ep.1-6
ロカーシュの話を要約すると、俺達に宿る呪いには『根源』が存在し、呪いはその根源に何らかの形で接触することで人の中に宿るのだという。
呪いの根源は一つではなく、人によるもの、この星によるもの、この星の外部、つまり宇宙に存在するものなど様々な種類が存在する。
例えば、俺の体内に宿る『ヒトの始まりの獣』は人によるものであり、ロカーシュにも宿っている、世界に最も多く存在すると言われる『太陽の呪い』は途轍もなく胡散臭い話だが、太陽におわすという女神様によるものらしい。
根源が数多に溢れてしまった現代では、一種の根源から呪いが宿ることは非常に稀なケースで、多くの呪扱者は基本的に二つ以上の根源からなる複合的な呪いを宿している。
また、呪いというのは根源の種別によってその性質を変化させる。
今問題となっているリルドイト夫人に宿っているという『月の呪い』は月夜になるとその本領を発揮する。そして、ロカーシュが宿している太陽の呪いとは相反するものであり、二つの呪いは互いに干渉することができない。
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「理屈はどうでもいいが、あの人形の呪いはどうやって浄化すればいい?」ロカーシュの長話が終わった後、俺はふわふわに聞いた。
「月の呪いはその症例が少なくて、解明されていない部分が多いから、浄化は難しいと思う。だからといって呪いを放っておくのも危険よ。何かが起こる前に人形は破壊してしまった方がいいわ」
「なら、そうしよう。夫人を破砕機にぶち込んで、リルドイト氏には現実に戻ってもらえばいい」
人形を壊すだけで仕事が片付くのなら、それは非常に素晴らしい解決方法だ。
しかし、物事というのは解決の兆しが見えてから、厄介なことが起こるものだ。俺が外にいるリルドイト氏を呼ぼうとした時、それは起こった。
「あなたたちは、私の妻をなんだと思っているのですか!」
店の外で俺達の話を聞いていたのか、リルドイト氏が夫人を抱えたまま、いきなり店に入ってきて怒鳴り始めた。
「え、ラブドール?」俺はリルドイト氏の激しい語勢に驚いて、端から思っていたことをそのまま答えてしまった。
「この人でなし!」
リルドイト氏はぼろぼろと涙を流しながら人形を背負うと、勢いよく店を抜け出した。
なかなかシュールな絵面である。
「人でないのはあんたの奥さんだろ」
リルドイト氏は俺の冷静な指摘を耳にする前に、その姿を消していた。
「ちょっと、リルドイトさん! 待って下さい!」
ロカーシュは人形を担いで走り去ったリルドイト氏を追い掛け、店を出た。店の外からオーセットの寝ぼけた声が聞こえてくる。やけに静かだと思っていたが、やはりあの阿呆は眠っていたようだ。わざとリルドイト氏の傍に置いていたのに、その思惑は全く意味を成さなかった。
「はあ、面倒くさいな」俺は溜め息を吐きながら、店内に置かれた適当な椅子に座った。
「あの人形に、本当に月の呪いが宿っているとするなら非常にまずいわ。今宵は満月。呪いの力が最大にまで増幅するわよ」ふわふわが独りでに話し始めた。
「ふーん……」俺はどうでもよさそうに返事をして、後ろ髪の三編みを目の前に持ってきて弄った。
「ふーん……じゃない! さっさとロカーシュを手伝ってきなさい!」
ふわふわが懐にしまっていたペンチを投げつけて、俺の足元の床に突き刺してきたので、俺は恐れおののき、堪らず店を出た。
少し当たりが逸れていたら、片足が吹き飛んでいただろう。
▽
店の外に出た後、俺はロカーシュとオーセットの姿を直ぐに見つけた。しかし、何故か二人は呆然と立ち尽くし、天上の夜空を見つめている。
「どうしたんだ?」俺が尋ねると、ロカーシュは血の気の引いた顔で答えた。
「あれを見ろ」
ロカーシュの指差した先の光景を見た俺は絶句した。そこらの建物をゆうに越える高さの、巨大なリルドイト夫人が、街の通りを闊歩していたのだ。
