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噴水広場のパン屋にて  作者: 鳥飼泰
番外編
12/24

年上の恋人

王宮魔術師ミネルは、先日、めでたくパン屋の店員ソールと思いを確かめ合って付き合うことになった。


あれから王宮の結界問題も、どうやったものか魔術師長が相談役の引き止めに成功したことで、あっさり解決した。

相談役が用意した結界の穴は、本人にしか使えないようになっているのだそうだ。それはそれでどうかとも思うが、相談役がその気になれば何を備えていても無駄であるので、もうそれでいいかということになってしまった。

なぜか魔術師長がとてもくたびれていて、いくぶん自棄になっていたのが少し気になった。


そんなわけで、ミネルはまたソールのパン屋へ通えるようになったのだ。




「こんにちはー」

「おや。いらっしゃい、ミネルさん」

「店長さん」


ミネルが濃い葡萄色の髪を揺らして扉をくぐれば、入ってすぐのところにちょうど立っていた店長が迎えてくれた。

珍しいなと顔を向けると、店長はにこりと含みのある笑顔を浮かべた。


「今日もソール君に会いに来たんですか?」

「え、」


どうもこのおじさま店長は、ミネルとソールのことを微笑ましく思うあまり、ちょっとからかいたくて堪らないらしい。

どう答えたものかミネルが困っていると。



「ミネル」



後ろから大好きな声がかかり、きれいな卵色の髪がミネルの横に並んだ。


「店長、あまりからかわないようにと言っているでしょう」

「ふふふ。ごめんね。……はいはい、邪魔者は退散しますよ。ミネルさん、ごゆっくり」


ご機嫌で去って行った店長を見送り、ソールが小さく息を吐く。


「すみません、いつも店長が」

「いえ、ちょっと困りますけど、照れくさいだけなので……」


あははと笑って答えるミネルに、ソールが少し悪戯っぽく目を細めて言う。


「……俺に会いに来てくれているのは、本当ですものね?」

「ふあっ!?」


不意打ちに、妙な声が出てしまった。

最近のソールは、店でもこのようにミネルを動揺させることがあり、その度に過労気味の心臓は強度を試されている。

感情が高ぶると爆発する魔獣をどこかで見たことがあるが、今ならとても共感できる。まさにミネルも、爆発しそうなほどに感情が沸騰するのだ。



「ふふ。じゃあ、今日のおすすめを紹介しましょうか」

「うう、はい。お願いします……」


心臓を必死に宥めるミネルを、ソールは楽しそうに眺めていた。




付き合い始めて変わったことといえば、まだあまり多くはないが、お互いの休みが合えば二人で出かけるようになった。

どちらかの買い物に付き合い、その後カフェでお喋りをするという流れができている。市場での休日デートでもそうだったように、ソールはあちこちのパン屋やカフェに行くのが好きなのだそうだ。自分でもお菓子を作るくらいに甘いものが好きらしい。


「今日のところは、クッキーが評判らしいんだ」

「楽しみですね」


勤務先のパン屋でのソールはお客であるミネルには敬語のままだが、こうして外で会うときはくだけてくれるし、表情も店で見るよりずっと柔らかい。

そうした特別を切り出されていることを実感すると、ミネルの心臓にはこれまた負荷がかかる。



「このクッキー、美味しい!」

「うん、歯ごたえがいいね」


もちろんミネルも甘いものは大好きなので、ソールの趣味に喜んで付き合えることが嬉しい。


「こういう、ザクザク食感のクッキーって好きです」

「わかる。普通のさくっとするのもいいけれど、こういう食感だと満足感が高いよね」

「そうなんですよ!」


こうして感想を言い合っても同意できることが多くて、そこもまたミネルは嬉しかった。考えてみれば、ソールのおすすめパンはいつもミネルの気に入るので、きっと食の嗜好が合うのだろう。


