もう、戻らない
「うぅ……」
不意に、彼は目を覚ました。
頭がまだ揺れている気がする。
「ここ、は?」
「雄也ッ」
目を開いた瞬間、何かが覆いかぶさってきた。
顔に掛かった髪に、鼻孔をくすぐる甘い匂い。
どこか懐かしく、落ち付く何かだ。
だんだんと意識がはっきりして来る。
そしてある段階ではっと頭が回りだす。
慌てて起き上がった。
「高梨さんはっ」
がばりと起き上がった雄也は、白い壁と区切られたカーテンを目にする。
どこだ、ここ? と周囲を見回せば、身体に違和感。
真下を見れば、自身に抱きついた状態の根唯がいた。
「根唯?」
「よがっだ……よがっだぁ」
名前を呼ばれ、少女が顔を向ける。
涙に鼻水、見れた顔ではなかったが、心配で心配で涙が止まらない彼女に心配されていたのと気付くと、気付いた時には彼女の頭を撫でていた。
「何が、あったんだ? 俺、急に……」
「雄也君気付いたの?」
「おお、近衛気付いたか!」
「……皆?」
カーテンで遮られていて見えなかったが周りに皆が居たらしい。
カーテンが開かれ、隣が露わになる。
無数の人がそこに居て、ベッドには亜梨亜が眠っていた。
「俺、倒れてた? 亜梨亜さんも?」
「順を追って話すよ。お前達が迷い家に逃げた後、屋鳴りっていう妖使いに襲撃されたんだ」
和馬が代表して告げる。
雄也は自分の迷い家に対する特攻持ち妖使いに襲撃されたことを知った。
「その後ケセランパサランっていう幸運の妖使いが赤峰さんと対峙して、他にも燭陰と荒魂が襲って来たから高梨さんを逃した」
「皆で手分けして手伝いに行ったんだけど、亜梨亜ちゃんが屋鳴り相手に負けちゃって、その……」
「財前君が、根唯を庇って、死んじゃった……」
「死ん……だ?」
これまでも、クラスメイト内で死んだ奴はいた。
屋良美織、東華踏歌、篠原哲司、芦田興輝。
美織は踏歌のせいでいつの間にか殺され、踏歌と興輝は敵だったから殺した。
哲司については不慮の事故だ。だからそこまで罪悪感も無力感もない。
だが、財前博次は違う。
根唯を庇って死んだのだ。
死ななければ救えなかった。
それはつまり、鉄壁だと思っていた自分の家も、根唯の幸運も突破されてしまったと言うことに他ならない。
「じゃあ、高梨さんは?」
「居なくなった。どこにいるかは……分からない」
本来なら戻ってくる筈の家が無くなってしまった。
幸運により不幸な敵の攻撃が来るのを防いでいた筈が、意味を成さなくなった。
ゆえに、彼女は見切りを付けた。
もともとそういう契約だったから。
自分たちが引き留めたのだ。
自分たちが絶対に守り切るからと必死に止めた。
なのに、破られた。
「うそ……だろ?」
致命的なのはその失敗で死者がでたという事実だ。
博次が自分たちの代わりに死んでしまった。
自分たちの失態を尻拭いするために逝ってしまった。
「くそっ」
思わず拳を振り下ろす。
自分の太ももに衝撃が来た。
地味に痛かった。
「雄也……」
弱過ぎたのだ。
鉄壁だと思って楽観視していた。
根唯の幸運があるからラボとかいうのが攻めて来たって全く問題ないって、警戒すら殆どしていなかった。
自分の弱点を調べていれば、対処できていたかもしれないのに。
「それと……葛之葉さんが居なくなった」
「葛之葉さんが?」
「ああ。もともとどこからともなくやってきた人だから仕方ないのは仕方無いんだけど、あの人も何かあったんだろうか? 死んでたり、しないよな?」
「それは……分からない。でも、このままじゃ、ダメだ」
皆それは分かっていた。
だが、燭陰を見てしまった後では何も言えない。
皆が無力だったのだ。
ただ空を見上げ。醜悪な龍が優雅に泳ぎ、神威を示す様をただただ見つめるしかできなかったのだ。
太刀打ちしようなどという考えすら浮かばなかった。
高梨有伽以外は。
彼女は黴を使い、倒してしまったのだ。
ゆえに、彼らは誰も動けなかった。
行かないで。等と言える存在はいなかったのだ。
だから、どこかへと去っていく有伽を止めることなど出来なかった。
楠葉ですらも、ただただ呆然と、彼女の姿が見えなくなるのを見守るしか出来なかったのだから。
「……探そう」
「雄也?」
「このままでいいのかよ。皆、このまま終わっていいのかよ? 蚊帳の外にされて、いいのかよっ。俺は、嫌だ。確かに、力がないよ。助けられる力がないんだ。俺たちは。でも、それでも……」
沈痛な思いが圧し掛かる。
誰も何も言えなかった。
言えるわけがなかった。
確かに、自分たちにもっと力があれば。博次が死ぬことはなかったかもしれない。
有伽が逃げる必要は無かったかもしれない。
でも……力が、無さ過ぎた。
「帰ってくれ……」
力無く、雄也は言葉を零す。一人、また一人、無言のまま病室を出て行く。
自身の無力を初めて認識してしまった。
あの家さえあれば。いざとなれば異世界に潜れるから大丈夫だって。
慢心だったのだ。だから、天然で居られた。
皆が帰ってしまった病室は酷く物悲しい。
ベッドで上半身を起こしたままの雄也と、その両手を集め、ぎゅっと握り続ける根唯。
沈黙したままに、二人は静かに涙する。
力がなかったばかりに、手から零れてしまった大切なモノを悲しんで――