親たち(1)
2 親たち
祐樹のお袋さんは、市役所に勤めている。8時半から5時までの気楽な仕事(?)で、近所の人たちの羨望の的だ。
祐樹のことは気にかけつつも、幼馴染の俺と一緒なら間違いはないだろうと、信頼してくれている。
祐樹のお袋さんにとって、俺は真面目で信用するに足る友だちだからだ。
祐樹によれば、真面目で親たちの信頼が厚いというのは、俺の唯一にして最大の取り柄だそうだ。
一体どうしてそういうことになってしまったのかよく分からないのだが、一つ言えるのは、俺があいつのお袋さんにお利口さんと思われるほど、あいつの口が上手いということだ。
あいつは、舌先三寸で俺をお利口さんだということにして、お利口さんと付き合う自分もお利口さんだと親に認識させてるってわけだ。
いうなら、自分をよく見せるための鏡として俺を美化しているのだ。
全く、大した男だ。
だから、高校に入って、息子がサイクリング同好会を立ち上げると聞いた時も、高価な自転車が必要になることに困惑しながらも、俺と一緒なら、それなりに有意義な活動になるだろうと、心配していないようだった。
まさか、二人して、犯罪すれすれ(というか、住居侵入罪という犯罪そのものだろう)のことをしているとは、思いもしないだろう。
気の小さい俺は、申し訳なさで身が縮む思いだった。
一方、俺のお袋は、ちょっと前まで、大手スーパーでレジ係のパートをしていた。
本人によれば、独身の時は信用金庫で働いていたという。
地場の信用金庫で、俺の出産を機に退職したらしい。しばらく専業主婦として子育てに専念していたが、俺が小学校に入ってから社会復帰してパートになった。
多分、俺と一日中顔を突き合わせているのに、飽きたのだろう。
でも、こっちだって、母親とはかくあるべきだという価値観に縛られて、自分のしたいこともできない、とストレスをためまくるあの人と付き合うのにうんざりしていたのだ。
あの人が俺の教育費を稼ぐという大義名分を掲げてパートに出ると聞いたとき、俺は万歳三唱で協力を申し出た。
もっとも、家計の足しにするというより、本人の小遣い稼ぎ、もしくは社会参加という面が強かったと思う。
いずれにしろ、四六時中あれをしろ、これをするなと、指図されなくなったので、ホッとしたのは確かだ。
お袋の勤めるスーパーは、お袋の母親、つまりおばあちゃんが中学のときにできたらしい。ウチの町じゃ初めての全国展開のスーパーで、チュウボウだったおばあちゃんは、ドーナッツやハンバーガーや甘味処のチェーン店が入っていることに感動したという。
それまで町にあった地場のスーパーにはそんな洒落たものがなかったからだ。
でも、普通、スーパーにドーナッツ屋やハンバーガーショップなんか期待するか?それって、どこか違うと思わないか。
だが、お袋によれば、当時のおばあちゃんは今ほど図太くなく、華奢で小柄な体形通り引っ込み思案で臆病な女子中学生だったというのだ。
おばあちゃんだって、生まれた時からおばあちゃんだったわけじゃなく、可憐な少女だった時期もあったってことだ。
おばあちゃんの言うところによれば、彼女の青春は、ドーナッツやハンバーガーや甘味処のソフトクリームとともにあったという。
何て寂しい青春だろう。寂しいというより、虚しささえ覚える。もっと他になかったのか、と突っ込みたい気分だ。
ただ、その程度が彼女にとっては青春万歳って感じだったようで、よくぞ、あのスーパーが我が町に来てくれたって気分だったらしい。
まあ、俺たちだって、あそこのフードコートでドーナッツ食べたり、ハンバーガー買って公園や道端で食べたりする。
昔も今も子供のやることは同じだってことだ。
あのスーパーとおばあちゃんの関係で、特筆すべき事件がある。
あそこに勤め始めた頃、お袋が口を滑らしたのだ。俺がやったら絶対にケチョンケチョンに怒られるだろうが、やったのが自分の親だから、笑い話で済ませていた。
「あのね。あのスーパーって、おばあちゃんが中学のときにオープンしたの。
でね、どんなところかなって、友だちと一緒に出掛けたらしいの。
まあ、中学校の頃のおばあちゃんは、純真で好奇心に満ちあふれた可愛い少女だったわけよ。 私と、そっくりの」
あの人が純真で可愛い少女だったって?