夢中でクッキーの食感を堪能していると、ふとソールがこちらをじっと見つめているのに気づく。いつものように穏やかに微笑んでいるが、その視線が、愛しいと訴えてくるようでミネルはクッキーどころではなくなってしまう。

おそらくそのことが分かっているだろう年上の恋人は、ふふふと笑ってさらに追い打ちをかけてくる。


「ほら、口元についてるよ」


そっと体を乗り出して伸ばした手で、ミネルの口元についていたらしいクッキーくずを摘まみ、そのまま口に押し込んできた。唇に触れた親指の熱が伝わり、何をされたか理解したところで、ミネルは爆発しそうになる感情を叫ぶことで吐き出した。


「……ぎゃふっ!!」

「あはは、言葉になってないね」


ソールは楽しそうに笑っていたが、そういった悪戯でミネルの心臓にかかる負担をどうか理解してほしい。



さらにそれから数日後。

いつものようにパン屋を訪れたミネルに。


「ミネル、はい」


購入した商品と一緒に渡される、きれいにラッピングされた小袋。

なんだろうかと首を傾げると、ソールは微笑んで教えてくれた。


「このまえ出かけたときに、美味しいと言っていたクッキーを真似て作ってみました。口に合うと良いですけど」

「!?」


思わず叫んでしまいそうになった。


(ソールさんの手作りクッキー……!!)


小袋を凝視したまま、爆発しそうになる感情をぐっと堪える。

感情のままに行動するなら、力いっぱいソールに抱き着きたいところではあるが、ここは店の中だ。ソールの職場でそんなことはできない。


小袋を握り締めて動かなくなったミネルに、何が起こっているのか察してくれたのか、ソールが苦笑しながら言った。


「喜んでもらえたみたいで、良かったです。また作って来ますから、あまり大げさにしないでくださいね」




このようにソールにひどく甘やかされながら幸せに過ごすミネルには、ひとつ悩みがあった。


「……どうせ、それもソールさん関係なんでしょ?」

「そうなのよ!」


拳で机をたたくミネルを呆れたように見るのは、思いが叶った今も相談に乗ってくれる心優しい友人テーナだ。


「ソールさんの家に行きたいって、言えない……」


思いを伝えあった日、ソールはいつでもおいでと言って、自宅の住所を書いたカードを渡してくれた。これはつまり、自由に訪問しても良いと許可を得たということなのだろう。

だが、ミネルはいまだにソール宅へ行ったことは無く、行きたいと言うこともできずにいた。


「言えばいいじゃない」

「なんだか、機会を逃しちゃって……」


カードを受け取って数日後には魔術師長の尽力で結界問題が解決してしまい、再びパン屋へ行くことができるようになった。パン屋へ行けば会えるのに、わざわざ自宅へ行きたいなどと言うのは我がままが過ぎるような気がして、ミネルは言い出せなくなってしまったのだ。




その日は、新しいマグカップが欲しいというソールに付き合って、いつかも来たことのある雑貨屋へやって来た。

ソールはそれほど迷う様子もなく、きれいな淡い色合いの黄色と赤紫のペアマグカップを選ぶ。

そのうちのひとつが自分の髪色のようにも思えて、そのマグカップがソールの家に置かれると思うと、ミネルはこっそり嬉しくなった。

いつか、ソールの家へ行くことができたら、お願いして使わせてもらおう。


雑貨屋での買い物はすぐに終わってしまい、さて今日はどこのカフェに行くのかなとソールの顔を見たところで。

にこりと笑ったソールがミネルと繋がっている手を引いて歩き出した。



「今日は、俺の家でお茶しよう。さっきのマグカップでコーヒーを入れるよ」



そのまま進んで行くソールの背中で揺れる卵色の髪を見つめながら、ミネルは言われた言葉を反芻した。


「え?」



ミネルがソールの言葉を理解したころには、すでにソールの家の前に立っていて、家主が鍵を取りだして玄関を開けているところだった。


「さ、どうぞ」


笑顔で促されて中へ入ると、男性のひとり住まいらしい、簡素な空間が広がっていた。王都は物価も地価も水準が高めなので、単身者用の家はそれほど広くはない。ソールの家も、そういった平均的なものだった。


