ep.1-3
今、この世界を牛耳っているのは、カルメリア連合国とアシュロウ公国という二つの大国だ。
俺も詳しいことは知らないが、この二国の間には解消し難い因縁の歴史が存在するらしく、その対立の影響は世界各地に及んでいた。
二つの大国は常に競争に飢えていて、国家の独立、民族や宗教に関わるいざこざなど、戦の火種を見つける度に、軍事援助と称して大量の武器を互いに送り合い、戦争へと発展させていた。
たちの悪いことに、両国とも自分達の撒いた戦争には直接関わろうとしない。自分が味方についた勢力に、敵を殺すための武器をくれてやるだけなのだ。最早、大国同士が作り上げる戦争は最新兵器を試すための実験場である。
俺の生まれた国シュウカも、この二国によって、国内の民族間対立を利用され、戦場と化した。大国の後ろ盾を得た勢力同士のぶつかり合いは凄まじい戦火を灯す。シュウカの地は一瞬の内にして焼け野原と化したが、戦いの燻りはそれでも収まらず、国民の半数が死に絶える頃にようやく戦争は終わった。
終戦後、シュウカに残っていた物は、不要となった武器と大量の死体だけだった。
しかし、シュウカの支配者たる大僧正達にとっては、この戦いの始まりから終わりまで、何もかもが計画通りだったのであろう。
まあ、今はそんな話はどうでもいい。それよりも、これから会いに行く爺さんの話だ。
俺とロカーシュの義父である『バーティーン・フェクタフィオン』は、世界を舞台に争い合う二大大国の内の一つ、カルメリアの軍隊で兵士をやっていた。
汎ゆる武器と乗り物を扱うことができるベテランの兵士だったと聞いているが、還暦となった今の爺さんに、その面影は欠片も無い。いつも煙草をふかしているだけの、そこらにいる老人となんら変わりはないのだ。
ただ、ガタイだけはこの家にように、無駄にでかい。
爺さんはカルメリア軍を退役してから、俺もよく知る、ある人物からの薦めで、このプロミナに移住し、国籍を変え貿易会社を起業した。
そして、爺さんの秘めたる商才の賜物か、会社は凄まじい勢いで成長し、今では世界に名だたる大企業の一つとなった。
この無駄にでかい豪邸が建っているのは、爺さんの事業が大成功したおかげと言える。
今はもう、会社の経営も後継者に任せてあり、爺さんはこの家で隠居生活をしている。そして、俺達に黒点教会の面倒な仕事を押し付ける日々を過ごしているのだ。
▽
ロカーシュが金色の装飾が散りばめられた豪勢な扉をノックすると、バーティーンの爺さんの重みのある声が返ってきた。
「入れ」
俺達は爺さんの声に従い、扉を静かに開けて部屋の中に入った。
爺さんの部屋は相変わらず煙草臭い部屋だった。
煙草だけならまだしも、爺さんが趣味で収集した古本がそこら中に置かれていて、そいつらがカビの臭いを撒き散らしている。
多分だが、フェクタフィオンの敷地の中で、この部屋は下水道の次くらいに臭い場所だ。
俺はこの、下水道の次くらいに臭い部屋の空気をできるだけ体内に取り込まないよう鼻をつまみながら、爺さんの佇んでいる方を伺った。
爺さんは部屋の扉に対して真正面に置かれたデスクから、ブルーの瞳で俺達のことを鋭く睨んでいた。
薄く皺が刻まれた手のひらの上には一冊の本が開かれている。どうやら、ご趣味の読書中だったらしい。
「どうした?」と爺さんが低い声で尋ねてきたので、俺は鼻をつまんだまま、「仕事の報告に来た」と言った。
その直後だ。
部屋に入って開口一番、ロカーシュは最低な裏切りを意味する、最悪な言葉を爺さんに向けて放った。
「はいはーい! 爺さん、聞いて下さい。シャウがまた仕事をサボりました~!」
教師の問いに答えようとする生徒のように、ロカーシュは右手を何度も突き上げながら喚いた。
