壊れた少女
喧騒に塗れた教室に、一人の少女がいた。
誰とも会話せず、ただひたすらに窓辺の席で外を見続ける少女。
赤い髪は肩元にかかり、空を映す瞳は、もはや何を考えているのかワタシにもわからない。
木造の教室で、変わらぬ日常に紛れ、壊れた少女は空気のように背景に溶け込んでいた。
今だ残暑厳しい九月の初め。
汗だくのブラウスが透けると文句を告げる少女たちの中で、彼女だけは汗すらかかないようにただただ一点を見つめて動かない。
もう仲間の居ない蝉の声が聞こえる。たった一人、死ぬまで鳴き続ける哀しきオス蝉の嘆きの声。まるで、彼女の今のように思えるのはワタシだけでしょうか?
「有高さん、昼食行こうか」
不意に、声がかかり、少女はそちらに振り向く。ゆったりとした動作には人間味がなくて、何処か機械的な動きに見えた。
少年がいた。
丸米とでも言えばいいのだろうか? 五輪刈りの少年は柔和な笑みを浮かべていた。
少女は返事なく立ち上がる。ゆっくりと、カタツムリが這うような動作で動き出す。
所要時間は五分ほど。
その間少年は何も言わずに待っていた。
「根唯、お前も来るだろ? 皆も向かい始めてるぞ」
「ちょっと待ってっべ。今日日直だから黒板消さないかんべな」
不思議な言葉遣いをする少女が黒板を消していた。
そばかすまみれの彼女は慌てるように急いで黒板を綺麗にしながら、少年と少女の動向をちらちらと見ていた。
置いて行かれないかと心配でたまらないらしい。
「雄也、先に行ったら怒るからな、絶対だべ。絶対先に行ったらあかんべよ」
「わかってるよ」
雄也と呼ばれた少年が答えるが、有高と名乗る少女が教室から出るまではまだまだ時間があるようだった。
さて、先にここで自己紹介をしておこう。ワタシの名前はヒルコ。【蛭子神】という妖使いであり、この能力で、有高と呼ばれた少女に寄生している無形生物。一応人間だよ?
元々は人間だったんだけど、【蛭子神】の能力によって身体を自由に変化することが出来るようになった。
ある研究機関で妖能力を移植されたのだけど、隙を見て逃げ出した。
それで、妖反応を沢山持っている高梨有伽という人物に寄生することで逃走生活に一応の安定を得ているのが現在である。
え? 寄生している人間の名前が違う?
いえいえ、一緒ですよ。
この高梨有伽も、今では既に逃走者だ。
身を隠す意味で名前を変えただけ。
ちなみにワタシが考えたのよこの名前。
名字と名前を少し弄って有高梨伽。名案でしょ?
逃走の際、飛行機が墜落して流れ着いた島で、ワタシたちは名前を変えて生活することにしたのである。
というのも、飛行機墜落によって、有伽の記憶が、その、どうもなくなっちゃったみたい。
ワタシが語りかけても何の反応も無いし、今のところ妖能力も全く使う気配はない。
身体についても彼女が動かすことは無く、寄生中のワタシが全身を覆って動かしてるにすぎない。
無理矢理動かしているので多少動きが鈍いけど、まぁ、誰も何も言わないからなんとか過ごせている。
飛行機事故から、すでに一週間。今のところラボからもグレネーダーからも刺客はやってきていない。
この一週間、ワタシたちは赤峰根唯と近衛雄也の住む家に居候している。
別に彼らが一緒に住みたくて住んでるわけではないけれど、雄也の妖が【迷い家】という妖能力らしく、その能力で造られた家に住まわせてもらっているのだ。
妖能力については……まぁいいか。説明めんどいしはしょっちゃうね。要するに超能力みたいなもの使える人種とでも思っといてよ。
妖使いは妖能力を使うことはできる。けどその代わりに欲望も一緒に増大してしまう。
高梨有伽であれば元の妖は【垢嘗】なので垢を舐めたいという欲望が一生付いて回る。
ワタシ、ヒルコの場合は『たまにどろっどろに溶けてしまいたくなる』だろうか? 全身をとろけさせてぐでーっとしときたいなぁ~って時、たまにあるよね?
今までは有伽の身体から剥がれるようにぐでーっとトロけていたんだよ。有伽が寝てるベッドの上で有伽から離れないように気を付けてね。
でも最近は気を抜けないので欲望も抑え気味。
近所の、と言っても1kmは離れた場所にあるコンビニにいけば、妖欲抑制剤なんてのもあるので、これを摂取して今は耐え忍んでいる。
なかなか面倒なんだよ欲望って。耐え過ぎるともう理性吹っ飛ぶし。
抑制剤は効いてるうちはいいんだけど、使用し過ぎると効きづらくなったりするし使用中でも欲望抑えられなくなったりするからあまり多用すべきじゃないんだけどね。
「はー、やっぱ食事は自宅だよなぁ」
雄也が嬉しげに呟く。
今居るのは【迷い家】の内部。校庭の一角にわざわざ妖能力で自宅というか【迷い家】を召喚して昼食を食べているのだ。
昼休憩はいっつもこうやって【迷い家】に招待されている。
クラスメイト25名の殆どがここに入って昼食をしているのだ。
と、いうのもこの中では勝手に食事が作られてテーブルに並んでいるので食事を用意して来たりする意味が無いのが嬉しい。
そういう理由で食事を作る手間を惜しんだ結果、皆で食卓を囲むという和気藹藹とした食事風景が日課になっていたのだった。