小話:恋人がローブを羽織ったら
Twitter(@torikaitai_yo)の小ネタから派生した小話です。
定時で仕事を終えて王宮を出たミネルは、目的地を目指して足早に歩いていた。これから向かう先は、いつもの噴水広場ではない。
大通りから少し奥に入ったところにあるその家に到着して、ミネルは扉の前で軽く呼吸を整える。もう何度か訪れた場所であるのに、いまだに少しだけ緊張してしまうのは、どうしてだろうか。
よしと気合いを入れて、そっと呼び鈴を鳴らした。
「いらっしゃい、ミネル」
「こんにちは、ソールさん」
すぐに家主である恋人が扉を開けて笑顔で迎えてくれるのに、ミネルの緊張は一瞬で解けて、つられたように微笑む。
今日はソールの仕事が休みで、一緒に夕食を取ろうと自宅に招かれていたのだ。
一度ソールの家に連れて来られて以来、ミネルはそれなりに頻繁にやって来るようになってしまった。迷惑ではないかなという心配もあるが、ソールはいつも穏やかな笑顔で歓迎してくれるので、ついついまた来てしまう。
仕事終わりにそのままお邪魔したので、まずは洗面所を借り、しばらく席を外して戻って来たところで、ミネルはその場の光景に呆然とした。
「え、ソールさん、どうして私のローブを羽織って……?」
「うん、どんな感じなのかなと思ってさ」
そこには、脱いで置いてあったミネルのローブを羽織ったソールが立っていた。
王宮魔術師のローブは、黒地に水色のラインで縁取りと装飾が施されている、暗めで地味な雰囲気のデザインだ。そこに、ソールの卵色の淡い髪がよく映えている。
魔力の多い王宮魔術師には、自分も含めて濃い髪色の者しかいない。ソールの髪色は王宮魔術師にはまず無い色であるだけに、とても新鮮だった。
「意外と軽いんだね、これ」
「はい、特殊な素材を使用しているので……」
かろうじて質問には答えたが、ミネルが普段着ているものをソールが着ているということに、もうミネルの感情は相当に膨れ上がっている。
さらに、どうかなとばかりにくるりと回るソールを見てしまえば、その無邪気な仕草と嬉しそうな顔が可愛いと思ってしまったミネルは叫ぶしかなかった。
「……っ、すごく似合います!」
「そう? ありがとう」
王宮魔術師のローブは男女の別なく全て同じサイズで作られているので、ミネルのものをソールが着ても、違和感がないようにはなっている。
だが、やはり男性のソールが着ると、ミネルが着ているのとは違うものに見える。
「……え、私が着るより丈が短めになってて身長差にときめく。というか、あれ、後で私が着るの? ソールさんが身に着けたローブを!?」
「どうしたの?」
「ひえ、近づいて来る……!」
「ん?」
目の前までやって来たソールは、ミネルが頬を上気させてぷるぷるする様子に何かを察したようだ。悪戯っぽくにやりと笑い、羽織っていたローブの前を広げてミネルを包み込み、囲うようにふんわりと抱きしめてきた。
「っ……!?」
「ふふ、俺がこのローブを着ているのが、気に入ったの?」
いつも羽織っているローブの感触と、抱きしめてくるソールの香りと、そのぬくもりと、情報過多すぎてミネルの頭は大混乱だった。
加えて、耳元に口を寄せたソールに至近距離で囁かれ、ミネルは処理能力の限界を悟ってその腕から逃げ出した。
「ちょ、ちょっと無理です! もう、ソールさん、ほんと……!」
「え、あれ、嫌だった? ……ご、ごめんね。調子に乗った」
距離を取ってうずくまってしまったミネルに、ソールは慌ててローブを脱いで駆け寄って来ると、側にしゃがんで丁寧に頭を撫でてくれた。
「ミネル? ごめん、もうしないよ」
「うう…………」
「ね、ほら、機嫌なおして?」
「……ち、違います」
「ん?」
「その、刺激が強すぎて……、ちょっと耐性が」
「んん?」
感情が高ぶりすぎてうまく言葉にできないミネルに、ソールはきょとんとした。
このままでは誤解されてしまうと思い、とにかく嫌ではないのだと伝えたくて、ミネルは目の前の体にしがみついた。勢いがつきすぎて押し倒しそうになったが、ソールが後ろに片手をついてうまく支えてくれる。
思ったよりも全身でソールに密着してしまい、その体のたくましさに更なる刺激を受けてしまったのは大きな誤算だった。自宅ということで薄着のソールの体の線が、いつもよりしっかり伝わってきたのだ。
だがそこで負けるわけにはいかず、ミネルはなんとか声を上げた。
「っ、嫌じゃないです……!」
「…………そうなの?」
まだそれ以上の言葉では説明できそうにないので、唸りながら力いっぱいしがみつくしかできない。
しばらくそうしていると、ミネルの挙動不審には慣れてくれているソールが小さく笑ったようだった。
「……なんだか大変そうだね。しばらくこうしていようか」
ソールはミネルが落ち着くまで、そのままの体勢であやすように頭や背中を優しく撫でてくれた。
ようやく落ち着いたころには、改めて言葉で説明するのがなんだか恥ずかしいような気がしてしまい、ミネルははっきりとはソールに説明しなかった。
だがソールは気にしていないようで、夕食にしようかとその話題を流してくれた。
こういうところがこの恋人の優しいところだと、ミネルはほっと安堵して食卓につき、楽しく夕食をいただいた。
夕食を終えて帰るとき、ソールはいつも大通りまでミネルを送ってくれる。
それほど距離はないが、その短い間でも手を繋いで歩くのは、ミネルにとって嬉しい時間だった。あれこれと夕食の感想などを話すこともあるし、今日のようにただ静かに歩くこともある。
もうすぐ大通りに出るかというところで、ソールが口を開いた。
「そういえば、ローブは羽織らないの?」
「え、あー、……気温もちょうどいいので、今はいいかなと!」
ミネルがローブを羽織らず腕にかけていることをソールに質問され、適当な理由を挙げておく。実際は、とてもではないが、ソールの前で羽織って冷静でいられる自信はなかったのだ。
「ふうん、そうなの」
だが、全てお見通しといった様子で笑うソールを見るに、本当の理由はばれているような気がする。分かっていて聞いたのなら少し意地悪だなと軽く睨むと、年上の恋人はさらに笑みを深めて、ごめんと言うように空いている方の手の甲でミネルの頬を撫でていった。
「じゃあ、気を付けてね。またいつでもおいで。待っているから」
「はい。お店にも行きますね」
別れ際、繋いでいた手を最後にぎゅっとソールに握られた後、そっと離され、お互いに自分の家へ向かって歩き出した。
手のぬくもりが消えてしまうのは寂しいが、ミネルには、先ほどソールが羽織っていたローブがあるのだ。それだけで、なんだか寂しさも和らぐような気がする。
「……ふふっ」
帰ったら、こっそり羽織ってみようと思った。