「ナイスバディです……」阿呆のオーセットが阿呆なことを呟いた。
「そうだね……」
ロカーシュは、何故かオーセットに同意した。こいつもだいぶ狼狽えているようだ。
折角だから、俺もこの流れに乗るとしよう。
「あの身長、俺にも分けてくれないかな」俺は羨ましげに言った。
俺の小言を聞いたロカーシュが途端に我に返る。
「……冗談を言ってる場合じゃないぞ、シャウ。これは相当まずい事態だ。あんなに巨大なものが街中を歩き回れば、確実に呪扱者以外の人間の目に入る」
「呪いの秘匿か……」
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プロミナは、太陽の女神を祀る『黒点教』を国教とする宗教国家である。黒点教は古い神話に基づく宗教であり、プロミナが建国した時から存在しているという。そして、この黒点教に纏わる組織が『黒点教会』である。
この黒点教会という組織は、国内外に関わらず汎ゆる種類の呪いをプロミナに集めている。呪いは、この国の戦力を担う強大な剣であり、盾となっているからだ。
しかし、強大な力というものは、強大である理屈が分かれば著しくその威力を落とす。それを避けるため、黒点教会は呪扱者を国内に留めて呪いの力を独占し、また、事実を知る人間から呪いを遠ざけることで、その存在を秘匿している。
俺はプロミナや黒点教会の指針には全く興味はないが、この呪いの秘匿という奴は破らぬよう努力しなくてはならない。黒点教会の呪扱者達は呪いの秘匿を破ろうとする人間を抹殺する使命を持っているからだ。
そういった血生臭い事実もあって、教会に所属していない呪扱者達は、黒点教会のことを『呪殺教会』などと呼んでいる。
▽
「もう手遅れじゃないか?」俺は地響きを立てながら歩く巨大な人形を見て言った。
「だが、あれをあのままにしておけば、街は破壊されてしまう。そんなことになってみろ。例の下水管掃除が、お前の最後の仕事になるぞ」
それは十分ありえる。俺の死体が下水管の水たまりに浮かぶ光景が脳裏をよぎった。
「……仕方ない。取り敢えず、あの巨人の足元まで行ってみるか」
俺達は巨大リルドイト夫人の傍へと駆けつけ、大地を揺らすその足元に近付いた。間近に見るリルドイト夫人はあまりに巨大で、俺の首を限界まで曲げてもその頂点を見ることはできなかった。
黒点教会の避難指示が既に行き届いているのか、住民の姿は見当たらない。教会の呪いを秘匿するための手際の良さには、相変わらず感心させられる。
「おい、あれを見ろ!」
ロカーシュがリルドイト夫人の足元を指差す。そこには、立ち尽くすリルドイト氏の姿があり、今にも踏み潰されそうになっていた。
俺は体内の始まりの獣を解放し、鞭のように変質させた右腕を伸ばして、リルドイト氏の身体を素早く抱き込み、引き寄せた。
危機一髪。俺の判断が早かったお陰で、リルドイト氏の魂は天に昇らずに済んだ。
いくら愛しくても、巨人と化した妻の身体に踏み潰されて圧死するなんて最期は嫌だろう。普通に生きていれば、そんなことはまず起こり得ないが。
「大丈夫ですか、リルドイトさん!」ロカーシュは俺が引き寄せたリルドイト氏の元へ近寄り、声を掛ける。
「はい……。な、なんとか……」リルドイト氏は震える声で言った。
「……リルドイトさん、どうか落ち着いて聞いて下さい。本当に申し訳ないのですが、ここまでお姿が変わってしまっては、もう私達に奥様を救うことはできません」
「何を……言っているのですか?」
困惑するリルドイト氏に向かって、ロカーシュは悲痛な表情を浮かべながら言った。
「リルドイトさん、あなたの奥様を破壊する許可を下さい。このままでは、ナコロナは壊滅してしまいます」
「そ、そんな……。無理に決まっているでしょう!」
「リルドイトさん……」
俺はいきなり始まった茶番劇を傍から見つめながら、溜め息を漏らした。なんでもいいから早く帰らせてくれ。