ソレが生まれる
産声が上がった。
人には到底理解できない声だった。
一声だけで意識を持って行かれそうになる。
ヒルコが耳を塞いでくれなければその場で気絶してたかもしれない。
現に、翼は声を聞いた瞬間白目を剥いて気絶してしまった。
宿主が気絶ってダメだろ。
というか、なんだ、アレ?
ソレの名は燭陰。
つり上げられた深海魚のように巨大な目が飛び出て見える。男とも女とも付かない人の顔を持ち、鱗で覆われた長く長くさらに長い体躯は蛇のよう。
手足は見えず、直目正乗の赤い体躯を持つ龍神だった。
天に上り、たゆたうように空を泳ぎ、奇怪な声を上げ続ける。
あれはもう妖使いとかそんな部類じゃない。妖だ。
アレこそが人知の及ばぬ妖なる存在だ。
人造なのか、それとも昔からいた燭陰をなんとか封じて腕にしていたのかはわからない、でも、解き放たれたアレは人ではどうにもならないバケモノだ。
遠くからでも天候を操り、吐息で吹き飛ばし、あらゆる攻撃を受け付けない。
接近しようにも体躯は熱を持ち、生半可な攻撃では消し炭にされるだけだ。
私の武器で闘いになりそうなのは? 紫鏡のナイフくらいか。
あとは土筆の狙撃に任せるくらいしか方法が無い。
近接ならば、黴で仕留めることができるかもしれないが、さて、どうしたものか。
地上に居るならともかく空を自由に動くとなるとこちらも打つ手がないんだよ。
とりあえず翼はこのまま放置しといたら死ぬだろう……翼が、死ぬ、か。
直ぐ近くで成り行きを見守っていた裸螺とノウマがやって来て気絶した翼を回収して行く。
まぁ、そうだと思ったよ。
翼は放置しといても問題無いらしい。くそ、少しセンチメンタルな気持ちで翼との昔を思い出しそうになったじゃないか。私の純情を返せ。
ただ、裸螺が残ってこちらにやってくる。
「アレ、一応室長に連絡したら直ぐ来るって言ってた」
「室長? ああ、うわんか」
「もうちょっと待ってて。アレはさすがにラボも看過できないから、三班が動くと思う」
三班? って確か来世の班だっけ?
一班が実行、二班が情報収集、三班は特殊。一班では手に負えない危険な存在相手に闘える奴らの集まりだとか。
おいおい、結局この島に集結すんのかよ。
これは本当にこの島からの脱出考えないといけないな。
とはいえ、今は燭陰を何とかしないとヤバいか。
これ、どうなんだ?
折角だしこの混乱を利用して逃げるか?
あ……
私が本土逃走を本気で考えていた時だった。
空高く黒い影のような巨体がせり上がる。
鋒鋩先輩の大坊主だ。
どうやら異常事態を見て倒すことにしたらしい。
だが、大坊主は物理攻撃しか出来ない巨大なだけの存在だ。
案の定、燭陰という名の巨大な龍を捕まえた瞬間燃え上がって消え去った。
ならば、と空を水虎が駆けて行く。
暴走状態は荒川が居なくなった御蔭で解かれたようだ。
残念なのは水虎程度では神と呼ばれる龍を相手に役不足過ぎることだろう。
竜虎相討つとは言ったモノの、水の虎は相撃てる程の実力なく、風に吹き散らされていた。
うん、他に闘えそうな奴いないし、これ詰んでるんじゃないか?
空に浮かぶバケモノ相手にどう闘えってんだ。私がどうこう出来る状況じゃないぞ?
「高梨さんっ無事か!」
「おぉう、川北。雄也は無事そう?」
「ああ、なんとかなりそうだ。でも、あんなのがいるんじゃ助からないかもしれないぞ」
確かに、腕に押し込められていた燭陰は全長数十メートルの長さに巨大化している。
しかも空を悠々泳ぎ、空を曇天に、雷鳴らし、まさに世紀末の様相へと天候を操っている。
「まるで巨大な竜宮の使いみたいだな」
「釣り上げたら嵐が来るって?」
「既に嵐来まくってるけどな」
私と川北は口を開けて空を見上げる。
もうどうしようもない存在ってのは抗う気がなくなるってのは本当らしい。
どうせ誰かがやるだろ、とどうでもいい事を思いながらどこに逃げようかとぼんやり思っていた。
「ここにいたか」
また一人やってきた。
黒いスーツにサングラス。シークレットサービスにしか見えない男。
「げ、うわん」
「本来は敵対している我々だが、流石にアレを前にしては協力せねばなるまい」
「チッ。協力も何もあんたたちが持ち込んだんでしょうが。他人に尻ぬぐいとかさせないでくれない?」
「そう言うだろうと思って九十九君を呼ばせて貰った。近くを飛んでいたから直ぐに来るそうだ」
九十九? 直ぐに来る? っていか、近くを飛んでいた?
そんな疑問を覚えた瞬間だった。
「にゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああああああああああああ――――っ!?」
上空から悲鳴が聞こえた。
なんだ? と思って見上げた先に、涙や鼻水あらゆる液体垂れ流しながらパラ無しスカイダイビングで落下して来たネコミミ娘が私に激突した。
うん。いつもの如く、熱烈なキッスで受け止めたよ。……ざけんなちくしょう。