足音が聞こえる
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共に、この場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
ねえねえ、あなたと駅へ向かう時、いつもこの道を通るけど、もしかして気に入っているの? いや、たまには別ルートを通るのも面白いんじゃないかな〜っと思って。
――実験は時間に余裕がある時にやれ?
いや、確かに正論ではあるんだけどね。こう、マンネリ化に不安を抱くっていうか?
あなたが今朝、家を出てからどの道を歩いて、どこのコンビニであれを買って、ここの信号待ちをするのか、手に取るように分かる……と言われたら、どうよ? 危険な香りがしない?
私、しょっちゅう帰る道を変えているんだ。ストーカー対策も兼ねて。いつもと同じ道を使っていたら、待ち伏せされる恐れがあるんじゃないか、とかね。男っていよいよ切羽詰まったら、見境がなくなるもんじゃない? 油断できないわよ。
あと最近、友達からも「通り道」について、ちょっと気になる昔話を聞いたのもある。
あなたも聞いておかない? どこかで役に立つかもよ。
友達が小学生の時のこと。彼女は全児童の中でも、学校から家までの道のりが、一番遠かったみたい。道の選択肢はたくさんあったけど、寄り道にはまだ興味がなかった年頃で、家への最短ルートを使っていたみたいね。
地図上の直線に沿って進んだ場合、途中で住宅の並びにぶつかり、遠回りを強いられる。でもわずかに横へ逸れると、某企業の社員たちが車を停めている駐車場があるの。
ざっと見ただけでも、普通車が70から80台ほどは入ってしまうほどの、広大なスペース。学校の運動場と同じ、未舗装で土と砂利を敷かれたそこは、挟む道路のどちら側にも出入り口が設けられていて、通り抜けは簡単にできた。
家までの最短ルートが、そこを突っ切ること。どちらの出入り口も開放されているけど、脇の看板にはご丁寧に「※社員、関係者以外の通り抜け禁止」の文言が。
――見とがめられない限り、どんな違反も違反じゃないわ。
思い切って友達は足を踏み入れると、そのまま小走りで駐車場を横断。もう一方の出口から退散していったの。
確かめたところ、家に帰り着く時間は、これまでの遠回りルートより大幅に短縮されている。「これはいい道を見つけた」と、友達はほくそ笑んでいたみたい。
けれど、ある日。夕飯を作っている母親に突っ込まれてしまったみたい。「最近、帰ってくる時間が早いわね」と。
でも彼女は、顔色を変えない。
「ちょっと走るようにしているから」
大丈夫。ウソは言っていない。母親は「ふーん」と鼻を鳴らした後、ゆでていたほうれん草の火を止めると、一株ずつ箸で掴んでゆすりつつ、ざるへあけていく。
「習慣になっているなら、別に止めやしないわ。でも、時にはペースを変えたりして、メリハリをつけた方がいいわよ。ワンパターンなものはね、何かと『読まれやすい』から」
暗に、駐車場を通るのをやめろと言われている、と彼女は感じたみたいね。ならば、退くのも何か悔しいと、彼女へ意地を張りたくなったとか。
今まで以上に周囲を警戒しつつも、引き続き駐車場を通り抜けることにした彼女。安全を確かめつつ、いつものように小走りで駐車場を走り抜けようとしたそうよ。
中ほどまで来た時「じゃり」と小石を踏みしめる音が、すぐ後ろから聞こえたの。
振り返った。けれどもそこには誰もいない。ただ、入り口からつけ続けてきた己の足跡が一筋、ここまで追ってきているのみ。
聞き間違いかと思って、向き直って数歩進むと、また「じゃり」。そしてやはり、背後は無人。
――どこかに隠れている人がいる。
彼女は停まっている車たちの影を調べ出したわ。けれど三台ほど見たところで、自分がやってきた方向から、スーツ姿の男性たちがまとまって駐車場へ入ってくる気配を見せたの。
注意されることを恐れて、彼女はその場は諦めたとか。
以降、彼女が駐車場へ足を踏み入れると、必ずといっていいほど、自分を追いかけるような足音が響くようになったわ。
されど音の主と思わしき影は、またも見えず。捜索をかわされて、あまり良い気分はしてこない。
試しに道を変えてみた彼女。以前使っていた、車通りの多い道路に面した下校ルート。駐車場を通るより倍近い時間がかかるけど、彼女の関心は音にあったわ。
けれども、相手はなかなか慎重だったらしく、家に帰り着くまであの足音らしき気配を感じさせなかったの。
何度か試してみた結果、やはりあの駐車場をひとりで横切る時でないと、後を追う気配はしないみたいだった。もう少し年がいっていれば、避けるところだったでしょうけど、当時の彼女としては、蛮勇が勝ったわ。
自分がここを通ることを知っている存在。何とか突き止めて、黙らせないといけない。
そう強く思ったとか。
すでに駐車場を横切るルートを使い始めて、二ヵ月。彼女はその日も様子をうかがっていたわ。
