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そこは誰もいなくなった  作者: 椿 雅香
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大騒動(2)



 その週の土曜、俺たちは柴山へ出かけた。いつものようにおしゃべりをするでもなく、黙ってペダルをこいだ。

 中間テストが近いけど、俺も祐樹もそれどころじゃなかった。



 春から初夏に向かいつつある山の中。むせ返るような緑のにおいが切なかった。

 ところどころに山つつじの花が咲いていて、その花を見ても情けなかった。

 どれもこれも、道路が通ると壊されるかもしれないものだ。


 くねくねと曲がりくねった細い道を黙って自転車を走らせていると、初めて柴山へたどり着いた時のことを思いした。


 あれは、去年の春のことだ。ずいぶん時間が経ったように思うけど、まだ一年しか経ってない。


 入学式のすぐ後だ。ようやく届いた自転車が嬉しくて、あっちこっち走り回っていたっけ。

 五万分の一の地図を使ったせいで、道に迷って、着いたところが柴山だった。

 秘密基地を作って、百合に会って、そして、小百合に会った。

 俺たちは、自分たちでできることを自分たちでしようと奮闘した。

 百合が大人の力で、魔法のように柴山を変えたとき、俺たちの居場所がなくなったと思った。

 でも、百合は、俺たちに居場所を作ってくれた。いつでもおいでと言ってくれた。

 百合が作り直しても、柴山は俺たちの秘密基地だった。

 百合が信用するのは、小百合と祐樹と俺の三人だけだ。

 出版社の担当さんや編集長は、ビジネスとして付き合っていたが、信用してはいないようだ。



 俺たちは、楽しい時間を過ごした。

 

 楽しかった。本当に楽しかった。

 

 それも、もう、夢と消えるのだろうか。



 百合が用地買収を拒んだら、柴山の家は残るだろうか。

 残ったとしても、軒先を車がしょっちゅう走ることになる。それは、百合の本意ではないだろう。


 井上の上司の編集長は、百合を東京に呼ぼうと画策している。きっと、大喜びで、用地買収の担当者を味方するだろう。


「なあ、祐樹。百合さん、買収に応じると思うか?」

「分からん」

 祐樹も言葉少なだ。


 俺たちがとやかく言う筋合いじゃないのは分かっている。

 分かっているが、やっぱり、百合には柴山にいて欲しい。

 

 リフォームした家も、小川に設置した小水力発電装置も、手間とお金をかけたものだ。

 あれが全部無に帰すなんて。嫌だ。絶対嫌だった。


 目印の大きな木が見えたとき、俺は、このまま帰りたくなった。百合に会っても、何を言えば良いのか分からなくなったからだ。


 引っ越すにしろ、居続けるにしろ、決断するのは百合だ。俺に何が言えるだろう。

 

 会わないで、なし崩し的に、ずるずると成り行きに任せた方が良いんじゃないだろうか。

 消極的だと批判されても、その方が良いような気がした。

 

