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そこは誰もいなくなった  作者: 椿 雅香
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スマホ没収

6 スマホ没収


 誤算だったのは、井上さんから、毎日のようにメールがあったことだ。


 おい!約束は毎週土曜に確認に行くってことだっただろ。口頭での契約じゃなく、書面に大きく『土曜日だけ』って書いてもらえば良かった。



 そして、最悪の事件が起きた。


 中間テストが終わり、期末テストにはまだ間がある長閑な秋の昼下がり。小春日和で、窓から刺し込む日差しが暖かい。

 俺は、物理の森田先生の子守歌のような声をBGMにうつらうつらしていた。

 理系科目は苦手だ。授業は俺の意識から遠いところで進んでいた。


 と、そのとき、教室中に響く着信音。

 知っている人は知っている俺のスマホの着信音と、もう一つ、俺のよく知る祐樹のスマホの着信音だ。

 


 いっぺんに目が覚めた。背筋を汗が流れる。


 森田先生の目がつりあがった。これが、英語の川畑先生や古典の佐々木先生なら、ここまで問題にならなかっただろう。


 最悪だったのは、森田先生が生活指導担当だったことだ。


「誰だ?電源切るか、マナーモードにしとく決まりのはずだ」


 もともと、学校は、スマホや携帯の持ち込み禁止だった。でも、昨今の生活環境じゃ、スマホや携帯がないと不便でしょうがない。だから、学校当局が譲歩して、電源を切るかマナーモードにすることになっている。

 

 まあ、電源を切ってなかった俺も悪いのだが、俺にメールする人間に授業中メール打つ馬鹿はいない。

 先生の犯人探しに、ひたすらばっくれて、他人の振りをしたが、年季の入った生徒指導に勝てなかった。


 敵は生徒の芝居を見抜く達人なのだ。


「松村。真面目なお前が、どういうことだ?電源切るの忘れたか?」

「申し訳ありません。切ったと思ってたんですが、大チョンボです」

 

 仕方がない。平謝りに謝ろう。謝って謝って謝って謝って謝り倒して、先生に怒る気力もなくなれば、怒るのを諦めてくれるさ。


「とりあえず、没収だ。放課後、取りに来い」

 ということで、スマホ没収の刑に処せられた。


「松村と、もう一人ってことは杉田か?」

 俺が捕まると、芋づる式に祐樹も捕まってしまう。それほど、行動パターンが似ているのだ。


「やっぱりお前か。二人とも、もっと性根を入れて管理しろ。じゃないと持ち込み禁止にするぞ」


 そう言いながら、スマホを没収する。


 おっしゃるとおり、今後は、もっと気を付けます。あんたに怒られたくないから。

 

 

 一体、どこのどいつだ。授業中にメール打つ馬鹿は。厳重抗議してやる。


 俺と祐樹は、メールの発信人をひたすら呪って、その日の授業が終わるのを待った。スマホを返してもらったら、その馬鹿におごらさせてやる。

 高校生にとって、授業中にメールを受信することが、どんなにデインジャラスなことか分からせてやる。



 放課後、生徒指導室へ二人して出頭し、平謝りに謝って、やっとのことでスマホを返してもらった。



 授業中にメールを送り付けた馬鹿は一体どこのどいつだ?

 怒りに震える指で確認すると、着信記録が37件。最初の授業中のが13時15分。一番新しいのが15時45分。今が16時50分だから、多分途中で諦めたのだろう。


 画面には、くっきりはっきり「井上担当」の四文字が並んでいる。

 そういえば、あの人の下の名前をゲットしてないので、適当に登録したっけ。

 

 それにしても、37件って、何て執念深いヤツだろう。

 毎週土曜に様子を見に行くって約束なのに、毎日のようにメールが来る。しかも、今回は火曜日の授業中だ。一体、何だっていうんだ。

 

 開いてみて、がっくりきた。

 最初のメールは、

『すでに締め切りを過ぎている。頼みたいことがあるから、至急電話してくれ』と、ある。


 気が付くと、祐樹も同じメールだったようで、うんざりした顔をしている。


 これも俺の担当だってか?

 仕方がない。ちゃっちゃと電話するか。


 井上さんに電話すると、ワンコールで出た。

 出ただけじゃない。耳元で怒鳴ったのだ。


「この、クソガキ!至急ってメールしただろ!ちんたらしやがって。

 今まで何してやがったんだ?こっちは、金払ってるんだ。すぐ返事しろってったら、1分以内に返事しやがれ!」


 条件反射でスマホから耳を離した。隣で耳をそばだてていた祐樹も慌てて体を引いた。


 思わず周りを見回すと、誰もいなかったので胸を撫でおろした。


「聞いてるか?シャキッとしろよ。ガキィ。

 締め切りは昨日だ。とっくに過ぎてるだろ?大至急先生んとこ行って、さっさと原稿送れって尻叩いて来い!」


 

 スマホから、喚き声が聞こえるが、馬鹿馬鹿しくて付き合ってられない。

 この人、完全にキャラが変わっている。百合さんの前では、真面目で控え目だけど粘り腰の好青年って感じだったのに。

 

 二重人格だったのか。


 一体誰のせいで連絡が遅くなったと思ってるんだろう。


 祐樹が俺の手からスマホをひったくって、ドスの利いた声で答えた。


「今まで何してたかって?

