ep.1-5
俺とロカーシュと、おまけのオーセットは、爺さんの部屋を出て、リルドイト氏が乗ってきたという車に向かった。
リルドイト氏の車は、フェクタフィオンの敷地内にある客人用の駐車場に停めてあった。カルメリア製の高級車。爺さんも御用達のモデルで、我が家には無駄に三台置いてある。それぞれ中身が違うと爺さんは熱弁していたが、はっきり言って興味は無い。
その高級車に後ろから近付いていくと、リアガラス越しに見える後部座席に一人の女性らしき人影があった。彼女がリルドイト氏の奥様らしい。リルドイト氏は車の側に立つと、後部座席の扉を開けながら言った。
「妻のエフカです。なにぶん、彼女は人と話すのが不得手で、皆様に必要な情報を話せるかどうか分かりませんが、どうかご容赦下さい」
俺にはリルドイト氏の奥様とやらが、人と話すことが不得手な『だけ』の人間には思えなかった。リルドイト氏が扉を開けて、自分のことを紹介したにも関わらず、挨拶をするどころか、こちらを見向きもしないのだ。人と話すことではなく、人そのものが嫌いなのかもしれない。
「いえ、お気になさらず。私は話すことは得意分野ですから。きっと奥様の身に起こっていることの原因も突き止めてみせますよ」
ロカーシュはそう言うと、リルドイト夫人が乗っている車の外で跪き、自己紹介をした。
「私はロカーシュ・T・E・フェクタフィオン。フェクタフィオン家の長男です。……リルドイト夫人、あなたは月夜になると、その身に不可思議なことが起こると、お聞きしました。宜しければ、どうか、そのことについてお話をお聞かせ願えませんか?」
ロカーシュの質問に対して、リルドイト夫人は言葉を発するどころか、身動き一つ起こさない。何かに気付いたのか、ロカーシュは夫人の側に近寄り、その顔色を伺った。
「うわっ!」
ロカーシュは慌てた様子で、リルドイト夫人の乗る車から距離を取った。
「どうかしましたか?」リルドイト氏が慌てふためくロカーシュに向かって、不思議そうに尋ねた。
「い、いえ、何でもありません。あの、身内だけで相談したいことがあるので、少しだけお時間を頂けませんか?」
「分かりました。妻を助けられるなら、私はいくらでも待ちますよ」
「あはは。あ、ありがとうございます」
ロカーシュは乾いた笑いを浮かべながら、俺と、俺の隣りにいるオーセットに向かって、側に来るよう手のひらで指図した。小さく手を振る義兄の表情は、怪物でも見てしまったかのように引きつっていた。
俺とオーセットが指示通りに側に近寄ると、ロカーシュは囁くように話し始めた。
「シャウ、オーちゃん……。あれは人形だ。非常に精巧な人形だよ。あれが独りでに動き始めたら、俺は心配を通り越して、恐怖を覚えるぞ」
「でも、お前話すの得意なんだろ? さっさと情報を引き出してこいよ」狼狽えるロカーシュに対して、俺は冷たく言い捨てた。
「それは人間相手の話だ!」
突っかかってくる義兄を面倒臭そうにあしらっていると、オーセットが自身に満ち溢れた表情でロカーシュに言った。
「ロカーシュさんにならできますよ! 私はロカーシュさんを信じていたからこそ、この仕事を持ってきたんです!」
「……オーちゃん、知ってたの? リルドイト夫人が人形だってこと……」不安気に尋ねるロカーシュ。
「はいっ!」オーセットは元気よく肯定した。
ロカーシュは口をあんぐりと開けたまま、オーセットの笑顔を見つめていた。改めて思う、この女は底なしの阿呆だと。
唖然とするロカーシュの姿にいたたまれなくなり、俺はとある提案をした。
「ロカーシュ。人形のことなら、お前の大学時代のお友達に聞けばいいんじゃないか?」
「……『メリオアンテ』のことか。確かに彼女になら、何か分かるかもしれない。爺さんにこのことを伝えたら、行ってみるか」
「えー! 夫人とお話ししないんですか?」オーセットが至極残念そうに言った。
「……ごめんね、オーちゃん。俺、君の期待には応えられそうにないよ」
俺達はリルドイト夫人との対話を早々に諦め、ロカーシュの学生時代の友人『メリオアンテ・セロージュ』に会いに行くことにした。
▽
ナコロナのとある住宅街、背の高いアパートに囲まれた薄暗い路地の一角に、ぽつんとランプの明かりを灯している店がある。『セロージュ人形店』。そこの店主がこれから俺達が会いに行こうとしている人物である。
「こんにちは」
ロカーシュは店に入ると、玄関から挨拶を響かせた。しかし、人の気配は現れない。店の中にあるのは言葉を返さぬ人形だけだ。コミカルで表情豊かな子供用の玩具、人の姿に限りなく近い精巧な人形、動物のぬいぐるみまで、その種類も様々である。
