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そこは誰もいなくなった  作者: 椿 雅香
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百合と自転車(1)

7 百合と自転車


 百合は、井上さんの心労なんか気にも留めていないようだ。


 彼女によれば、楽しい毎日がなければ、執筆なんかできないという。

 確かに、彼女の作品には、日常のドタバタが随所に描かれていて、そういう箇所のファンも多い。 


 楽しい毎日。


 百合は、高校生、つまり俺たちの生態を興味深く観察していて、それを作品に取り入れている。

 クラスの女子が、多野椎奈の新作に高校生の二人組が出てきて、その二人が無茶苦茶リアルだと言っていた。


 雑誌に連載している『死にゆく村の限りない闇』という小説だ。


 俺は、怖くて読む気になれない。

 

 祐樹が読んで、ぽつりと言った。

「俺たちのことだ。ご丁寧に準主役って扱いで出てる」


 うわっ。頭が痛い。


 勇を奮って読むと、本当にとんでもない話だった。


 舞台は柴山をモデルにした廃村寸前の村だ。壊れかけた家や耕作放棄された田畑なんかの描写が柴山そっくりだ。そこへ、男子高校生が二人サイクリングで訪れる。

 村には住んでる人が一人だけいて、それが中年の女性作家なのだ。百合をモデルにした女性作家と高校生は仲良くなって、あちこち探検する。そして、遊びに行った先で、白骨化した死体を見つけるのだ。

 三人は警察へ連絡するが、そもそも、村に住んでる人がいるとは思ってなかった警察は、胡散臭い女性作家を疑う。

 作家は身の潔白を証明すべく高校生の助けを借りて事件を解決しようとするのだ。



 まんまじゃないか。


 俺は、祐樹の言っていた意味がよく分かった。

 

 ったく、周りの連中に気付かれたら、どうしてくれるんだ。

 

 考えるだけで胃が痛くなった。


 女子の話には続きがあったのだ。


「でも、その高校生の二人組って、ちょっとホモっぽくてね、しかも、感じが、あんたたち二人に似てるよね。

 だから、あんたたちも、気をつけなさいよ。いっつも二人組で行動してるけど、あんま二人で完結してると、女子に目が行かなくなるよ。男が好きになったら大変じゃない」

「俺はホモじゃない!」

 俺が叫ぶと、祐樹も少し遅れて叫んだ。

「俺も、ホモじゃない!この腐女子が!小説と一緒にするな!」


 俺たちの受難は続いた。

 

 

 百合は、ときどき東京へ出かけて、一泊二泊してくる。

 いくら傍若無人の百合でも、いつもいつも井上さんに柴山まで来てもらうのは、申し訳ないと思うのだろうか。

 そんな殊勝なおばさんだとは思えないのだが。

 

 以前、土日に留守をすることがあるかもしれないと言って、俺と祐樹に鍵をくれた。

 要は、百合が留守の時も、家に入ったり泊まったりしても結構だとのお墨付きをもらったことになる。


「あんたら、ウチが留守のとき、適当にあのウチ使こて良いさかい。その代り、掃除しといてな。

 そやけど、ピッキングはあかん。犯罪行為やし」

 

 家の使用許可とピッキングの禁止。

 言うなら、飴と鞭だ。

 

 百合という人は、つくづく人の使い方が上手い。どさくさに紛れて、留守中の掃除を押し付ける気だ。


 くそっ。ルンバにでも任せておこう。

  

 そのうち、百合は東京で自転車を買って来た。

 あきれたことに、仕事で東京へ行ったとき――どうやら、業を煮やした井上さんに拉致られてホテルに缶詰めにされたらしい。帰って来てから、さんざん悪口を言っていたが、俺たちに言わせりゃ、どっちもどっちだ――、専門店で買って柴山へ送らせたのだ。

 

 俺たちと一緒にあちこち出かけるためだが、当の俺たちは、高校へ入学した時、近所の自転車屋でカタログを見ながらお取り寄せしてもらったというのに、自分は現物見て選んだのだ。

 

 現物を見て買ったという話を聞いて、俺も祐樹も東京の専門店はすごい、と感動した。

 俺たちの町じゃカタログ販売が当たり前だが、東京では現物を置いてある店があるのだ。


 それって、すごいことだ。



 東京。そこには何でもそろっているという。


 東京に行きたい。大学生になったら、東京に下宿することだってできる。早く大学生になりたい。


 そう思う、俺たちは田舎者なのだろう。


 俺は、初めて大学へ進学したいと思った。お袋が聞いたら、涙を流して喜ぶだろう。

 動機は不純だが、進路の決断をしたのだから。最初の一歩を踏みだしたことになる。


 

