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そこは誰もいなくなった  作者: 椿 雅香
16/27

多野椎奈(2)


 そのとき、玄関のチャイムが鳴って、三十代の男が現れた。


「お久しぶりです、先生。お元気そうで何よりです。

 いやあ、遠いですねえ。話には聞いてたんですけど、これほど遠いとは……。

 こんなところに引っ越されて、ものすご不便なんじゃないですか?先生がお好きな通販だって、遠すぎるって配達断られるんじゃないですか?

 ま、冗談はさておいて、ご所望のふたばの豆餅です。買って来いとのことでしたので、十ばかり買って来ました」


 目の前に近所の饅頭屋で買ったみたいな簡単な包装紙にくるんだ包みを差し出した。


 何だろう。


 百合が大喜びで包みを押しいただいた。

 

「これや、これや。ふたばの豆餅。ドーナッツにはコーヒーやけど、ふたばの豆餅には緑茶やな。待っとってな。今、お茶淹れるさかい」

「いえ、僕は……結構です」

 

 恐縮する担当さんを目で制し、百合がお茶を持って来た。

 

 緑茶が来たところで、恭しく包みが開かれる。

 

 唖然とした。

 何の変哲もない豆大福だ。

 

 思わず、百合のご所望だという豆餅と男を見比べた。これは、何かの禅問答の一種なんだろうか。

 

 横を見ると、祐樹も同じように豆餅を凝視している。

 

 百合が、「あんたら、ほんとに良いわあ。リアクションが普通やない。豆餅見て、その反応はないやろう」と笑いながら、男を紹介してくれた。 


「こちら○○出版の編集の井上さんや。京都に用事があるって話やったから買うて来てもろたんや。

 食べてみ。他のと全然違うから」

 


 男は編集部の担当さんだったのだ。

 

 ふ~~ん。編集部の担当さんって、こういう人種なのか。


 ウチの町には、経理とか営業とか工員とか作業員とかいろいろな職種の人がいるが、編集部の担当という人は、初めてだ。


 よっぽど珍しい動物を見るような目で見ていたのだろう。向こうも俺たちのことを胡散臭そうに見た。

 百合と仲良くしている俺たちを何者だろうと思ったのだろう。


 座が白けて、いたたまれない。


「こっちは、俊哉くんと祐樹くん。ウチの家、リサイクルして利用しとった猛者や」


 白けた座を取り持とうと、百合が急いで俺たちのことを紹介した。

 うん、これでフィフティフィフティだな。


 お友だちになれるかどうかはともかく、敵対しているわけじゃないことをご理解いただきたい。

 

 ところが、井上さんには、家のリサイクルという言葉の意味が分からなかったようだ。

 

 きょとんとして、百合に尋ねた。


「家のリサイクルってどういう意味です?それと、どう見ても高校生にしか見えないんですが、どういう関係なんです?」


 気になるのは、そっちかよ。あんたの反応も普通じゃないと思うぞ。


「家のリサイクルっていうのは、まあ、次回作の舞台や。おいおい分かるわ。

 そやし、この子らは、ウチの協力者というか、助手やな」


 大阪のおばちゃんは強い。井上さんの疑わしそうな視線はスルッとかわされた。

 

 だが、編集の担当さんは、作家先生にもまれているのだ。百合の説明は意味のないものとしてスルーされ、シレっと確認された。


「つまり、年若いツバメってことですね」


 ツバメって何だ?あのツバメか?鳥のツバメじゃないよな。

 あまりの暴言にオタオタしている間に、第二弾が続いた。


「先生も隅に置けない。こんな田舎に来て大人しくしていると思ったら、ツバメを二人もゲットしてたんですねえ」


「ツバメじゃねえ!」

「ツバメじゃない!」

「ツバメやない!」

 三人の叫びが重なった。

 

 百合や俺たちの激高に、井上さんは失言だったことを悟り平謝りに謝った。

 

 そんなに謝るくらいなら、あんな暴言吐かなきゃいいのに。



 百合に勧められて豆餅を食べて驚いた。

 俺たちは、さっきドーナッツを二つ食べた。それなのに、するりと喉を通るのだ。


 こんな大福見たことない。いや、食べたことない。


 俺と祐樹は、勧められるままに三つも食べてしまった。昼ご飯が、ドーナッツと豆餅だけにならないことを祈りながら。


 

 井上さんに同情しながら、俺たちは、話に聞く作家と編集者のせめぎ合いを眺めていた。

 

