恥ずかしいことをしてしまったのかと、ミネルは身を縮こまらせた。
しかも、その理由が勝手な思い込みからの勘違いだ。
「何かあったの?」
「いえ、あの、そのー、」
「うん」
しかし真実を知らないソールは、ミネルの事情を真摯に聞いてくれようとしている。とてもごまかせそうにはない。
「…………わー、すみませんでした! 勝手に勘違いしていただけです!!」
ミネルは叫んだ勢いで、がばりと頭を下げた。
急に大きな声を上げた相手に、ソールはぱちぱちと瞬きした。
「勘違いって、なにが?」
「うう、あの、……ソールさんが知らない女の子と腕を組んでいたので、デートしているのだとばかり。私の呪いも解けないし、ソールさんの愛情が冷めてしまって、新しい恋人ができたのかと。…………でも、そうだったとしても私はソールさんを責めることはできないし、むしろその方がいいのかもしれないと思ったら、なぜか涙が出てきて……。あの、妹さんだったんですよね。私の勘違いでした、すみません」
頭を下げたのを幸いに、ソールの顔を見ないままミネルは事情を説明した。
だが経緯を口に出して辿っていくうちに、ふと冷静になる。
(あれ、ということは、ソールさんの愛情は冷めていないのかな?)
そうミネルが考えたとき、ソールが口を開いた。
「それって、やきもちを焼いてくれたってこと?」
聞こえた言葉に顔を上げると、ソールがじっと見ていた。
あまりに真剣に見つめられて、ミネルはぎしりと固まってしまう。そこへソールがそっと頬に手を当てて、小首を傾げて尋ねる。
「……ミネルは、俺が好き?」
「以前は好きでした。……でも今は、秋風の呪いで冷めてしまっていて、」
「……本当に?」
指先でするりと頬を撫でるソールが、妖艶に微笑んだ。
まるでミネル自身よりもその気持ちが分かっているかのようで、少し悔しくなった。秋風の呪いで愛情が冷めたはずなのにソールに翻弄されるのは何故なのか、ミネルはこれほど混乱しているというのに。
その気持ちが顔に出てむっとしてしまったミネルを、ソールはしかたのない子だなあという風に愛しげに見つめた。
そんな顔で見つめられれば、ミネルの体温はどんどん上昇していく。
「じゃあ、どうして泣いちゃったの?」
まだ赤いままのミネルの目尻を、ソールの指が優しく擦る。
反射で目をつむってしまったミネルを頬に当てた手で引き寄せたソールが、反対の頬へ、ちゅっと音を立てて口づけをひとつ落とす。
それから、耳元に唇を寄せて。
「俺はミネルが好きだよ」
「っ、…………」
吹き込むように囁くソールのその呼吸まで感じられて、ミネルは首まで真っ赤になってびくりと震えた。そろそろ爆発してしまうかもしれないと、本気で心配になってくる。
そんなミネルの心配をよそに、ソールはいつの間にか腰にも腕を回していて、しっかりと抱き込んでしまっていた。
「ね、……俺のこと、好き?」
額を合わせて、鼻が触れ合いそうな距離でソールが囁く。その瞳はミネルへの愛しさでとろりと甘く溶けている。
だがミネルの頭から秋風の呪いが離れない。呪いを受けたその事実が、魔術師としてのミネルを縛っていた。
「のろい、が、」
「……呪いじゃなく、今は俺のことだけを見て。ね、簡単なことだよ。俺はミネルが好き。ミネルは?」
真っ直ぐに見つめてくるソールに、ついにミネルは陥落した。
「………………好き、です」
消え入るような小さな声は、それでもきちんと届いたようで、ソールは花が開くように笑った。そのままミネルをソファに押し付けて、唇を合わせてくる。
白旗を上げたミネルは、もうソールの首に腕を回すしかなかった。
こうして、ミネルとソールは無事に以前のような関係に戻った。
それは王宮魔術師たちの間にもすぐに知れ渡った。ミネルの様子が顕著に変化したからだ。
その日も定時で足取り軽く王宮を出て行くミネルを、テーナとユノが眺めている。
「あーあ、こうなる気がしたのよねえ……。勝手に解決しちゃったわ」
「そうねえ。ミネルの恋の感情は、本当に素敵」
「けっきょく、呪いが解術できたのか、ミネルが力業で打ち破ったのか、どちらなのかしら」
「ふふ、結果は同じだから、どちらでもいいのではないの?」
「それもそうね」
ふたりは顔を見合わせて、友人の幸せを喜び合った。
「秋風が立つ(秋風が吹く)」
意味:恋人同士の愛情がさめること。「秋」を「飽き」にかけて言う。
【参考】明鏡国語辞典 第二版