 白いフレームのおしゃれなクロスバイクは、百合の趣味なのだろう。一目で俺たちの自転車より値段が高いことが分かった。

 しかも、サイクリングウエアやヘルメット、シューズそれにメッセンジャーバッグまで揃えたのだ。

 

 まあ良いさ。

 百合は自分で稼いだ金で買ったんだ。俺たちみたいな脛かじりとは違う。


 でも、大人って、新しいことをしようとすると、形から入るものなんだろうか。


 ウチの親父が山歩きに目覚めたときも、トレッキングシューズだけじゃなく、リュックやウインドブレーカー、それにトレッキングポールまで揃えた。言うなら、ファッションから入ったのだ。

 

 そういう点では、百合も大人だった。しかも、かなりお金持ちの大人だ。

  

 これだけのものを一気にホイホイ買えるなんて、羨ましい。すっごく羨ましい。


 俺だって、小遣いが許せば、百合が買ったみたいなサイクリングウエアやメッセンジャーバッグが欲しかった。

 世の中には、どうして百合のような金持ちと、そうでない俺たちのようなのがいるのだろう。


 不公平だ。クソっ。将来、自由にできるお金を貯めたら、俺だって最高級の一式を買ってやる。


「今度一緒にサイクリングしよ」

 自転車をゲットした百合は、ルンルン気分で俺たちを誘った。


 言われなくてもサイクリングに出かけるつもりだ。

 ピンクのサイクリングウエアをきりりと着て、気だけは若いつもりでも、百合はやっぱりおばさんだ。

 遠目では若いが、近くで見ると、小ジワが……。それに、二の腕や尻の肉のたるみ具合が……。


 おっと。いけない。それを言うと百合の逆鱗に触れることは、まず間違いない。


 シワやほうれい線それに筋肉のたるみ具合なんかどうでも良い。

 問題は体力だ。

 中年のおばさんが男子高校生の俺たちと一緒に走ろうって無茶だ。心配が先に立った。  



 ダム湖の自然公園。一山越えた先にある海沿いのサイクリングロード。

 おばさんの体力じゃ、どこまでついて来れるか、途中でバテるんじゃないかと心配しながら走った。


 驚いたことに、百合は自転車が得意だった。


 考えても見ろ。普通、五十代のおばさんが、手放し運転なんかするか?


 彼女は、車のいない舗装道路を器用に手放しで運転するのだ。高校生みたいに。

 しかも、やっとやっとのヨロヨロした走りじゃなく、普通にペダルをこいだり、体重を傾けて右左折したりするのだ。


 これには、俺も祐樹もびっくりした。


 これは、いけるかも。そう思ったのが、甘かった。


 器用に走ることと、持久力があることは別物なのだ。

 比較的近いダム湖は何とかクリアできたが、それでもやっとやっとだった。

 到着直後、自転車をその辺に投げ出して、大の字になってはあはあ息を切らしたのだ。

 

 海沿いのサイクリングロードに至っては、そこへたどり着く以前にダウンしてしまったのだ。


 言わんこっちゃない。

 

 だが、懲りないおばさんは、背中のメッセンジャーバッグ――そんなに荷物もないのだからバッグパックで良いのに、百合は自転車にはメッセンジャーバッグだと思い込んでいる節がある――からロープを取り出して言ったのだ。


「悪いけど、このロープの端をあんたらの自転車に結び付けてくれへん?」


 どういう意味だ?


「だ、か、ら、あんたらにウチ引っ張ってもらうんや。そうすりゃ、わざわざバテたウチを待つって無駄なことしなくて良いんや。

 どや。ええアイデアやろ?」

 


 百合の発想にあっけにとられた。でも、言い出したら聞かない人だし、ちょっとばっかし面白そうだったので提案に乗った。


「わあ、楽ちん楽ちん」

 百合の自転車を真ん中にして俺と祐樹がロープで結んで引っ張ると、周りの人たちが振り返った。


 

 面白いけど恥ずかしい。

 本当ほんと、このおばさん、どうしてくれよう。


 だが、そうやって走ったことがそのまま小説に使われた。

 

 俺や祐樹が名前を変えて登場しているのを見て、俺たちはモデル代をもらった方が良いんじゃないかと真剣に話し合った。


 最初に会ったとき、百合が言った「あんたらが、楽しかったんは、おじいちゃんの家のおかげや。そやから、孫のウチのためにして欲しいことがあるんやけど……今の話、ネタに使わせて欲しい」って、なるほど、こういうことだったのだ。


 百合の小説は面白い。確かに面白いのだが、現実に体験したことをそのまま書いているだけなんじゃないだろうか、と思った。


 もしかして、あの『愛しい夫の殺し方』だって、現実にあったことを書いただけなのだろうか。


 話の内容を考えると、それは、かなり怖いのだけど……。




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