 わがまま放題の百合に対し、おだてたり脅かしたりしながら、原稿をせっつくのだ。


 「これって、一種のバトルだな」

 祐樹が感想を漏らしたので、俺も同感って感じで応じた。

「俺もそう思う。出版社の担当さんって、大変な仕事なんだな。

 俺、将来、出版社にだけは就職したくない。作家先生に振り回されるだけって感じだし」

「そうでもなさそうだぞ。あの人、百合さんが勝手にど田舎に引っ越したってアタフタしながらも、原稿だけはキッチリもらおうって腹だ」

「確かに。なあ、どっちが勝つと思う?」

「とりあえず、原稿ができなきゃ百合さんの勝ち、原稿をもらえれば井上さんの勝ちってとこだろう」

「けど、これって絶対おかしいよ」

「どこが?」

「だって、原稿ができて小説が売れなきゃ、百合さんだってお金が入らないから困るはずだよ。

 締め切りに遅れるってことは、自分で自分の首を絞めてるようなものだと思わないか?」


 緑茶を飲みながら感想を言い合ってたら、突然、こっちにお鉢が回ってきた。

 


 井上さんが、鋭い目つきで俺たちを見たのだ。

 仕事でなきゃやりたくないだろう大阪のおばちゃんとのバトルを呑気に見物している俺たちが癇に障ったのだろう。

 

 あまりにも真剣ににらみつけたので、俺も祐樹も引いた。

 

 とんでもない厄介ごとに巻き込まれそうな、嫌な予感がした。




 「君たち、アルバイトしないか?」

 井上さんのこの一言で、俺たちの苦難が始まった。


「「アルバイト?」」

 声がきれいに揃った。

「椎奈先生に原稿書いてもらうよう尻を叩いて欲しいんだ」

 井上さんは、百合のことを『椎奈先生』とファーストネームで呼ぶ。これは、絶対百合の希望だろう。

「「尻を叩くって?」」

 再び二重唱。

「ここへ来る度、そうだな、できれば週に一度はここへ来て欲しいんだけど、そのとき、原稿の進捗状況を確認して、僕のスマホにメールして欲しいんだ。

 遅れているようならこっちから指示を出す。そしたら、僕の代わりに先生を突いて欲しいんだ」

「百合さんに嫌われそうな、仕事ですね」

「頼むよ。この通り、一生のお願いだ。編集長に頼んで、毎月一人一万円出すようにしてもらうから。

 コンビニやマックのバイトなんかよりずーっと条件が良いはずだ。どうだい?」

「百合さんに嫌われるのは嫌なんです」

 

 秘密基地はなくなったが、百合の家はここら一帯をサイクリングするには丁度良いベースキャンプになるのだ。

 しかも、多野椎奈とも親しくお話しできる。

 

 こんなに美味しい状況を棒に振る気はなかった。

 まあ、お金に惹かれなかったかというと嘘になるが。


 俺が断ると、祐樹も参戦した。


「問題が二つあります。

 一つは、今、俊哉が言ったように、俺たちは、せっかく友だちになった百合さんに嫌われたくないってことです。

 もう一つは、ウチの学校はアルバイト禁止なんです。バレたら、停学処分食らうことになります。それは困るんです」



 井上さんは、こんな山奥で百合と交際する変わった高校生なんか、金で簡単に操れると思っていたのだろう。俺たちの真面目な返答にギョッとして、一瞬動きが止まった。


 でも、すぐに体勢を立て直して俺たちを懐柔にかかった。だてに編集部の担当をしているわけじゃないのだ。

 彼は、ネバーギブアップの精神の持ち主だった。


「大丈夫。椎奈先生って、基本的に、気に入った人は何をしても嫌いにならないんだ。

 だから、変なアルバイト始めて気の毒に、としか思わないから。

 それに、学校だって、バレなきゃ良いんだ。こんなところに通ってるなんて、誰も知らないんだろ?バレるわけないじゃないか」


 本当だろうか。胡散臭い話だ。

 それに、バレなきゃ良いって、そんないい加減話ないだろう。


 そんなことより、バレなきゃ良いって台詞、どこかで聞いたことがある。

 どこだっけ?


 そうだ。祐樹だ。秘密基地作るとき、あいつが言ったのだ。

 この人、祐樹と似てる。

 そう思うと、何となく親近感がわいた。

 でも、いくら祐樹と似てても、俺たちと敵対している今は、断るっきゃない。

「でも、百合さんを裏切るようで…」

 断ろうとしたその時、祐樹が遮った。

「分かりました。引き受けましょう」



 おい、祐樹、勝手に引き受けて、後で百合さんに怒られたらどうするんだ。

 お前、この人が自分に似てるからって親近感でも感じたのか。


 後で、文句を言うと、あいつは澄まして答えた。

「もし、あそこで断ったら、絶対、別の誰かを派遣する。その方が厄介だ。俺たちのやってたことが親や学校当局にバレるじゃないか。百合さんも分かってくれるはずだ」




俊哉たちと百合は、複雑な関係になります。

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