「は?」ロカーシュの突然の裏切りに俺は間の抜けた声を上げてしまう。
ロカーシュは勝ち誇った表情で唖然とする俺の顔を見ていた。ドブより汚い笑顔で俺の事を嘲っている。
「お前、さっき『了解』って言っただろ! 裏切りやがって!」
「『了解』って言葉はなぁ、『わかりました』って、相手の言葉を理解した時に使う言葉だ。俺はお前の提案について理解はしたが、従う気は全く無い!」
クソっ! 下らない屁理屈をこねやがって。
「またか……」バーティーンの爺さんは額に手を当て、溜め息を吐いた。
「シャウ。お前は私の与える罰が余程気に入っているらしいな」
「そんなわけあるか!」俺は切れた。
「なら、何故仕事をしない?」
「面倒だからに決まってるだろ! 大体、始まりの獣の餌なんて、ロカーシュか、あの汗女の呪いを喰わせればいいだろ! なんで、わざわざ面倒なことをやらせて、休日にまで働かなきゃならねーんだよ!」
まくしたてる俺を見て、爺さんは呆れ果てたように、また溜め息を吐いた。そして、俺を諭すように静かに語り始める。
「シャウ。このフェクタフィオン邸が存在できているのは、この街の人々の協力があったからこそなのだ。私が会社を起業した時も、彼らは快く私の力となってくれた。私はその恩返しをしたい。だが、私の身体は老いさらばえ、できることは少ない。そこで、この家の恩恵に預かっているお前達に、街の人々への恩返しをやってもらっているのだ」
爺さんのこの言葉は、耳が腐るほど聞いている。もうこれ以上聞かされたら、耳の穴からウジが湧いてきそうだ。
「そんなに義理や人情に身を捧げたいなら、あんたの財産を街の奴らにばら撒けばいいだろ!」
「そうか。ならば、明日早速やってやろう」
それは困る。俺はまだ純金のスプーンでキャビアを食べていたい。チーズと一緒に食べると大変うまいのだ。
「やっばりやめろ!」
「なら、仕事をしろ」
「嫌だ!」
爺さんは途方に暮れた表情で、ロカーシュに向かって尋ねた。
「ロカーシュ。お前はリオヴェットが我儘を言って、ちっとも言うことを聞かない時、どうしていた?」
「うちの娘は我儘なんて言いません。完璧です。最高です」ロカーシュは胸を張りながら言った。
「そうか……。とても参考になった……」爺さんは黒髪が少しだけ残った白髪頭を抱えながら言った。
また、ロカーシュとリオヴェットの話題か。先程、この面倒な関係性について考えまいと、脳裏に刷り込んでやった筈だが、やはり己の心という奴はそう簡単には変えることができないらしい。
結局俺の頭は、否が応でも考えてしまう。
▽
もし仮に、今までの情報がすべて真実だとする。こんなことを考えている時点で何もかもがおかしいとは思うが、取り敢えず仮定してみよう。
リオヴェット(二十歳)がロカーシュ(二十八歳)の娘だとして、爺さん(六十一歳)の姪であるとするならば、爺さん(六十一歳)とロカーシュ(二十八歳)が兄弟ということになる。しかし、年齢差は三十三歳。その年齢差の兄弟を、母親が一人でやってのけたとしたら、その女は『スーパーマザー』だ。銅像を建ててやりたい。
いや、父親が再婚して、母親は別々。もしくは、再婚相手の連れ子という可能性もある。そうなれば、ロカーシュは爺さんの義弟となる。プロミナの法律で義弟を養子にできるかは分からないが。
もし、それができるならだ。
ロカーシュは俺の義兄で、爺さんの元義弟になる。じゃあ俺は、ロカーシュにとっては現義弟で元甥となり、爺さんにとっては現養子で元義弟となるのか? なんだそれは? というか、元甥とか元義弟ってなんだ? 俺以外の人間にとっての『俺』とは一体なんなのだ?
全くもって理解不能。
シャウ・フェクタフィオン、十七歳の春。『俺』は『俺』が何者なのか分かりません。