私達の嗜好品
「逃げるなァっ!!」
大人しい子程キレたら怖い。
ポリバケツが空から襲いかかり、看板が地面に突き刺さる。
無数の無機物が流星雨の如く降り注ぐ中を、私と来世が逃走する。
もちろん私は襟首掴んだ近藤礼治を連れたままだ。
まさかラボやグレネーダーに追われる以外で追われることになるとは思わなかった。
しかも私が悪いわけじゃなくこの男のせいなのである。
落ち着いてからいろいろ聞きたいことはあるものの、追われている現状ではさすがにキツい。
自動販売機が空から急襲して来たので来世の首根っこも掴んで舌をつかって電柱巻き付け一気に加速。
うぐっ、流石に三人分の体重は無理だった。
舌がちぎれるかと思う程の負荷である。
「っ、どこに!?」
追い付いて来た亜梨亜から身を隠すように屋根に隠れる。
への字がたの屋根だったので、身を隠せたのだ。
頭だけ出して相手の動きを見定める。
周囲を見回していた亜梨亜は遅れてなるか、と走りだして行く。
よし、しばらくは時間を稼げそうだ。
この辺りだと……海側に逃げるよりは山に身を隠した方がいいか。
いや、だからこそ海側、だな。
多分直ぐに考えついた亜梨亜がおこぼれ山に登ると思われる。
そういう理由で私達は一先ず海岸へとやってきた。
ここなら近くにゴミとなっている無機物も見当たらないので問題は無い筈だ。
ザザァンと波打つ岸辺に近藤を投げ捨てる。
うげっと尻持ち付いた彼は、亜梨亜から逃げられたと気付いてふぅっと息を吐く。
「垢嘗の妖なんだっけ?」
「あ、ああ。もう何百年も生きてる」
伸びてしまった襟首を直しながら近藤は応える。
バレてしまった以上隠しだてする気は無いようだ。
「昔はさ、近くの銭湯の掃除アルバイトで欲を発散してたんだ。十年前くらいに営業不振で潰れたけどね。そこからはなんとか我慢して、無理そうになったら適当な家の風呂を舐めにいってたんだよ。ここいらは窓開けたままで不用心な奴多いし、俺が嘗めたあとは風呂場が物凄く綺麗になってるって喜んでたしさ、昨日だっていつもと同じだったんだ。まさか戻って来るとか思ってなかったし30年モノの垢塗れな風呂場だぞ?」
「なんでいままで放置してたの?」
「近場だからだよ、疑われたりしないように遠くの場所を重点的にやってたんだ。ようやく誕生日だしメインディッシュで飾ろうって思って、失敗した」
うん、まぁ、馬鹿なのは分かった。
ドロボー的考えではあるけど、気持ちは分かってしまうんだよなぁ。同じ妖能力持ってるせいで。
とりあえず、まずは亜梨亜を何とかしないといけない訳だが……さてどうしよう?
こいつは確かに悪い。
しかし垢嘗めに垢まみれの浴室を開かれた状態で放置するのは逆に罪だ。
多分私だって嘗めに行ってる。
私達の身体はそんな汚そうな場所を舐めでも問題無い体になってるし、個人の欲を発散するためなら充分過ぎるのだ。ぜひともその個室嘗めた……じゃなかった。
とりあえず、亜梨亜を落ち付けて皆の前で仲直りさせるしかないか。
あと出来ればその風呂場、テイスティングさせてほしい。
「有伽、涎、涎出てるよ」
「おっと失礼」
「やっぱり、梨高さんも分かるよな! たぶんだけど同族だろ」
「同族じゃないわ。私は妖使いなだけ、妖じゃない」
「……あ、そっか」
明らかに落胆する近藤。
「でも妖仲間だったら葛之葉がいるし問題無くない?」
「え? 葛之葉ってあのくーちゃんって言われてる人か? あれ妖だったのか!?」
今知ったのかよ?
「しかし、あの風呂場は凄かったなぁ。殆ど味わえなかったけど、至高の味だった」
まるで高級料理を食べたようにうっとりと告げる近藤。畜生、なんか私も本当に味わいたくなってきた。
どんだけ汚い風呂場なんだよ。
「そんなにすごいの?」
「ああ、天井には黒カビが群れて胞子放出しまくってるし、壁はタイル同士を繋ぐ場所に赤かびの群れ、無数に飛び散った洗剤と垢のコラボレーション。マットは長年洗ってないせいで黴だらけの垢だらけの至高の名品。シャワーには手垢がこびり付き、桶は汚れに汚れて元の色を無くし、浴槽には沈殿した垢と汚れのワルツ。湯を張るごとに剥がれた垢たちが湯船に浮かぶ浮沈のヘドロ」
ゴクリ。思わず喉が鳴る。
普通は絶対に引く程の汚い風呂なのだろうけど、私達垢嘗めにとっては満漢全席と言っても過言じゃない。くぅ、欲望が暴走しそうだ。
意識失ってた間は発散してなかったし、最近はちょこちょこ隙を見て風呂の時土筆の背中をぺろーんと舐めてたからそこまで暴走は無かったけど。
根唯が一緒に居るから欲望発散はなかなか面倒になってるんだ。
これはぜひとも亜梨亜を説得していただくしか……って落ち付け、それはただの変態にしか思われない。ここは涙を飲んで諦めるしかない。
こいつにも諦めて貰おう。