いつものように鎮座している車たち。その中の、青くて真新しいボディを持つセダンから、同じく青い色のスーツに身を包んだご老人が一人出てくる。杖を突きながら、友達がいるのとは反対方向、友達にとってのゴール地点へ歩いて行った。
いつもなら、このご老人がいなくなるのを待つところだったけど、友達はすぐさま足を踏み入れた。
――なーに、バレない程度に距離を取っていけば、大丈夫、大丈夫。
そろそろと、音を立てないように彼女は駐車場を進んでいく。
ほどなく、あの「じゃり」が来た。もうこの頃は、駐車場の中ほどに限らず、歩いた場所なら、どこでも音が立つようになっていたらしいわ。
やはり、後ろには誰もいない。すでに通り過ぎた数台の車の影にも。
「相変わらず、隠れるのがうまい」とぼやきながら彼女は向き直ったけど、思わず固まってしまったわ。
あの杖をついて歩いていたご老人が、足を止めてこちらを見ている。それはほんの二秒ほどのことで、すぐに正面を向いてくれたけど、彼女にとってはヒヤヒヤもの。
でも逃げるより先に、やらなくてはいけないことがある。あのご老人に、自分が駐車場へ入ったことを、黙っていてもらうよう頼み込まないと。
彼女はペースを上げて、ご老人との差を詰めていく。あの背後からの足音も、それに合わせて「じゃり、じゃり」と小気味よくついてきた。
音を聞きつけてか、またご老人が振り返る。すでに数歩進めば、駐車場を出てしまうところまで来ている。
「待ってください」と声を出しかけたところで、ご老人が駐車場の隅へ歩きながら、手招きしてくる。口止めしたい一心の彼女は、誘導に従うままご老人の後を追ったわ。
車と、ブロック塀と、茂ったススキに三方を囲まれて、身を隠すようにかがむご老人。彼女もそばへかがんだところで、先制の口火がご老人から切られた。
「君は、あの余計に聞こえる音に気が付いていたか?」
――やっぱり、この人にも聞こえていたんだ。
それなら話は早い。彼女はとっさに、あの音に追われていることと、そのために駐車場へ逃げ込んだことを不問にしてほしいと、半分ウソが混じった頼みごとをする。
ご老人は軽く鼻を鳴らした。蔑みとも了承とも取れ、彼女は判断に困ってしまったけど、やがて彼はかがんだ姿勢のまま、そっと車たちの影から出ていく動き。
「あれに追われて、というのはちとまずい言葉だったな。あいつらは未舗装の地面の上にしか現れない、珍しいものだ」
「ご存知だったのですか」
「同じ場所、同じ部分の土を、同じ靴が踏みしめ続けるとな、まれに現れる」
ご老人と同じように、かがんだ姿勢での移動を勧められる彼女。言われた通りにしたその足は、彼女が老人と合流する時に足を止めた一地点へ向かったの。
すると、またあの「じゃり、じゃり」という音。今度は彼女の背後からじゃなく、足跡をつけた例の一地点からだったそうよ。
足跡の上にかがんだ老人と、彼女が見たもの。それは靴底が刻んだ無数の溝にそって、黒い粒々がくっついている姿。粒々は、微妙に動いている。
それは、数えきれないほどの小さな虫らしきもの集まりだったの。溝と溝の間にあるわずかな山も、彼らにとっては壁同然。その仕切りを守るように、同じ溝に居る者同士で身を寄せ合っていたの。
「じゃり、じゃり」という音は、相変わらず足跡から響いてくる。それに合わせて、黒い虫らしきものたちが、身体と同じくらいの大きさの赤い羽を、一斉に広げたらしいの。
赤、黒、赤、黒……不規則に反転する、足跡の中の色。それが「赤」になる時、あの「じゃり」という音が出るらしいの。友達が足跡をつける時と、そっくりのあの音が。
「お嬢ちゃんの足跡は、彼らにとっては練習場に十分なスペース。それがほぼ定期的に、ここへ現れると分かれば、集まるのもたやすいことだ」
虫を見ることに苦手意識のある彼女が青ざめる横で、ご老人が話してくれる。
「未舗装の道が多い昔は、こいつらをも少し多く見かけたものだ。奴ら、この世界の音を学びに来ておるようでな。いずれはあらゆる音をその身に刻むじゃろう。一致団結してな。
くれぐれも邪魔をするなよ。もし、したりすると……」
老人が不意に足跡の上を、杖で叩いた。あっという間に足跡コンサート場は崩れて、算を乱して散り散りになる赤と黒の虫たち。
「逃げるぞ」とご老人は立ち上がりついでに、彼女の腕を引っ張った。
想像以上の膂力に引きずられながら彼女が見たのは、あの虫たちが霧かもやのように、黒い塊となって立ちのぼる姿。その一部は赤みを帯びていて、まるで目や口のように見えたとか。
「……と、まあ、このように彼らは威嚇をしてくるわけじゃ。気をつけねばいかんぞ」
駐車場を少し離れたところで、ご老人は彼女の手を放す。息を切らしっぱなしの彼女は、まだご老人に聞きたいことがあったけど、彼は「もういかないと、会議に遅れるでな。注意して帰れよ」と言い残して、また杖をつきながら去って行ってしまう。
彼らにこのまま学ばせ続けることに、不審感を拭えない彼女は、駐車場通り抜けをぱたりとやめてしまったそうよ。