今では、シワに埋もれているけど。まあ、話半分で聞いておこう。
それにしても、自分のこと、純真で好奇心に満ちあふれた可愛い少女だったって言うか、普通?
「それが、どうしたって?
母さん、おばあちゃんにそっくりだ。何にでもクビ突っ込みたがる」
「でね、行ってみたら、ものすごく広かったのね。それまで町にあったお店とは比較できないくらい広くて、いろんな物を売ってたわけよ」
「当然だろ?スーパーなんだから」
「でもって、その頃のおばあちゃんには、知識としては知っていても、見るのは初めてってものがあったんだって」
「?」
「何だと思う?」
「知るわけない」
「ふふふ。
それはね……ひ、じょう、ベ、ル……非常ベルだったのよ」
「まさかと思うけど、おばあちゃん、中学生になるまで非常ベル見たことなかったのかな?」
「らしいわよ。そんなもん、なかったって言ってたもん」
「嘘だろ?」
続きを目で促すとおかしそうに話し始めた。
「だから、おばあちゃんたちは、初めて見る非常ベルに興味深々だったわけよ。みんなして、ボタンを覆っているガラスを指で触りながら押す真似して、『ここを押したら、おっきな音のベルが鳴るのかな』、『きっと、そうよ』、『ここね』、『ここよ』ってね。
でね、そんなことしてたら、手が滑って、本当に押してしまったらしいの」
「なぬ?」
「お店の人に大目玉食らって、大変だったんだって」
何が、大変だったんだって、だ。とんでもない話だ。ものすごく迷惑な話じゃないか。
おばあちゃんもこの人も、絶対、どっかおかしい。
いや、これが俺の祖母とお袋なのだ。というか、俺の悪戯好きは、案外この二人の血を引いているせいかもしれない。
「おばあちゃんが怒られた、あのお店で働くなんて、我が家ってあそこと縁があったのね。感無量だわ」
おばあちゃんの昔話をするお袋は、外見はおばちゃんでも中身は不思議ちゃんだ。
でもなあ、きっと、あのスーパーは、あんたたちとの縁なんかない方が嬉しいって思ってるぞ。
とういうわけで、働き始めたわけだが、パートに出てからというもの、家での話題は、あのスーパーの悪口とあのスーパーに良いようにされている地元の小売店の不手際に集中した。
俺としては、勤め先の悪口を言うのは格好悪いと思う。
よくあるだろう。赤ちょうちんの居酒屋で、うだつの上がらないサラリーマンが、会社や上司の悪口を言ってストレスの発散をするって図が。
あれって、絶対、「俺たちは、うだつが上がりません」って周りにアピールしてるって思うんだ。
でも、中年のおばちゃんは気にもしないのだろう。平気で悪口言うのだ。
まあ、それがストレス発散になっているから仕方がないのだろうが、聞かされる身にもなってみろって。
小遣いの増額を要求したい気分だった。
「うちの町の店って、勝手なんだから。
スーパーで売っているものと同じものを売るなら、少しでも安くするとか、種類を増やすとかすれば良いのに。
そういう努力もしないで、客取られたって、文句だけは一人前なんだから」
「この前、魚正で魚買ったら、袋の口の閉め方が緩かったんでしょうね。水が垂れて荷物が濡れてしまったわ。ただの水じゃないのよ。魚の水よ。魚臭くって、もう、大変だったわ。
どうして、もっと気を付けないんだろ。包装紙だって、今時、新聞紙って、そりゃないわ」
「見て、このハマチ。スーパーで特売だったの。一匹500円よ。魚正だったら、千円はするでしょ。いくら地場の天然ものだって、こんなに値段が違うんじゃ、客は来ないわ」
この手の悪口には、説得力のあるものもあれば、価値観の押し付けみたいな不条理なものもある。
一々反応していたら、身が持たない。俺は右の耳から左の耳へスルーした。
どこの親も自分勝手なものです。わが身を振り返って反省して欲しいものです。