 でも、祐樹は、白黒はっきりさせたい方で、俺の腕をつかんで、百合の家のチャイムを押した。




 ここんところ会えなかったのに、この日は、珍しく百合が在宅していた。


 いなければ、良かったのに。そうしたら、メモだけ残して帰ったのに。


 仕方がない。祐樹が言うように、今現在、起きていることを報告しよう。それが、友だちである俺たちの役割だ。


 ときに、小百合はいるのだろうか。小百合だって、百合の決断によっては、引っ越さなければならないのだ。

 でも、百合と小百合の法則は健在で、やっぱり小百合は留守だった。本当に、この二人、どういう関係だろう。


 祐樹には気のせいだと言われたが、やっぱり、百合と小百合は同じ人間のような気がしてならない。

 ネット小説の読み過ぎだっていわれたらそれまでなんだけど。



 用地買収の話を聞いた百合は、小さなため息をついた。


「えらいことになっとるんやな」

 それが大阪のおばちゃんの感想だった。

「どうします?用地買収に応じますか?」

 祐樹が冷静に尋ねた。こういう事務的な問いかけは祐樹の方が向いている。俺が言うと、「売らないで!」と、すがりついてしまいそうだ。

「さて、どうしたもんやろ?」

 再びため息をついて続けた。

「このまま、ここにおったら、嫌がらせされるやろか」

「嫌がらせって?」

 思わず訊いた。


 この人に嫌がらせする度胸のある人間なんているのだろうか。


「そこの小水力発電設備な」

「あれが、どうしたんです?」

「ウチの土地じゃないとこに置かせてもろとるんや」

「百合さんの土地じゃないんですか?」


 初耳だった。てっきり、あそこも百合の土地だと思っていた。


「昔、おじいちゃんに聞いたんやけど、里山と川べりの土地は入会地なんやて」

「『いりあいち』ってなんですか?」

 身を乗り出して尋ねた。そんな言葉聞いたことがない。

「俊哉くんも祐樹くんも知らんやろな。田舎には、ときどきあるんやけど」


 ウチの町は都会と比べれば田舎だけど、柴山ほどど田舎じゃない。だから、入会地なんて言葉は聞いたことがなかった。


「村のみんなの土地を入会地いうんや。でも登記なんかするとき、便宜上、村の有力者の名前で登記することが多いんや。

 そやけど、それは名義人の土地やない。村人全員の土地ってわけや。そやから、管理もみんなでするし、利用するのもみんなでするんや。

 ウチが来るとき、柴山には誰も住んでなかったさかい、あの川べりを利用させてもろたんやけど、一応、登記簿上は別の人の名前になっとった。そこ突かれると、痛いわ」

「他の人で知ってる人がいるんじゃないんですか?」

「そりゃあ、おるやろ。そやけど、ウチのために証言してくれるとは思えん。

 第一、ウチ以外の人は、住んどらん土地を県が買うてくれる言うて喜んではるんやろ?」

 

 確かにそうだ。百合は四面楚歌だった。


「仕方ないわ。とっととここ売って、別んとこ引っ越そか」

「そんな無責任な」

「俺たちは、どうなるんだ?」


 思わず、口をついた抗議は完全に無視された。


 そして、にやりと笑った。ラスボスの微笑みだ。


 忘れていた。百合はラスボスだったのだ。俺たちの生殺与奪権を握ってたのだ。


 背中を汗が流れた。


「あんたらは、前の通りに戻るだけや。二人して秘密基地作って、楽しくやったら良いんや」

 

 百合と別れるということは、小百合と別れることになる。

 俺も祐樹もその事実に気が付いた。

 二人とも、それは絶対嫌だった。

 

 俺たちの思いに気が付いているだろうに、百合はクールだった。


「会うは別れの始めって言うやない。縁があったら、また会うこともあるやろ」


 足元の地面が崩れていくように感じた。


 崩れ落ちそうになる体を必死で支え、何とか踏ん張って立ち上がった。「考え直してください」と言おうとして、百合に近づいて体を寄せた。

 そのとき、彼女のうなじに黒子があるのに気が付いた。



 衝撃が走った。


 小百合にも同じところに黒子があった。サイクリングしたとき、汗をかいた小百合がサイクリングウエアのジッパーを少しおろして汗を拭いた。あのとき、うなじの黒子が目に留まったのだ。

 女性らしさに乏しい小百合が、妙に女っぽく見えたので覚えている。


 いくら、叔母と姪でも黒子まで同じ位置にあるものだろうか。


 俺は焦った。焦りまくって喉が渇いた。

 オタオタして、言葉が出ない。


 隣にいた祐樹がいぶかし気に目で問う。


 俺が気が付いたことに気付いたのだろう。百合が意味深に微笑んだ。

「どのみち、ウチ、一つ所に長くいられへんのや。俊哉くん、あんたなら分かるやろ?」




 それっきり、百合にも小百合にも会っていない。

 

 噂によれば、百合が用地買収に応じて、どこかへ行ってしまったという。

 

 三年になって、受験勉強が忙しくなると、サイクリング同好会の活動は難しくなった。大学に合格してから再び活動する約束をして、俺たちは受験勉強に励んだ。


 中学の時のような人参はなかったが、大学に合格すると都会で下宿生活ができるという大きな目標があったおかげで、嫌いな数学だって必死に勉強することができた。


 春が来て受験勉強から解放された。

 大学に合格したので、大手を振って都会へ行ける。


 そう思うと胸が躍った。



 祐樹と二人で久しぶりに柴山へ出かけると、そこは全く別世界のように変わっていた。


 百合の家があった辺りは、有料道路の建設中だった。周りの家々も工事の都合で壊されたり、雪のせいで崩壊したりしていて、見る影もなかった。

 

 柴山は、今度こそ、本当にゴーストタウンになってしまった。

 百合も小百合もいなくなった柴山で、建設機械が明るく働いていた。


 俺たちは秘密基地を作る気力もなくなっていて、残った家々が朽ちて行くのも気にならなかった。


 廃屋ばかりの集落の中で、唯一、百合の家だけが人の家として機能していた。

 あんなにピカピカに磨き上げられた家は、跡形もなく壊されて工事の人たちが忙しく働いている。


 俺と祐樹は、顔を見合わせて、同時に言った。


「俺たちが見たのは、夢だったんだろうか」

「何にもなくなっちまったな」



                    

                                       完


最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。

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