 教えてあげましょう。スマホ没収の刑にあって、連絡しようにもできなかったんです」

「なに?スマホ没収?」

「あんたがメールよこしたのは、授業中だ。俺たち高校生は建前ではスマホや携帯禁止。百歩譲って持ってたとしても、授業中は電源切るかマナーモードにしなけりゃならない。

 受信音なんか鳴らしたら、授業を妨害したかどで取り上げられることになってる。

 あんたのメールは、禁を破った。だから、取り上げられて、さっきまで返してもらえなかった」

「クソっ。田舎の学校って…」

「ちなみに、もう、5時だ。秋の日はつるべ落としだ。この時間から柴山へ行けるわけない」

「何?手前ぇ、誰に向かって言ってるんだ?ライトでもなんでもつけて行けよ」

「覚えてないようなら、思い出させてやる。俺たちとの契約は、毎週土曜に柴山に通うってことだけだ。今日は、何曜日だ?」

「なに?」

「あんたとの契約に、平日は入ってないってことだ。俺たちだって、そんな暇じゃない。課題だってあるし」

「担当代行の仕事引き受けるって言ったじゃないか!」

「言いましたよ。あんたが、土曜だけで良いって言ったからじゃないですか」

「だったら、どうすりゃ良いんだ?今から、そっちへ行けるわけないじゃないか!」

「そんなこと、俺たちの知ったこっちゃない」


 井上さんは、俺たちを手駒として利用しようとしていたんだろう。

 彼は、思い通りにならないことに慌てた。しばらくパニックになって電話口で叫んでいたが、聞くに堪えない暴言ばかりでげんなりした。


 よっぽど切羽詰まってるんだろう。


 しばらくして正気に戻った井上さんは、泣き脅しにかかった。

 最初からそうしていれば、展開も変わっていたかもしれないが、もう遅い。



「そんなあ、固いこと言わないで、行って来てくれよ。まだ原稿できてないなら、泊まり込んででも書いてもらうんだ。東京からは遠すぎるんだ。何度も言うけど、こっちだって、金払うんだ。払った金の分だけでも、働いてくれよ」


 この人のために働こうという気持ちはなくなっていた。どんなに切羽詰まっているのか知らないが、脅しに屈するつもりはない。

 

 祐樹が、小馬鹿にしたような調子で宣言した。

 こういう役は、祐樹の担当だ。


「そもそも、契約じゃ、毎週土曜に百合さんのところに行くことになってる。先週行って、原稿が遅れてるって報告した。俺たちの仕事は、そこまでだ。

 あの報告を受けて、さっさと手を打たなかったあんたの責任だ。

 あんまり馬鹿なこと言うなら、俺たちは降りる」

「そんなあ、ひどいじゃないか!

 君たちが引き受けてくれるっていうから、僕はこっちへ帰って来たのに……」

 

 くどくどと泣き言をいう井上さんを無視して電話を切った祐樹は、勝手に電源を切ってしまった。


 

 あのう、俺のスマホなんだけど……。ま、いいけどね。

 

 百合が原稿を送らないので、井上さんが切羽詰まっていた。藁にもすがる思いで連絡したのだろう。

 だが、俺たちだって、授業を投げ出して柴山に行けるわけもない。

 そういえば、プロット作成のときも、「〇〇日までにプロットを作成して送れ」ってメールが来ていた。

 あんときは、「井上さんの胃に穴が開かないうちに、プロット送ってね」って言っといた。

 締め切りの直前の土曜日。俺たちが百合さんの状況を報告すると、「月曜が締め切りだから、そのままの勢いで執筆してもらえ」

って、メールが来ていた。


 あのとき、嫌な予感がしていた。正直、そんなに気になるなら、締め切り直前は、柴山へ泊まり込めば良いのに、と思った。

 

 とにかく、平日に柴山へ行くことなんか、契約内容に入ってない。俺たち高校生は勉強が本分だ。

 ま、そんなに必死でしてないけど。


 あんまり、やいのやいのせっつかれるので、俺も祐樹も、安易に引き受けたことを後悔していた。

 祐樹なんか、他人を道具としてしか見ず、裏表があって計算高い井上さんが嫌いだと言い張った。


 お前なあ、俺に言わせれば、同族嫌悪だぞ。お前と井上さんはちょっと似てるんだ。


 祐樹の反撃に溜飲を下げた俺たちは、井上さんとの契約を解除することにし、百合とは純粋に遊ぶだけにしようと決めた。




ありそうなお話しでした。

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