控えめのランプの明かりが、暗闇の中の人形達の顔を薄っすらと浮かび上がらせており、物凄く不気味である。この店に来る客層は、子連れが一番多いらしいが、果たして、こんな不気味な空間の中で、子供達は楽しく人形を選ぶ気が起きるのだろうか。疑問である。
「メリオアンテ、いないのか?」
一度目の挨拶の後、ロカーシュが何度か店主の名を呼んだが、自分の居場所を示す声も、こちらに向かってくる足音も聞こえない。ただ、ロカーシュの声が静かな店内にこだまするだけだった。
その後も、合間をおいてロカーシュが店主の名前を呼び続けたが、何も起こらぬまま、時が過ぎ去るだけだった。義兄の単調な呼びかけに聞き飽きてきた俺は、店のちょうど真ん中の辺りに立ち、店主を呼び出すために、以前付けてやった可愛らしい愛称で呼んでやることにした。
「おーい、ふわふわー! いるんだろー? ふわふわー、出てこーい!」
しかし、店主は一向に現れない。ならば仕方がない、魔法の言葉だ。呼ばれて飛び出てくるがいい。
「三十路前、独り身のふわふわー!」
可愛らしい愛称の後に、悲壮感溢れる肩書きを付けて、俺は叫んだ。これが魔法の言葉だ。店主はきっと、慌てて俺達の前に姿を表すだろう。
そして、俺の予想は見事に当たった。魔法の言葉が店内に響き渡った直後、店の隅にある扉が勢いよく開き、そこから『ふわふわ』したレースやフリルに塗れた、少女趣味なワンピースを身に着けた痛々しい女が現れた。
この女が俺達が会いに来た人形師『メリオアンテ・セロージュ』。いつも年齢に見合わないふわふわした服を着ているので、俺は畏敬の念を込めて『ふわふわ』と呼んでいる。
ふわふわは俺に向かって凄まじい剣幕で迫った。
「うるっさい! 今度そんな風に私を呼んだら、舌を引き抜くわよ!」ふわふわが甲高い声で喚く。
「なら、そのふわふわした格好で、三十路前で、独り身でいることをやめろ」
「この格好は、店と雰囲気を合わせるためよ! それに、二十八ならまだまだ、全然、余裕で間に合うわ!」
「はいはい。ふわふわの、ふわふわな人生設計には大変恐れ入りましたよ」
俺は溜め息をつきながら、やれやれと首を振った。
「やっぱり、その小うるさい舌は、今すぐにでも引き抜いてやった方がいいみたいね……」
ふわふわは鬼気迫る表情で、ワンピースに付いた大きな前ポケットから、禍々しい形状の大型ペンチを取り出した。舌というより、下顎を引き抜けそうなペンチだ。俺が生命の危機を感じて、後退りを始めたその時、ふわふわは玄関に立つロカーシュの姿に気が付いてくれた。
「あ、あれ? ロカーシュも来てたの?」
「や、やあ、メリオアンテ」ロカーシュは気まずそうに愛想笑いをした。
「えっと、えーっと……、これは違うからね。ぜ、全然気にしないでね」
慌ててペンチをワンピースのポケットに戻すと、ふわふわは不自然に笑った。そして、恥ずかしそうに顔を伏せ、ペンチを離して手透きになった右手で、クリーム色の長い髪をくるくると弄り始める。
ふわふわはロカーシュに気がある。しかし、悲しいことにロカーシュ自身はその好意に気付いていない。こんなに分かりやすい人間は世界中を探しても、そうはいないと思うが、ロカーシュもそれと同じくらいに鈍感な人間なのだろう。
「そ、それで、今日は何をしに来たの?」ふわふわが嬉しそうに尋ねる。
「人形について、君に聞きに来たんだ。仕事の一環でね」
「……やっぱりね。そうだろうと思った。ロカーシュがここに来る時は、大体仕事絡みだから……」ふわふわは寂しげに笑いながら言った。
面倒臭い物言いをする女だ。遠回しに何を言っても、ロカーシュには届かないぞ。それとも、わざとそうしているのか? しかし、俺にとって大切なことは、こいつらのメロドラマを応援することではなく、一刻も早く怠惰な豪邸生活に戻ることだ。
そのためにも、さっさと本題に入らせてもらう。
「今、店の外にいるおっさん所有の人形が月が出ている日の夜に、動き出すらしい。ふわふわなら何か知ってるだろ?」
「その呼び方やめなさいよ。……その人形、月夜にだけ動き出すというのなら、きっと『月の呪い』を宿していると思う。以前も、似たような人形を見たことがあるわ」
「月の呪い……。やはりそうか」ロカーシュはふわふわの導き出した答えに頷き、一人勝手に納得し始める。
「よく分からん。説明しろ、ロカーシュ」
俺が求めると、ロカーシュは物凄く嬉しそうに喋り始めた。
「いいだろう。少し長くなるが説明してやる。まず、この話の核心を語る前に話さなくてはならないことがいくつかある。それは――」
▽
――馬鹿みたいに冗長で無駄な話が延々と続いたので、ロカーシュの語った説明は省略する。我が義兄はやはり『話すこと』が得意らしい。聞き手のことを考えず、『一方的に話すこと』が。
これ以降、こいつに専門的な分野の話題を振ることはしないと、俺は心に決めた。