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「カザリン・ジルバーマンッ! この僕は貴様との婚約をこの場で破棄するっ!」
壇上に立つファナティカー王国王太子ナールナルのあまりにも不意を突いた発言に婚約者カザリンはしばらく言葉が出なかった。
それでもやっとの思いで言葉を絞り出した。
「おっ、王太子殿下。いったい、なぜ?」
21歳になる王太子は一世一代の見せ場とばかり続けた。
「とぼけるなっ! 貴様がこの健気なブルーメ・ツッカー嬢に働いた悪事の数々。天とこのナールナル・ファナティカーが気付かぬとでも思ったかっ?」
「悪事…… それは一体?」
「まだとぼけるか。もうよい。貴様との婚約はもう既に破棄されたっ!大人しく己が城に戻り、追って沙汰を待てっ!」
カザリンは無言のまま、その場で崩れ落ちた。
随行してきていたジルバーマン家の執事セバスチャンが慌てて駆け寄り、その身を支え、馬車で居城に戻って行った。
その間、カザリンは終始放心状態だった。
◇◇◇
「なんということ。あの娘が一体何をしたというのです」
カザリンの母、マリー・ジルバーマンは悲嘆にくれた。
その夫であり、カザリンの父、この城の主であるハイデラント辺境伯ゲッツ・ジルバーマンも深刻な面持ちで沈黙したままだ。
「セバスチャン。あの娘は、カザリンはどうなってしまうのです?」
マリーの問いに、セバスチャンは重い口を開いた。
「追って沙汰を待てとのことでしたが…… 恐らくは修道院行きを命ぜられるものかと……」
マリーの顔面は蒼白となった。
「そっ、そんなっ! 何不自由なく花嫁修業だけやらせていたあの娘に、そんなつらい暮らしが出来る訳が…… 死んでしまいますわ」
「……」
セバスチャンは黙って聞いている。
「大体、悪事を働いたと言いますが、何をやったというのです」
セバスチャンは再度重い口を開いた。
「具体的なことは何も…… はめられましたな……」
「なんてことっ!」
涙ぐんだマリーは反対側の壁に飾られた聖母像に向かい、振り返った。
「神様。これは一体どういうことなのです。何故、私たちにこんな理不尽な試練を? 神様、私たちをお救い、お救いくださいっ!」
……
……
……
じゃらぁ~ん。次の瞬間、雅な音楽が流れるとともに、一面、スモークに覆われた。
スモークの中を何筋かのカクテル光線が飛び交う。
そんな中、ブランコらしきものに乗った者がゆっくりと床に向かって降りて来た。
その姿はスモークに隠され、よく視認できない。
しばらくは呆然とその光景をながめていたマリーだが、ブランコが床に着くと、駆け寄って行き、声をかけた。
「あっ、あなたは神様ですか?」
……
……
「…… あんだって?」
「あなたは神様なんですかっ?」
……
……
「…… あんだって?」
「あなた様は神様なんっでっすっかっ?」
……
……
「…… あんだって?」
ついにマリーは声を張り上げた。
「あ・な・た・さ・ま・はっ!か・み・さ・ま・か・と・き・い・て・い・る・ん・で・すっ!」
……
……
……
「とんでもねぇ。あたしゃ女神様だよ」
……
……
……
ドカッ
マリーは充分に体重を乗せた右ストレートを自称女神様の顔面にヒットさせた。
◇◇◇
「いったぁい。何すんのぉ。マリーちゃあ~ん」
自称女神様はブランコから無様に転げ落ち、殴られた顔を右手で押さえた。左の鼻の穴からは一筋の鼻血が零れ落ちた。
「やかましいっ! このオオボケ女神があっ! 久しぶりに会ったと思えば、何だ? この小芝居わぁっ! しかも、人が深刻に悩んでいる時にぃっ!」
「女神? おまえ、女神なのか?」
後ろからゲッツも駆けつける。
「そうよ。お久しぶり。ゲッツ」
ゲッツは腕組をして、渋い表情を見せた。
「女神。久しぶりの再会でなんだが、こっちも立て込んでいてな。奢ってやるメシはないぞ」
「なんで、ご飯をたかりにきた前提なのよっ! まあ、食べさせてもらうに越したことはないけど」
「じゃあ、何しに来たのよ? こっちは可愛い一人娘が婚約破棄されて、大変なんだから」
マリーの言葉にニヤリと笑った女神はおもむろに立ち上がり、ドヤ顔を見せた。但し、左の鼻の穴から出た鼻血はそのままだ。
「ふっ。老いたか? 鉄腕ゲッツ。そして、狂拳マリー……」
◇◇◇
ゲッツとマリーは女神の言葉に周囲を見回した。いるのは執事のセバスチャンだけだ。
他の者は王太子からの婚約破棄の報を受けると、討伐を恐れ、逃げ出していた。だから、後、この城にいるのはカザリンだけである。
「どういう意味だ女神。また、俺たちを『転移』でもさせようってのか?」
周囲に他の者がいないことを確認したゲッツの言葉は過去の冒険者のそれに戻りつつあった。
「そんなことはしない。だが、かつてのあなたたちなら、このような目にあって、嘆いているようなことはなかった。『お礼参り』はキッチリする。それがあなたたちの流儀じゃなかった? 鉄腕ゲッツ、狂拳マリー」
「ふふふふ。はぁっはっはっはっ」
女神の言葉に、ゲッツは大いに笑った。
「女神。おまえの言うとおりだ。おまえにこの世界に転移させられてからは、俺もマリーも拳一つでのし上がり、ついには爵位を金で買うまでに成り上がった。だけど、俺たちゃ、元をたどれば、田舎の暴走族のカップルだわ」
「ふっ」
マリーも小さく笑った。
「可愛い一人娘のカザリンのために、貴族の作法に合わせた生活をしているうちに、魂まで抜かれてたんだね。だがっ!」
マリーの拳は中空を撃った。
「こうなった以上、昔に帰って拳で落とし前をつけようじゃないかっ!」