二人掛けのソファにミネルを案内すると、ソールは買って来たマグカップを持って台所へ消えた。

念願の恋人宅への訪問が突然叶ってしまい、そわそわと落ち着かない気持ちで待ちながら、思わずきょろきょろと周りを見てしまう。



「きょろきょろして、どうしたの?」


声に振り返れば、淡い黄色と赤紫のマグカップを持ったソールが笑って立っていた。ソファの前の机にマグカップを置き、ミネルの隣に腰を下ろす。


「その、ソールさんの家に初めて入ったから、ちょっと緊張して……」

「そうだね。せっかく住所を渡したのに、ミネルはちっとも来てくれなくて、寂しかったな」

「いや、それは!あの、すごく来たかったけれど、言い出す機会を逃してしまったというか、」


慌てて弁解すると、ソールは目を細めて笑った。


「うん。そうなんだろうなと思ってた。ときどき、なにか言いたそうにしていたし」


どうやら、ミネルが言いそびれていたことをしっかり察してくれていたらしい。


「それもあって、誘ってみたんだ。俺も来てほしかったし」

「……ソールさんは、いつもそうやって、私が望むものをくれますね」

「うん?そうなの?」

「そうです。だから私は、ソールさんが好きすぎてどうすればいいのか分からなくなります」

「…………そのまま、もっと好きになってくれて構わないよ。俺はもっとミネルが好きだから」


そっと頬に手を当てられ、近づく顔に促されて目を閉じる。

優しく触れた唇が一度離され、それから何度も啄むように口づけが降ってくる。

実はこういった触れ合いをするのはこちらから仕掛けたあの日以来で、嬉しさと恥ずかしさで頭をくらくらさせながら、ミネルは久しぶりの感触に酔いしれた。



「……こういうことをされても、やっぱり好きだなと思って、どうすればいいのか分からなくなります」

「ふふ、じゃあもっとしないといけないね」


ソールの腕の中に収められ、葡萄色の髪を撫でられながら呟いたミネルに、腕の主は愉快そうに笑った。



「これで、もう俺の家に来るのに躊躇はなくなったよね。いつでも待っているから」

「う、そんなことを言われると、本当に際限なく来てしまいそうなのですが……」

「まったく構わないけど」


ミネルのしつこさを理解していないことに抗議しようと、寄りかかっていたソールから身を起こす。

だが、年上の恋人は一枚上手だった。


「今はミネルが店まで来てくれるけれど、俺はもっと会いたいと思ってるよ。だから、本当にいつでも来てほしいな。……店だと、こういうことはできないしね」


体を離したミネルの腰に腕を回して逃げられないようにしたうえで、ソールは再びミネルに顔を寄せた。

頭の片隅に、せっかく入れてもらったコーヒーが冷めてしまうなという考えがちらりとよぎったが、気が逸れたことをどうしてか察したらしい恋人が、許さないとばかりに拘束を強めてきて、ミネルはそのまま口づけに翻弄されてしまった。




こうしてミネルの悩みは、本人が何もしないうちに、優しい年上の恋人がいつもの気遣いを発揮して解決してくれた。

どうにも、ソールに優しく駄目にされているような気がする。だが、ソールに駄目にされるなら、それもいいのかなあと思ってしまっている。


そのことをテーナに話すと、心底呆れた目を向けられて「あ、そう」と一言で終わった。

ユノにも話してみると、恋の感情が大好きな妖精は満面の笑みを向けてきた。


けっきょく、いいのか悪いのか分からなかったが、ソールのすることに間違いはないだろうから、きっといいのだろうとミネルは自分を納得させた。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 拝読しました! ソールさんの前だと お(くゆ)かしくなっちゃうミネルが相変わらずかわいいです。 願わくばそのままで……っていうのは、これ完全におっさん目線のエゴですね。 ところで…
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